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事件のはじまり



「ああ子供。やっと見つけた。やっぱりスラムの子供は大人共が死んだように静かになった朝、這い出して来るんだね」

「え?」


ナッツは摘んだばかりの薬草を持ったまま、声のした方に振り返った。



ナッツは今、ググと共に外に出ていた。

ナッツが手に持っている熱冷ましの薬草は、発熱したリールの為のものだ。

しかしジルのように買ってきた物ではない。スラムを出て少し走った先にある王都の隅に位置する教会の庭から盗んで来たものだ。

幸運にも朝のこの時間は誰も外に出ておらず、薬草を盗むググとナッツの姿を見ていたものと言えば、教会に建てられたドラゴンの小さな石像くらいだった。


そして薬草を摘み終わった帰り道。ググが壊れた瓦礫の下に、力尽きた誰かが残したランプやマッチを偶然見つけた。

リールも待っているしすぐに帰ってくると言い残したググがそれらを取りに行ったので、男に話しかけられた時、ナッツは丁度一人だった。



「おじさん、誰?」

「ふふふ、おじさんはね……」


満面に微笑を湛えた大きな男は屈んで、背の低いナッツと目線を合わせた。


大男の身なりはこのスラム街にまるで似合わぬ小綺麗なもので、胸元に何やらピカピカしたバッチが幾つもつけてある。

そして黒くて丈夫そうなステッキを持っていて、手には白い手袋を二つ重ねて着けていた。



「それより君、こんなに汚れて大丈夫かい?おじさんがおいしい飴をあげようね」

「あめ?」

「甘くておいしいお菓子だよ。食べたことは有るかい?」

「ううん」

「そうかい。じゃあ食べてごらん。ほっぺたが落ちると思うよ。ほうら、どうぞ」

「あ、ありがと……」


ナッツは異様な生物でも見るような目で大男を見ていたが、大男が微笑を崩さないまま艶々光る玉を差し出すので、思わず受け取ってしまった。


「きれいな玉……。でも、少しネチョネチョするね」

「食べてごらん」


大男はふふっと笑った。

そして持っていたもう一つの玉を、自らの口に入れて見せた。

大男が頬を揺らして美味しそうに玉を口の中でコロコロ転がすので、ナッツも真似をして玉を自分の口の中へ入れてみた。


「お、美味しい!なにこれ!」

「おいしいだろう?良かったよかった。おじさんと来ないかい?もっと食べさせてあげられるよ」

「えっ?」

「おじさんとおいでよ。飴をたくさんあげるよ」

「たくさん?み、みんなの分もくれる?」

「みんな?ふふふ、まだ君の仲間がいるのかい?いいねえ、みんなにあげよう。皆は何処にいるのかな?」


大男は口角を上げたままだったが、ズイッとナッツとの距離を詰めてきた。

大きな大人がいきなり近づいてきたことに驚いて、ナッツは思わず一歩後ずさる。


口の中にある飴がコロコロと鳴る。最初は甘くて感動したのに何故か、ナッツはもう味を感じなくなっていた。


「さあ、おじさんを皆のところに案内してくれないかい?」

「あ、えっと、みんなのところへは無理だよ……ジル兄が、絶対に場所は誰にも教えちゃだめだっていってたし……」

「ふふふ、少しは頭の回るガキがいるのかな。でも大丈夫。おじさんは慈善団体の人間なんだ。スラムに暮らす皆の事を助けに来たんだよ」

「そ、そうなの……?」

「そうだよ。おじさんたちは、スラムの可哀そうなガキを生まれ変わらせてあげられるんだよ」


大男は笑いながら、口の中に入れていた飴を歯で噛み砕いた。

バリバリと聞こえる音が、ナッツにじりじりと近付いてくる。


ナッツがひゅっと息をのんだ時、もうすぐ目の前に迫っていた大男の太い手によって、ナッツの腕は拘束された。


「い、痛いよ!」

「大丈夫だよ。さあ、みんなのところへ案内するんだ。何人いるんだ?」

「は、放してよ……」

「さあ、言ってごらん。住処は何処かな?君の仲間は何人いるんだ?」


ギリリと腕を締め上げられたナッツは声を上げ、涙目になった。

だが泣き出すのはぐっと堪えて、力任せにもがく。


「お、オレの仲間は13人もいるんだぞ!いくらお前が大人でも、みんなが一緒なら!それかジル兄なら一人でもお前くらい……」

「ハハハハ!」


大男の顔から穏やかな微笑は消え、その代わりに甲高い笑い声でナッツの声を遮った。


「13人も!子供が!素晴らしいじゃないか!ざっと計算しても100万ベルはかたい。スラムのゴミからでも金が作れるなんていい商売だよ全く!」

「えっ……?」

「おやおや、君たちゴミに安くない値段がつくことに驚いたかい?」

「ねだん……?おじさん、なんなの……?」

「先進慈善団体の一員さ。通称では臓物狩りなんて呼ばれているがね。ハハハハハ!」


心底愉快そうに笑う大男は、ナッツを軽々と宙に釣り上げた。


「さあ、みんなは何処にいるのか教えるんだ」

「い、言えないよ……!」

「だったら指でも折ろうか。一本でも折れば、痛くて痛くてすぐに教えたくなるだろう」


大男が宙にぶら下げたままのナッツの小さな手の指を、ぎゅっと握りこんだ。

最初は気前のいい男だと思ったが、よく見れば彼の硬そうな皮膚には無数の傷や古い銃創があった。


男の手に力が籠められ、ナッツは自分の全身から汗が噴き出したことを感じていた。


いやだ、いやだ。

こわい、こわい。


逃げなければいけないのに、体が動かない。

これから恐ろしく痛いことが起こるというのに、碌な抵抗が出来ない。


「や、やだよ!やだ!離して!!!」


