『少年C』のことをどう思っていますか?
頭はとうの昔に限界だった。
魔王の鍵。その送り主。
いつか来るXデー。
子供のころの記憶。
夢で出てきた二人。遊び相手と戦い方を教えてくれた人。
ネット上でどんどん拡散していく『顔を隠した俺』。
考えることが多すぎた。一体どこから手をつけていけばいいのかすら見当もつかないというのが正直なところだった。
そんな中、目の当たりにしたモンスターによる宣戦布告。
唐突に始まったXデーの事前段階。
声と共に黒色の魔力を解き放つ黒騎士。
薄く引き伸ばされた影の状態から徐々に厚みと形を得ていく魔力。
影から産声をあげる多種多様なレベル100以上のモンスター。
上記全ての出来事が10秒にも満たない時間で起きた。
一目見ればわかった。この量のモンスターを1分でも自由にさせたら大和町には何も残らず消滅することを。
――――それは俺の知り合い、友人、家族全員の死を意味する。
「……『獄炎』!! 」
させるか。そんなこと……許すわけねえだろ!
渾身の魔力をこめてつくった。空にまで届きそうな火柱。俺の魔力を食らい続けて巨大化した炎は青い空を一瞬光で覆いつくす。
黒色のモンスターの大軍は瞬き一つする間に消し炭へと変わった。
「ほう……中々の火力だ……」
だが予想通り。黒騎士は燃やせない。火傷を負わせるどころか傷一つ付いてない。
「やはり……侮れんな……ファーストブラッドよ」
妙な感覚だ。あんなに遠く高くに見えるのに、まるで耳元でささやかれてるようによく聞こえる。
「黒騎士。今いるのはアンタ一人だけなのか? 」
「肯定する。現在こちらの世界に渡ったのは私だけ。先ほど君が焼いたのも私の影。第一侵攻軍の軍とは私個人のことを指し、そして私一人の存在は軍団にも匹敵する」
「なら……アンタ一人を倒せれば今回は俺たちの勝ちってことか? 」
分かりやすいほどに空気が一気に張り詰めた。
見上げる俺。兜越しに見下ろす黒騎士。にらみ合いが続いた時間は数秒にも数時間にも俺には感じた。
本当は無駄に挑発する意味なんて何もない。対話なんかする前にさっさと攻撃するべきだ。だけど俺の【鑑定】が見抜いた情報が正しいのであればこの問いにも意味がある。
睨みつける俺を見て黒騎士は甲冑の音を鳴らして小首をかしげた。
「そういうことになる。……できればの話だが」
その瞬間、俺と黒騎士の一対一の戦いの火蓋は切って落とされた。舞台は台倭区上空。邪魔者はいない。それだけは確か。【鑑定】スキルは示していた。黒騎士が常に陥っている状態異常『狂化』は噓が吐けなくなる副次効果があることを。
台倭神社に魔王が現れた夜。仲間を失おうと、レベル90の悪魔の軍勢が現れようと恐怖することはあっても守るべき民間人の盾であり続けた迷宮課の面々は完璧に絶望していた。
太陽をも覆いつくしかけるモンスターの群れの黒い大きな影。数百体のレベル3桁のモンスターが現れたその瞬間を見たことによって。
彼らは知っていた。アメリカ北西部で2週間前に起きた大惨事のことを。
レベル120の4体の巨人が巻き起こした一つの都市の完全なる破壊。『新兵器実験中の事故』として表向きには処理されたその災厄。たった4体のモンスターを国から退けるまでに発生した死者は最低でも十万人と見積もられていた。
その時に全世界の迷宮の存在を感知し対処してきた者たちは思い知った。自分たちの現状の無力さを。このままでは『Xデー』を乗り越えられないこと。モンスターには従来の通常兵器が想定よりも遥かに効きにくいこと。
そして何よりもレベル『3桁』のモンスターが一般的なホルダーでも戦える『2桁』のそれと文字通り次元が違うということ。
