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クリア報酬と帰還

 たとえ『最後の戦い』が思い描いていた最悪の想定の数々よりもどれほど容易かったとしても、"死の寸前"まで追い込まれたという事実は変わりない。


 ささくれだった精神を落ち着けるために一つ、深く息を吐く。その途端、強張っていた俺の身体からはフッと力が抜けていった。



「はぁ~……はははは。もう無理だ……一歩も……動けない……」



 体中痛すぎて、信じられないほど疲れきっていて、冗談かと思うほどボロボロすぎで笑いがこみあげてきた。


 誘われるように五階層の地面に倒れこむとどっとまぶたが重くなる。正直言うと、もうこのまま寝てしまいたい。



「ん? 」



 仰向けに寝転がったまま手を左右に伸ばしていると、指先に当たっている何かを認識した。



「何だこれ? 球……? 何でこんなところに? 」



 起き上がって手に取ると、それはちょうど軟式球ほどのサイズの真っ黒な球だった。片手で軽々と持ち上げられるほど軽く、握ればほどよく反発するぐらいには硬く、表面はすべすべとしていて、小さく『金色の文字』が刻まれている。


 ──例の"くさび形文字"が。



「『(おわり)』?」



 その文字の意味を口に出した瞬間、くさび形文字はまばゆい輝きを放ち始めた。その発光は一筋の光線となって、スクリーンに映像を映すように空中に数行の文字列を浮かび上がらせていく。



「『五色の迷宮 クリア』……『発現からの経過時間30年』……『クリア報酬:【鑑定】スキル』……と『上級回復薬』……? あ」



 文字通りあっという間の出来事だった。俺が読み終わった時にはすでに黒い球体は跡形もなく消え去っている。今、球の代わりに掌にあるのは真っ黒な小ビンが一本だけ。



「もしかして……これが『上級回復薬』ってやつか? ふーん……回復薬ねえ? 」



 何度だって言わせてもらおう。この時は本当に、心底疲れていた。普段から大して高くもない判断力が下の下まで落ちていた。何も考えずに、なんの警戒もせずにビンの中身を飲んでしまうぐらいには。


 ――結果的にはそれで正解だったけど。



「……ちょっと苦いが……飲めなくはないか……ん! これすごいな。本当に体力が戻ってる気がする……。それに……え、本当に傷が治っていってるじゃん! 」



 一口飲んだだけで効果はすぐに現れた。


 まず空っぽだった体力がどこかからか湧き出てくる。10時間近く寝た後の元気が有り余っている時のような感覚。今すぐにでも数十キロのランニングに繰り出せるコンディション。


 くわえて節々にあった打撲や、あしの捻り、医師の診断を受けた訳じゃないから断言できないけれど"脇腹の骨折のような痛み"すらも跡形もなく消え去った。


 一番驚いたのは出血のある傷口。まるで自然治癒のタイムラプス映像のように見る見るうちに傷がふさがっていく様子はさすがにちょっと引いてしまった。


 そうして回復薬で感覚が戻って、息を吹き返した数分後。


 俺は目の前に表示された文字列がいつの間にか変わってることに気づく。



「『ダンジョン崩壊まで あと5秒』? 」



 思考が一瞬止まる。


 文字列の意味を理解し、かつてない焦燥感にかられるまで3秒。絶望に包まれて目の前が真っ暗になるまで1秒とかからなかった。



「って……待ってくれ! 俺を帰――――――」



 命乞いのような懇願を言い終わる前に、立っている地面が、岩で覆われた天井が、空間そのものが歪んだ。足元がおぼつかない。世界がねじ曲がっていく(・・・・・・・・)。このダンジョンに飛ばされた時と同じように(・・・・・)


 幸運が続いたのも、ここまでか。


 衝撃が収まるまで強く目を瞑り、俺の体がダンジョンごと崩れ去る悲惨な末路を想像した。ただ待てと暮らせど、そんな最後はやってこなかった。


 閉じた瞼をゆっくりと開き、瞬きを一回する。



「あ」



 視界に映ったそこはもうダンジョン最終階層の暗闇の洞窟ではなかった。


 差し込んだ夏の陽光。


 よく舗装された黒い道。 


 それから、湾曲した落書きだらけのコンクリートの壁。


 すべて知っていた。すべてに見覚えがあった。



「……ああ」



 痛いほど心臓が高鳴っている。願望交じりの期待が大きくなりすぎて胸が張り裂けそうだった。


 振り返って、真っ先に目に飛び込んできたのは見失ったはずだったトンネルの丸い出口。ずっと探し求めていた冒険の終着点。そこから覗く青い空と緑に包まれた野山の景色は間違いなく、俺が見慣れた鬼怒笠村の景色だった。



「ああ! 良かった。本当に良かった……! 」



 自然と瞳が潤んでいく。帰ってこれたという実感が徐々に明確になっていく。


 俺は帰ってきた。帰ってこれたんだ……。 鬼怒笠(きぬがさ)村に……平和な日常に!



