彼らの絶望
「聖女様は俺達のことを人間扱いしてくれたんだ! 名前で呼んでくれた! 」
「こんな煤まみれのおいぼれの手を……あの方は握ってくださった……」
「ダンジョンに飲み込まれた娘もあの人が助け出してくれたんだ! 信じられるか? ただの農家の娘を騎士サマがだ! 」
「本当にお綺麗な方でね……ケンタローも驚くと思うわ」
ウニロの小話が終わった後。帝都の住民たちは俺に思い思いのリューカについての話をしてくれた。まるで自分の宝物を人に紹介するように。そしてそれらの話から受ける彼女の印象と俺個人がリューカについて抱いていた印象のズレがあった。
兄の仮面を被って理想的なリーダーを演じていたけれど、本当は引っ込み思案で自分に自信が持てていなかった女の子。
それでもいざという時に見せる芯の強さは人一倍で、彼女の持つ知識には俺は何度も何度も助けられた。
別れたのは数か月前。この時間は短いようで俺にとっては長すぎたくらいだ。この間に数時間じゃ言い表せないほどのことが色々あったから。
リューカも大変だったんだろうな……。
やっぱりちゃんと話したい。話さなきゃ。世界をまたいだ友人として。
夜も本格的に更け始め、和やかな時間が続いていた。俺も、恐らくはウニロたちも思っていたはずだ。この幸せな時がこの夜が更けるまでは続くんだろうって。けれど『現実』は『夢』を見る人にいつも迫ってくるものだ。
その一報は突然やってきた。
「この中にラオエルの奴はいるか! 急ぎの用がある! 」
1人の男が薄暮亭に駆け込んできた。ボサボサで腰に届くほどの長い髪型のかなり印象的な成人男性。だけどそんなものよりまず『目につくモノ』があった。
「おい……お前……服についてるソレって……血か? 」
「そんなことはどうでもいい! ラオエルはこの酒場にいねえのか! 」
男が髪を振り乱し、手を振りかざす度にどす黒い赤い液体が飛び散った。見かねたウニロが何とかなだめようとした。
「お、おいアンタ……ひとまずは落ち着けよ……なぁ? まずは何があったか話してくれねえか? 」
「ここにいねえのか!? ラオエルは! 」
興奮する男は止まらない。でも、その異様な必死さに俺は不思議と悪意を感じなかった。
「なあアンタ……ラオエルって4,5年前に近くの魔石鉱山で炭鉱夫をしていた男の子とか? 」
そんな折、一人の客が呟く。長い髪の男はその声に大きくうなずいた。
「そうだ! そのラオエルだ! 今どこにいる!? 」
「ラオエルなら1週間ほど前に街を出てったぞ。街なかの働き口だけじゃ税を払えなくなって……ダンジョンに挑みにいったんだ。家で待つ病弱な妹さんのためにな……。まだ帰って来てねえぞ 」
彼の語りを聞いて髭面の男は顔面蒼白になった。先ほどの興奮はなりをひそめてかすれた声で『そうか』とだけ呟くと押し黙ってしまった。
「なあ教えてくれよ……ラオエルに何の用があったんだ? 」
その場にいた全員の心の声を代弁してウニロが聞く。長髪の男は口にためていた力を一気に抜き放つようにかすれた声で言葉を紡ぎ始めた。
「ラオエルの妹が……殺された」
「は? 」
「俺はラオエルの隣に住んでいるものだ。あの兄妹にはかなり良くしてもらっていた。今日も3人で飯を食う予定だったんだ。でもいつになってもやってこない。今日の夕方時だ。隣の扉をいくら叩いても反応が無いんだ。どれだけ大きな声をあげても起きないんだ。こんなことは一度も無かった。不安に思ってずっと扉を叩いていた。すると漂ってきたんだ。濃い血の匂いが。だから俺は……」
「待て待て待て! 見たのか!? 死体を! まだ部屋にあるのか? それで……そんな真似誰がやったんだ!? 」
混乱を隠し切れないウニロに長髪の男はボソリとつぶやいた。底冷えのするような声で。
「犯人は一人しかいない……あの子に少し前からつきまとっていた『貴族』だ」
最初に入ったダンジョン。『四色の迷宮』で見た白骨死体から始まり、迷宮に潜り、モンスターとの戦いを経て多くの『人の死』というものに触れてきた。最初は身を潜めないといけないのに大声を上げかけるほどに過剰反応したものだったのにいつしか慣れていっていることに自分でも気が付いていた。
【自動回復】を得てから、傷を負うことにあまり頓着しなくなった影響もあるかもしれない。切断された自分の腕を見ても冷静さを保てるようになったのは一体いつからだったか。俺はもう身内や知り合い以外の死で心をゆさぶられないのかもしれない。本気でそう思っていた。ここにはいないラオエルという男の妹、ラニアの死体を見るまでは。
「こ、こいつは……! 」
「思っていたよりも……ひでぇな……」
「多分……1日以上は経っているなコレ……」
彼女のやせ細った手足はベット(ベッド)の四隅に縛り付けられていた。そして体は……
「うっ……ぐっ……! 」
逆流しかけた胃袋の中身を口で必死に押しとどめた。うずくまり、目をつぶっても瞼の裏に今見た光景が焼き付いている。そのどす黒い赤い色が。鼻の奥にしみ込んだ。むせかえるような血の匂いが。