各国は競い合っていた。レベル3桁のモンスターを打倒しうるレベル3桁のホルダーを生み出すという一つの目標に向かって。
だが『迷宮課』は、
公安は、
日本の秩序を守るはずの集団は間に合わなかった。
突如襲来したレベル3桁の軍勢。それも日本を征圧するとまで宣言したモンスターに対して彼らの中での最高レベルは91。来るべき『Xデー』に備えて血反吐を吐きながら積み上げた数字に対して、彼ら自身でさえも自負はあった。
しかし今は戦うまでもなく分かる。
一瞬で殺される。なすすべもなく蹂躙される。
数もレベルも大きさすらも勝る相手に矮小な人間がどう勝てるというのか。
唐本舞は膝をつきかけた。柏田玲の顔からは表情が抜け落ちた。赤岩信二は『第一侵攻軍』という言葉を聞いた瞬間から微動だにしなくなった。
その時その場にいた全ての18歳以上の人間は感じた。明確な死の形を。その直後に始まる地球最悪・最大規模の大虐殺が起こった近い未来の日本の姿すらも。
唯一、戦隊ヒーローのお面というふざけた格好をした一人の少年を除いて。
実を言うと、今まで『迷宮課』は彼ら自身が名付けた『少年C』と呼ばれる高校生の男子の持つホルダーとしての実力を正確に把握できていなかった。
あの台倭神社でいくつもの悪魔を相手に無双の活躍を見せた『少年C』。
何十人もの戦闘班の命を救った『少年C』。
そして最後にはたった一人で魔王をも打倒して見せた『少年C』。
しかしそれら全ての光景は、悪魔と戦いながらであったり、民間人の救出活動中であったりで急迫した状況を通してのもの。『少年C』の戦いを一から十まで見物できた人間はおらず、助けられたという人間の記憶も曖昧だった。
『迷宮課』は期待していた。『少年C』がレベル3桁の壁を超えていることを。しかし彼は何らかの力でそのステータスも顔も隠して、おいそれと調べることも叶わない。
さらに言えば迷宮課の『少年C』との関りがほとんどない面々は疑ってすらいた。もしかしたら『魔王』を倒せたのもたまたまなのではないか、と。
あの祭りの日から迷宮課は『少年C』の話題で持ちきりだった。なぜあれほどまでに強いのか。本当に強いのか。どれほど強いのか。なぜなんの義務も持たない男子高校生ながら自分たちのことをこれほどまでに助けてくれるのか。
答えの出ない疑問に花を咲かせながらも『迷宮課』はどこかで『少年C』にどこかで冷めた感情を持っていた。それは公務員特有と言うか警察組織特有の何事も穿って見てしまうモノの見方による弊害。どうしても信じきれなかった。
高校生が大人を救うという構図を。
日本で一番強いのが男子高校生であるという現実を。
そんな『少年C』に対する感謝や、嫉妬や、期待や、疑いや好意を含んだありとあらゆる感情は彼が放った一つの魔法によって全て塗りつぶされた。
それは『炎』と言うにはあまりにも巨大で、荒々しく、熱く、破壊的で、暴力的で神話的だった。
その場にいた全員が感じた。モンスターの大軍を見た時以上の『死』の予感を。だがそれが続いたのはほんの一瞬。すぐに変わる。力強く、心強い魔力の波動に。
大人たちの視線が集中する中で少年は啖呵を切った。『お前は俺が倒す』と。
それに絶対強者は答えた。『さすがはファースト・ブラッドだ』と。
ファースト・ブラッド。その言葉の持つ意味は重い。
それは迷宮課を含めた全世界のダンジョン関連組織全ての悲願。
それは国を挙げてどれだけ探してもし探しても見つからなかった地球で唯一存在するはずの≪称号≫。
それは地球人類に残された数少ない希望の中で最高の輝きを放つ一番星。
その時その場にいた迷宮課の全員が魔法で空に浮き上がった少年の姿を見て確信した。
『少年C』こそが――――救世主だと。




