覚醒
東京某所。
警察庁警備局公安特別課――――通称『迷宮課』に与えられたとある一室。
二人の男が会話をしていた。
「……しかしねぇ……赤岩君……さすがにそれは……」
「『課長」……すでに手段を選んでいい段階は過ぎ去りました。一刻も早い情報公開と増員が必要です
赤岩信二。台倭区を中心で発生した第二次迷宮侵攻の現場の総指揮を任された男である。色濃い疲労と心労が刻み込まれた彼の顔はまっすぐと正面の初老の男性を捉えていた。
「……あの……協力者の少年は……まだ見つかってないのかな? 」
「ハイ。彼が『超A級討伐対象』と共に迷宮内に吸い込まれてから……今日で既に1週間が経ちました」
それはまさに迷宮課にとっては絶望の報せだった。
これまでに日本で二度起きたモンスターの大規模な攻撃がどうにか収束したのは、剣太郎――――『少年C』の途轍もない尽力があったからこそ。赤岩を含めた現場で動く職員は全員がそのことを知っていた。
既に彼らは覚悟をしていた。あの『少年』の協力が二度と得られないことを。目の前の特課課長を含めた上層部を除いて……。
「しかしだねぇ赤岩君……ようやく見つけた我が国唯一の『順位持ち』の穴は大きいよ。下手に人手を増やしても……動きにくくなるだけなんじゃないかな? 」
「御心配には及びません。まだ首輪は十二分な量残っています……」
赤岩が言い放った『首輪』という単語。それを聞いて課長は瞬時に白髪交じりの眉を大きく歪めさせた。
「赤岩君……まだあの前時代的で……非人道的な代物を使う気かね? 」
「必要とあらば……」
一切視線を泳がせない赤岩。その剣幕に押されて課長の男はため息を大きく吐いて視線を逸らした。
「今は何人だったかな? 『チャンネルが合った』国民の数は? 」
「少なく見積もっても……数百万人ほどは……」
「さすがにウイルス性の感染症による集団幻覚ではもはや誤魔化し切れる数ではないか……赤岩君」
「はい」
「この案件は上で一度持ち帰る。迷宮関連情報の公開は前向きに検討しよう。それに付随した迷宮関連法案の制定の準備もね」
「ありがとうございます………………では増員の方は? 」
抜け目なく指摘した赤岩。椅子から立ち上がりかけた課長は大きくため息をつきながら座りなおした。
「赤岩君……私はね……この国に『首輪付き』が既に1000人以上も活動している事すら我慢ならないのだよ……。あんな悍ましい実態が国民に知れて見ろ。我々は大義を失うことになるぞ」
「…………課長。一つお聞きしてもよろしいですか? 」
「なんだい? 」
「課長はチャンネルが合っていませんでしたよね? 」
「? ……ああ、それがどうしたんだい? 」
怪訝な顔をする課長。うつむく赤岩。両者の組織での立場と関係性を知っている人間なら明らかにおかしいと感じたはずだ。赤岩の行動はあまりにも礼を欠きすぎている。
「……なら分からない……いや見えないし聞こえないですよ」
「……ん? 」
「国民が叫ぶ悲鳴も……身を国家に捧げて戦う我々のことも……いかに未来に危機が迫っているのかも……そしてこの部屋に『もう一人いることも』……」
「は? 」
この部屋で会話をしていたのは二人の男だけ。それは間違いない。しかし部屋の中にはもう一人いた。息をひそめて赤岩のすぐ後ろにピッタリとくっついた一人の女性。
地球人離れした美貌。灰色の髪。そして新緑の瞳。彼女は手を前に突き出して呟いた。
「【洗脳】……」
「赤岩君! 一体どうい―――――……イエ。ナンデモアリマセン」
興奮を宿していた課長の目は、女性の一言を聞いた瞬間に虚ろになった。一言ボソボソと一切感情が籠っていない発言をした後に床に倒れこんだ。
一連の流れを冷ややかに見つめていた赤岩は女性の方へ振り返った。
「段取り通り……完璧な仕事だ」
「いいのデスか? アカイワ。アナタの発言は全てトウチョウされているのデハ? 」
「俺もこれでもホルダーのはしくれだ。有用なスキルの一つや二つは手に入れたつもりだよ。心配はいらないよ」
ニッコリとほほ笑んだ赤岩に対して女性は冷ややかに彼を見つめた。
「相も変わらず……底が見えまセンね……アナタは……」
「そう言う君ももう結果は知っていたんだろ? その『眼』で。今後何が起こるのかも」
「私の『予測』はそれほど万能ではありまセン。頼られ過ぎても困りマス」
「何十年も組織に協力している君が言うのかい? 」