『むごたらしい』。『痛々しい』。『悲惨』。『無残』。『残虐』。そんな口先だけの表現じゃとても言い表すことは出来ない。
信じられなかった。人間が同じ人間に対してこれほど残忍に、残酷になることができるということが。
「この損傷具合から見ると……この『拷問』はレベル40程度の[力]じゃありえねえ。……間違いない。これは貴族の仕業だ」
そう結論付けたウニロ。努めて冷静な声を出そうとした彼だったがその声は震えていた。
「なあ……まずはラニアをベット(ベッド)から降ろしてやらないか? このままじゃ可哀そうだ」
「ああ、そうだな……」
粛々と動き出す薄暮亭に集まった帝都の住人。
「おい下民共! 現場を荒らすな! 」
そんな痛々しい沈黙を破る者がいた。全員が入口を振り返るとそこには豪奢な鎧を着こんだ髭面のいかにも貴族然とした男が立っていた。
「こんな夜遅くに何かと思えば……死人の家でコソ泥と来たか……。全く……最近の帝国市民はここまで堕落したのか……」
ため息をつきながら上がり込んでくる男にウニロはつぶやいた。
「憲兵様……どうしてここに? 」
「なぜ? なぜだと? 通報があったからだ。高額納税を欠かさない善意の高等市民から 『夜の町で空き巣がわいている』とな! 」
「誤解です憲兵様! 見てください! この死体を! 殺人事件です! 」
その声につられて憲兵の男は少しの間、血に染まったラニアの身体を見た。繭一つ動かさず数分考えこんだ口ひげの男はとんでもないことを口走った。
「ふむ……これは『自殺』だな」
直後は誰一人反応しなかった。いや出来なかった。
「憲兵様……? 」
「この女は病に侵されていると聞いた。恐らくは精神病の一種だろう。手足を縛られているのがその証左だ。家族のいない間に魔法かスキルで自分の腸を引き裂いたのであろう。さらに証拠はまだある。この死体が発見されるのが随分と遅れた点だ。なぜ近隣の人間は誰一人この女の叫び声を聞いておらんのだ? 殺されるときまで悲鳴を我慢する者なんておらんだろう。自殺しか考えられん」
通報を受けてついさっきここに到着したはずの憲兵の男は何故か、こっちが伝えてもいない詳しい事情を交えた目茶苦茶な推理をペラペラと話し出した。
誰が見ても聞いても明らかだった。この男は誰かを庇っている。もしくはこの男本人が……。
「…………」
けれど誰一人そのことを指摘しない。自分の足元を見つめて無言で立ち尽くす帝都の住人達は全員が全員小刻みに震えていた。
『義憤』ではなく――――『恐怖』で。
上と下。強者と弱者。守るものと守られるもの。
俺は思っていた。
ステータスがあるならば。レベルがあるならば。モンスターがいるのなら。ダンジョンがあるのなら。
その二つに順番をつける意味は無いって。
――機会が巡ってくれば。
――運が良ければ。
――人よりも時間を費やせば。
――努力すれば。
誰もが最強になれるって。
今なら分かる。
そんなものは理想論で、浅はかで、子供の考えだということ。
ステータスが中心に位置する社会。言い換えると単純明快な暴力の強さで決まる世界。そんな世界で優位性を保持する人間がその優位性を保持するために何を行うのか。そんなの決まりきっている。分かり切っている。
『暴力』による抑圧、管理、制限、迫害、隠蔽、そして虐殺。貴族からしたらなんでもアリだ。
目の前で行われる横暴を許す理由、見て見ぬふりをせざるを得ない理由をウニロたちは一言で言い表した。
敵わないから。この場にいる平民の誰よりも強いから。
俺も身に染みて知っている。レベルの差。ステータスの差は数の優位を凌駕することを。
それこそこの世界の大多数が持つ絶望の正体。
逆転は起こりえない。
成り上がりはあり得ない。
その人物がどこまで登りつめることが出来るのかは生まれた時から決定する。それでもより高みへ手を伸ばす者は上から蹴り落とされる。そんな夢も希望もない、滅びかけの世界。
黒騎士との戦いを経て異世界にたどり着いてからずっと浮足立っていた。歩いていても人に出会っても何か物語の中の世界を外からのぞき込んでいるような感覚がぬぐえず、それこそ友人のやっているRPGの画面を横から眺めているような気分。
心のどこかで常に思っていた。
この世界と俺は関係ない。
俺はこの世界に干渉しない。……いやするべきじゃないし、本来なら出来ない。
だからすぐに動けなかった。奴隷の少女達の扱いを見ても。
体は凍り付いた。俺に抱き着いて『異世界語』で礼を言ってきた全身ボロボロの子供たちを前にして。
楽しみにしていた異世界。リューカから聞いていた異世界をいざ本当に来てみると、お芝居を見ていた観客であるはずの自分が無理やり舞台の上に引っ張り出さられたような居心地の悪さがあった。
そんな俺はようやく理解できた。いや理解してしまった。ウニロたちと出会い彼らと飲み食いをし、話すことで。異世界の人たちそれぞれに生活があり、生い立ちがあり、そして一人の人間として感情があることを。
もう限界だ。
抑えられない。自分の感情を。
俺は背中の袋の中に仕舞った最後の一本のバットをいつの間にか握りしめていた。