ナッツは泣きながら叫んだ。

もうただひたすらに怖くて、我慢していた涙も溢れてきた。


「いやだ!いやだよ!やめてよお!!!」

「ハハハ!ゴミが鳴いているな!」


ナッツの悲痛な叫びを聞いても、大男は高い声で笑うばかりだ。


誰の耳にも、ナッツの叫び声は届かない。

ナッツの中で、気が遠くなる程長い時間が流れた気がした。

だがその無限にも感じられた時間は、聞き慣れた声によって破られた。


「ナッツ!どうした?!」


ナッツのただならぬ声に、壊れたランプとしけったマッチを投げ捨てて駆けてきたググだった。

ググの登場にナッツは声にならない声を上げた。




「ナッツ!!」


走ってきたググは汗を拭う間もなく、ナッツが大男に拘束されている状況を理解していた。


大男が誰なのか、どんな目的があるのか、それはどうだっていい。

ただナッツが危険だ。

とにかく、ナッツを助けなければ。


大男がググに気づいてその姿に焦点を合わせる前に、ググは全力で突っ込んだ。


「うぐ!」


間髪入れずに猪の如く突進してきたググに突き飛ばされ、怯んだ大男は掴み上げていたナッツを手放した。

そして地面に尻もちをつく。

骨でも折れてくれればいいと思ったが、痩せたググの体では男の巨体を地に付けるだけで精いっぱいだった。


だが、ナッツを解放させるという目的自体は達成した。


「逃げるぞ!」


大男の一瞬のスキを付き、ナッツを抱え上げてググは走り出した。


ググは一目見ただけで、大男が危険なものだと感じていた。

何がとはうまく言葉で言い表せないが、とてつもなく嫌なかんじがする。

スラムにいるような酔っ払いの悪漢とも違うし、薬物中毒の流れ者とも違う。

暴力を振るう訓練をしてきたような振る舞いなのか、冷静な残忍性が見え隠れするような細い両眼なのかは分からないが、とにかく、大男は下級の犯罪者とは何かが違う。


ナッツよりは何年も長くスラムにいて、ジルの姿を見てきたググに判断ミスはなかった。


一刻も早く逃げなくては。

不意をついて混乱を作れるのは一秒。そして、上手く逃げるための隙は一瞬。

出会い頭に一撃を決めて、一瞬出来た隙をついて脱兎のごとく逃げる。

勝つことも対抗することも考えない。世の中には自分より強い相手ばかりなのだから、必要なものを持ったらあとは全速力で逃げる。


ググは仲間の中ではジルに次いで足が速い。

壊れたフェンスの上も走れるし、バランスの悪い瓦礫を跳び移って移動することだってできる。

ナッツのように軽い子供を抱えて走ることも容易の筈だった。

逃げ切れる、筈だった。



「逃がさないぜえ!!」


大男の、人を見下したような声とは違う雄叫びが上がった。

それと同時に、ところどころに血の染みをつけた作業服の男たちが何人も現れた。

全員武装している。

どうやら、そこらに待機していた大男の仲間のようだった。


「待て、スラムのゴミ共!」


作業服の一人が、ググの駆ける方向に立ちはだかる。


「まずい!」


ググは急いで方向転換するも、作業服の屈強な男は長い腕を伸ばし、いとも簡単にググの足を掴み倒した。

駆けていた速度のまま、ググは地面に転倒する。

しかしその際に、咄嗟に抱えていたナッツを庇って衝撃を殺した。

ナッツに大した怪我がないことを素早く確認してから、ググは両腕でナッツを勢いよく押し出した。


「ナッツ!逃げろ!」


作業服の男に両足を拘束されて立つことも出来ない自身には構わず、ググは叫んだ。

背中を押されたナッツはググの元に駆け寄ろうとするが、ググの迫力に押されて立ち止まった。


「走れ!」

「で、でも」

「いいから走れっ!!!」

「でもググ兄が!!!」

「走れっ!!」


「お前たち、あの小さいガキも逃がすなよ!!」


地に這いつくばっているググと、ググを押さえつける作業服の男の後ろで、大男が指示を出す声がする。

更に集まってきた作業服の男たちが、一斉にナッツに向かって駆けだしてきた。


「じゃ、じゃあ、すぐジル兄連れてくるから!」

「駄目だ!!」

「えっ」

「ジル兄には言っちゃ駄目だ!」

「な、なんで」

「ジル兄は絶対助けに来るじゃん!だから駄目!こんな武装したやつらに勝てっこない!ジル兄だけじゃない、誰も助けに来なくていい!」

「じゃ、じゃあググ兄はっ」

「いいから!」

「だ、だめだよっ!やだよっ!」

「やだじゃない。俺の最後のお願い、聞けるよな。ナッツ、走れっ!!!!」


ググの叫びの意味と迫りくる作業服の男たちの恐怖に震えながら、ナッツは嫌々と首を振った。

そしてブルブルとおぼつかない足で、ググを助けに踏み出そうとする。

しかしググはそんなナッツを睨みつけた。


「ナッツ!!走れ!頼むから!!!」


噛みつかんばかりの勢いでナッツを急かすググの大声に押され、ナッツはググを置いて走り出すしかなかった。



「う、うわああああああああ!!!!!」


助けてくれた大切なググを残していくことなど出来ないと思っているのに、恐ろしい事がいっぱいで、ナッツはもうどうしていいか分からないまま走り出した。


怖い。怖い。怖い。


あの変な大人が恐ろしい。

捕まったままのググを残してきたことが恐ろしい。

これからググがどうなるか考えただけで恐ろしい。

涙と鼻水でろくに息も出来ないのに、ナッツは全速力で走った。





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