熱
「はぁ……はぁ……ハハハ! 遂に……ハァ……ハァ……壊れたか! 」
苦しそうに短く呼吸をしながらも笑みを浮かべるレドヴァン。奴の視線の先には俺の右手に集中している。そこには握りから先が割り砕け消失している金属バットがあった。
「これで……私の勝ちだ! 」
荒く息を吐き、ボロボロの衣服を引きずりながら向かってくるレドヴァン。だけど俺は知っている。コイツにはもうコレに抵抗する術が無いことを!
「【念動魔術】」
「ぐあああああああ! 」
レドヴァンの右足を魔法で動けなくする。久しぶりに使ったので頭が割れるように痛いし出力の調整がうまくできない。握り潰す寸前の出力が出てしまった。
「お前……魔法まで……使えるのか! 」
「……【念動魔術】! 」
答える気は無いしその必要も無い。今度は左足。屋根を突き破らない程度で足の甲に超重量をかけた。
「クソ……! これだけは使いたくなかったが……【転――――」
「させるか! 」
胸元を探り何かを取り出そうとしたレドヴァンの腕を【魔法】で弾く。掌から零れ落ちたのは見覚えのあるデザインのネックレス。『帝国騎士の首飾り』だ。
「クソがぁ! 」
「逃がさねえ……絶対に逃がさねえぞ憲兵……お前だけは……! 」
ゆっくりと一歩一歩、屋根の上を踏み締める。視界の中でどんどん大きくなっていく貴族様の面は酷いもんだった。撫でつけられ整えられていた髪と髭は流れ出た汗で乱れに乱れ、口の端からは唾液が流れ、目は不安げに揺れ続けている。
「分かった! 私が悪かった! 許してくれ! 」
「許せって……何をだ? 俺に斬りかかったことか? それとも――――」
――――ラニアを嬲り殺したことか?
「ち、ち……違う! わ、私じゃない! 私はあんな女知らない! 」
そう言い切ったレドヴァンに思わず足を止めた。ずっと心のどこかに引っかかっていた違和感の正体に今気づいたからだ。
「そういえば……お前、最初から遺体を見て『女』と言っていたな……」
「そ、そんなもの……見れば分かるだろ! 」
唾を吐き散らす憲兵に俺は小首をかしげた。
「そうか? 俺は分からなかったぞ……あの状態の身体を見てすぐに男か女か」
「……!! 」
眼を大きく見開く貴族。
語るに落ちたな。犯人はもう間違いない。再び俺は歩みを進めた。
「【尋問】か……初めて見るスキルだ……それもスキルレベルは80以上。中々お目にかかれない高さだな。ここまで上げるのにどれだけ苦労したんだ……? 教えてくれよ? どうやって上げたんだ? 」
「はっ……はっ……はっ……! 」
過呼吸に陥る憲兵。よく見るとまたぐらの布が滲み、魔法で動けなくしている足の間には何かの水たまりが出来ている。
「まさか……怖いのか? 」
「……な、何を言う! き、き、貴族が! お……お、おおお、恐れを成すことなど……ない! 」
そう言う憲兵の唇は先ほどから震えが止められないようだった。
思い返せば……人間に対してこれほどまともに力を振るったのは初めてだ。人に向かって金属バットを振り回し、念動力で痛めつけても何も感じない俺は果たしてイカレ始めてしまったのだろうか?
「す、す、素手で勝負しろ! 男らしく! 正面から! 」
へっぴり腰のまま弱弱しく拳を構えた貴族のなれの果てを見て答えを出した。『違う』と。
コイツだからだ。俺が暴力を振るっても何の罪悪感も感じないのは。
「わ、わ、私が詰所を出てから……すでに数十分経過している! 今に仲間がやってくるぞ!! 」
「なら……その前に………………カタを付けないとな? 」
絞り出したような悲鳴を上げた憲兵の方へ向かいながら、俺は考えていた。果たして俺はこれから何をすべきなのか。
殴って気絶させる?
腕の一本や二本、足の骨でも折って痛めつける?
コイツの【尋問】の真似事をしてみる?