「やった……やってやったぞ! 何がダンジョンだ! 何がモンスターだ! 」



 しかし果てしない安堵からくるハイテンション過ぎる歓喜は──



「あははははは! 誰も信じないんだろうなー! ダンジョンを攻略して生きて帰って来ましたなんて言っても! 父さんも! 母さんも! それに爺ちゃ──……」



 ──それほど長続きはしなかった。



「……あれ? 俺ってダンジョンの中にどんくらいいたっけ? 」



 沸き上がった疑問を口に出した瞬間、ダンジョンにいる間ずっとほったらかしにしていた家族の存在を思い出し、加えて『とある重大な事実』に気付いた途端。


 すぅっと冷たい汗が一滴、背中を伝った。



「やっばい……やばいッ! なんて言われ……どうなってッ……ああああ! いや! そんなこと言ってる場合じゃない! 」



 村に帰ってきて早々、まるで回復薬をのんだのはこの時のためであると言わんばかりに、俺は全力で走り出した。


 ダンジョンで戦っていた時間を目算しながら村の景色を眺めている内に気が付いたからだ。



 今が――『朝』であることを。



 少なく見積もっても俺はダンジョンの中で10時間以上は戦っていた。そして視界のくさび形の文字を消しにトンネルに来たのは朝。しかし太陽は沈む様子もなく未だに高い位置にある。


 そこまで考えが及んだ瞬間、ある疑念が頭の中でよぎる。



『もしかして俺って丸一日以上ダンジョンにいたのか? 』と。



 直後、絶望が地獄から生還した歓喜を上回った


 やばい。爺ちゃんは電話で『明日、帰る』って言っていた。トンネルに向かう前に書置き何て何にも残してない。爺ちゃんが返ってくる前にちょっとトンネルに行ってみてすぐに帰ってくるつもりだったから。夜になっても帰ってこない俺を心配して、通報やら、捜索やらが重なって、今頃とんでもない事になっているかもしれない……ただでさえここでは以前に行方不明事件があったっていうのに!


 頭の中でゴチャゴチャといろいろ考えつつ、足を動かす。ダンジョンで培った技術を惜しみなく注ぎ、こみ、どうにか大事になっていませんようにと祈り続けた。


 全速力で走った甲斐もあって体感一分足らずで見慣れた祖父の家に着くと、まず大きく息を吸って吐いた。


 落ち着け。あの豪快な爺ちゃんのことだ。事情を話せば絶対に分かってくれる。さすがに正直には全て言うことは出来ないだろうけど……そこはもうなるようになるしかない!


 開ける前に何度も何度も頭の中で謝るシミュレーションをしつつ扉に手をかけて。



「……ただいま」



 小声で帰還を知らせる。だけど、誰も反応しない。


 誰も、いないのか……?


 それとも、まさか……!



「今も俺を探してる? 」



 身を投げ出すような勢いで一気に家へと上がり込んだ。



「爺ちゃん! ごめん! 俺だよ! 俺! 剣太郎! 今帰ってきたよ!! 心配かけさせて本当にごめん!! 」



 叫んだ。内側で渦巻いていた言葉を全てさらけ出した。喉がかれるぐらいの大声で自身の無事を知らせた。


 だが俺の声には誰一人として反応しない。家の中は完全に無人なようだ。



「どうしよう? どうする? これから? 」



 頭をくしゃくしゃとかき乱しながら自問する。しかし焦りがさらなる焦りをよんでなかなか思考がまとまらない。



「そうだ! まずは村役場に行って……誰かに……このことを伝えて──」



 ようやく次の手が思い浮かんだその時。



「──え? 」



 玄関から人の気配がした。


 

「誰だ? ヒロ叔父さん? もしかして警察の人とか? 」



 思考を優先するあまりリビングの中央で完全に固まってしまう俺。そんなことはいざ知らず"その人"は無造作に家の中へと上がり込んできた。



「うぃ~今帰ったぞお~剣太郎! 約束通り寿司ももらってきたぞー! 」



 白髪交じりの灰色の髪と、叔父さんと似た人好きのする顔立ち。その顔を孫である俺が見間違えるはずがない。そこには何故か上機嫌な顔の爺ちゃんが立っていた。



「は? 」



 何だこれ? 


 頭がおかしくなりそうだ?


 それとも俺の頭がおかしくなったのか?


 いったい今、何が起きている……!?



「何で……じいちゃん……どうして……今……」


「おいおいどうしたんだ、剣太郎。そんな青ざめた顔して……? あれ? 爺ちゃん電話したよな? 明日になったら土産持って帰ってくるって……昨日(・・)の夜に」


「き、のう? 」



 刹那、弾かれたように視線を動かす。


 真っ先に飛び込んできたのはテーブルの上に置いてあるカレンダー機能付きの卓上電子時計。


 時計には、下山トンネルに向かった2度目の日付と、その日の朝に家を出てから20分も経っていない時刻が表示されていた。



「……ッ!? 」



 思わず叫びそうになった。


 ありえない。ありえない。ありえない! そんなことはありえないんだ、絶対に! 


 この時計をすべて信じるっていうなら、俺がダンジョンにいた時間は5分も無いじゃねぇか!


 信じられるか!? あの全ての戦いがたったの5分で済んだって! 


 ……いや待て。そもそもダンジョンやモンスターなんてものが現実にあると信じている方がおかしいんじゃないか? それに、よくよく考えたら、ダンジョンにいた証拠何てなにもなくないか? 体の傷は治っちゃったし……。モンスターは死ぬとき身体が煙になるからバットにも汚れも何もついてない……。あるのは……記憶だけ? 



 アレ……?



 もしかして俺、本当に”悪い夢”でも見てたのか……? 



 動揺を全身で表現し、少し心配そうに微笑みかけて来る爺ちゃんの眼を虚ろに見つめ、激しい頭痛に苛まれた頭を抱えようとして、ようやく知覚する。



「あ」



 ずっと左手に握られていた『黒い小ビン』の確かな感触を。


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