「……それとこれとは話が別です……もういいデスね? 失礼しマス」
その一室には監視カメラが付いている。もちろん赤岩は把握済み。既に手回しは終わっている。しかし念のためにカメラとしての機能を赤岩は残したままだった。
カメラはとらえていた。床に横渡る公安特課、課長と部屋の出口に向かってにこやかに一礼をする赤岩信二の姿を。そう。二人の男だけを。
ダンジョンでも……日本でもないどこか。
真っ赤な空の下。山肌を削るようにして出来た巨大な城。その中心の広場に置かれた巨大な円卓に、一体の闇妖精が舞い降りた。
「……報告いたします。……1刻ほど前。エクト様がダンジョンの内部で絶命しました」
賑やかだった円卓は一瞬だけ静寂に包まれる。その直後……弾き出されたような勢いの笑い声がその場を包んだ。
「ギャハハハハハハハハハハ! ねぇ! エク……トってさぁいっつも鎧着てたアイツのことだよねぇ? 死んだってマジィ!? 」
「一人でかっこつけてっからこんなとこで死ぬんだよ。バカだなぁ」
「……ダッサ! ダッセェ! 仕切ってたくせに一番最初に死ぬのかよぉ!! 」
「……それで死因は? 」
「……倒されました。……一人の人間に」
闇妖精の言葉で円卓は静まり返った。今度はその静けさを壊す者は一人もいなかった。
「黒騎士は確か……向こう側の世界に行っていたと……そう記憶しているが? 」
「誰なんだ? 倒した人間は? 」
「その星に住む原住種族……人間です」
円卓に座る者たちの反応は様々だった。
ある者は瞠目した。ある者は感嘆の息を吐いた。ある者は目を閉じ思案し始めた。
「確か……黒騎士殿は一対一の戦いにおいては無敵の強さを誇る【スキル】を持っていたと……そう記憶しておりますが……」
「あーそれ私もきいたことあるなー」
「あの男が第一侵攻軍に選ばれた理由だな」
騒めき始める円卓。その中で最初に笑い出した一人の女が呟いた。
「え~でもさあ……聞いた話だけど……アイツって『元人間』なんでしょ? じゃあ負けても不思議じゃ無くない? 人間に」
「初めて聞いた話ですね」
「俺は聞いたことあるぜ。どっかの国の元・英雄なんだろ? 古竜の討伐に失敗して……」
「自分の国が滅んだんだっけ? 」
「……ダッサ。孤高気取っといてアイツそんな奴だったの~? 」
「だから群れなかったのかもしれませんね」
「じゃあ気にしなくていいな! あんな雑魚――――」
卓上が黒騎士を腐す流れになったその時。
一人の少年……というよりも子供が無言で手を挙げた。
3度静まり返る円卓。今度は誰一人喋ろうとしない。無言で卓の中心を見つめて顔を上げようとしない。
まるでそう、恐怖に支配されているように。
少年はほほえむ。あどけなさをかなり残した顔。10歳にも満たないようにすら見える容姿。だが椅子に泰然と座るその様子にはどこか風格が漂っている。
「……発言良いかな? 」
その高い声に反応を示す者はいない。誰一人身じろぎの音すら立てない。
「あんまり好きじゃないんだよね……死んだ人に後から唾吐くようなことさ……」
誰一人声も発さない。
「あーあ会いたかったなーその黒騎士って人にさ……みんな、無口なんだもん。つまんないよ。せっかく目が覚めたのに……」
そんな少年の言葉だけが反響する円卓において一名が声を上げた。黒騎士の訃報を伝えに来た闇妖精だ。
「『魔王様』……一つお伝えしたいことがあります……黒騎士様からの遺言です」
「えーなになに? 」
「『最初の一人は――――と関係している可能性がある』と」
その瞬間、悍ましいほどの魔力と殺気が立ち上った。
円卓に座る者たちはそれぞれの対応を見せた。
成す術もなく血反吐を吐いて倒れる者。
魔法による結界を張る者。
スキルで抵抗する者。
祈る者。
多様な反応を示す彼らは一様に同じことを考えていた。『どうか見逃してくれますように』という。
「ふーん……なるほどね……黒騎士さんが倒されるわけだ……。ねえそこの君」
「……は、はい! 」
「ちょっと遊びに行ってみてよ。あっちの世界に」
「かしこまりました……我が王よ」
1人が消えた円卓の中で尚も一人その少年だけが笑みを浮かべていた。永い眠りから覚醒して、変わった世界を存分に楽しもうとしているように。
3章終わり。
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