それとも――――
「……殺すか?」
「ひぃ! 」
目の前までやってきた俺に悲鳴を上げる憲兵。もはやなりふり構わない様子で足を必死で動かそうとしている。
「そんなに……死にたくないのか? 」
「あ、ああ……! 死にたくない!! 」
「……お前はそうやって命乞いをする人の言葉に耳を傾けたことがあるのか? 」
へなへなと腰から崩れ落ちる男。俺の質問に返答は無い。
「そうか……なら……――――」
言葉を切って俺は掌を男の頭にかざした。そして力をこめる。全身から運ばれてきた魔力が手の先端に集中した。
魔力の奔流を放とうとする直前、何かが喉の奥に引っかかった。
なんだ? なんだこの忌避感は?
心の問題か?
俺に覚悟が無いせいか?
いや違う……。何だ? 何か忘れているような……?
忘れている?
「…………――――――おえぇぇ……」
最初は何が起きたのか全く分からなかった。胃から逆流して口から流れ出るモノを止められずうずくまる。
「はぁ……はぁ……なんだよ……コレ……」
屋根の上に広がるソレをしり目に俺は震える指で自分の左手首を触った。
「……え? 」
目の前に表示されるくさび形文字を見て俺は動けなくなった。
『状態異常:酩酊(レベル9)』
なんでこんな事態になっているのか全く心当たりが無かったから。時間が経てば治るはずじゃ……?
――――後から考えてみれば簡単な話だった。自覚は全くなかったけど俺が元居た世界からダンジョンを経て異世界へと渡り、飲み食いをし、何度も戦いを繰り返す間に一睡もしないまま30時間以上経っている。身体の疲労は[持久力]で誤魔化せていても頭の方はとうの昔に限界だった。加えて、未成年の俺は知らなかったんだ。飲酒においての世界の常識を。
一つ目。『酔っている状態で激しい運動をすると酔いがさらに回ることがあること』。こっちは二つの世界の共通認識。
そして二つ目。これは俺がもといた世界では全く言われていない話。だけどこっちの世界では子供から大人まで誰もが知っている俗説だという。
『酔っている状態で【魔法】を無暗に使ってはいけない。なぜなら――――』
「魔力が……暴走している……? 」
全身が熱かった。魔力が体中を駆け巡り続け全く操作できない。汗も止まらない。息もどんどん荒くなっている。立ち上がろうとしても身体がふらついて動けない。
「……こんなんじゃあ! 」
閉じかける目を何とかして見開き周囲を見回す。憲兵は汚物が顔にかかっているというのにピクリとも動かない。気絶しているみたいだった。
「……さ、……【索敵】! 」
痛む頭をむりやり振って、スキルを使う。最悪の健康状態の中でも【索敵】は俺に示した。数十人の人影が道を無視してこちらに一直線に向かっていることを。
「くそっ……クソ! ……畜生! 起きろよ! 」
自分の身体を殴ろうとしても力が入らず失敗した。こうしている間にも近づいてきている。恐らく憲兵が気を失う前に言っていた『仲間』とやらが。
「あともう少し……あとちょっとなのに……」
汚物と血と残骸にまみれながらも這いつくばった。少しでも白目をむいて伸びているクソヤローへと自分の身体を近づける。
言い訳はしねえぞ……死んでも言ってやるか。『酒を飲まなければ』なんて。
どうにか動く右手一本で身体を引きずった。またもや胃の中が蠢き始めたけれどそんなのはどうでもいい。
ウニロたちは……いきなり出くわした……名前も顔も知らず、禄に自分のことを話しもしない俺に……優しくしてくれた……。
腹をすかした一文無しの俺に飯をくれた……水もくれた……。自分たちの生活も苦しいのに……。
そんな中で俺にくれたあのマズイ酒は……あの人たちが月に一度しか飲まないあの酒は……受け入れてくれた証なんだ。俺のことを。『仲間』として。
『仲間』を作る資格も、適正(適性)もない俺のことを……!
だんだん意識が薄れてきた。吐いたばかりなのに口の中が乾ききっている。あと少しなのに……。もう少しで……。
ぐちゃぐちゃになった思考と消えかかった意識が重なる。なんの脈絡もない考えが頭の中でいくつも生まれては、弾けて消えた。
木ノ本がここにいてくれたら。
迷宮課の大人の誰かがついて来てくれていたら。
俺がリューカだったなら。
何を言ってもいまさらだ。もう何もかもが遅い。
だめだ。眠すぎる。
深い眠りに落ちる直前。指に『熱さ』が伝わった。どこかで経験した感覚。それがいつ、どこだったのかを思い出す前に俺は意識を完全に手放した。




