赤岩という男
その日はたまま1限の授業が自習になった。
監督の教師が私用を思い出し職員室に何かをしにいっている間、朝一番の眠気で空気が死んでいた教室は活気で包まれる。それは隣の席の海斗も例外じゃない。
「剣太郎! また出たらしいぜ。『お面の男』が! それもまた台倭区内に! 」
「あれ? そんな名前だったっけ? 」
「呼び方なんてどーでもいいんだよ! 今度こそ台倭神社に現れたのと同じ本物なんだから! 」
ドキッって音が聞こえたかと思ったほど。自分で思ったよりも俺の心は大きく反応した。一つだけ。海斗の発言の中に聞き逃せない部分を見つけたから。
なんだ? 今、海斗は『ホンモノ』って言ったのか?
「『本物』って……まるで『偽物』でもいたみたいな言い草だな? 」
「いや……実はそうなんだよ。ちょっと前にネット上で俺が『本物』だって名乗る偽物が沢山出てきたんだよ。最近はもう沈下(鎮火?下火になった?)したけど」
「おい……おいおい……おいおいおいおい。そんなことになってたのか……」
呆れよりも怖さが勝った。正体はまだ分かっていないとはいえ俺を騙る偽物が知らないうちに現れたと聞いてあまりいい気持ちはしない。それどころか心配だ。何か変な事してないといいけど。
そう、例えば……
「その……『偽物』は捕まったりしたのか? 犯罪とかしてさ」
「いや? そんな噂は聞いてないけど? ただまあ炎上したなちょっとだけ。売名だかなんだか言われて」
それを聞いて俺は息を一つ吐き、胸をなでおろした。
よかった。最悪の事態は起こってないみたいだ。でも……個人を特定できる特徴はもう捨てた方が良いかもしれない。
今後の”身の振り方”について考えようとしていると、海斗は仕切りなおすように顔を振り目をキラキラと輝かせた。
「まあそんな『偽物野郎』のことなんてどーでもいいんだよ! 『本物』の話しようぜ。昨日結構な人が見たらしいぜ。あの『お面男』と『バカでかい鳥』が戦ってるところを……隣町でさ! 相変わらずちゃんとした『映像』はないらしいんだけど……――――」
友人の熱がこもりまくった、恐らくはネットで得たであろう情報を片耳で聞き流しながら、つられるように俺は思い出していた。
昨晩あったこと。
木ノ本と別れてからの顛末――とある人物との本格的な邂逅を。
台東区上空に現れたモンスターの一群の討伐後、事後処理に追われる迷宮課の様子を付近の警戒をしつつ眺めながら、俺は唐本さんとちょっとした立ち話をしていた。
「城本君……また強くなったの? 」
「今ちょうどダンジョンから帰ってきたところなんですよ。新しいスキルも手に入ったんで……まあそれで」
「そ、そっかあ……ねえ聞いてもいい? 」
「なんですか? 」
「もしかして週1以上ダンジョンに入ってたりする? 」
「最近は全然。多くても週に2,3回ですかね。……前は1日1回以上は行くようにしてたんですけど」
「いッ!……1日1回……! 」
急に黙りこくったこの場で唯一顔見知りの人物の方へ俺は振り向いた。戦隊グリーンのお面越しに見た彼女の顔は夜空の一点を見つめ、遠い目をしたまま固まっている。まるで信じられないことを聞いた時の様に。
「あ、いたいた! 舞さーん! 今、見分終わりましたー! 被災者0っス! これでもう14回連続です! 」
そんな無言の時間を破ったのは元気な女性の声。声のした方を見るとどこかで見覚えのあるような迷彩服を纏った女性がこっちに向かってきていた。活発そうな雰囲気で顔は美人と言うよりもかわいい系。髪はショートカットで拳にはボクサーがしているような白いバンテージが巻かれている。
「玲……現場では『舞さん』は辞めてって言ったでしょ……? 」
「まあまあそんな硬い事言わずにー……あれ? こちらの方はもしかして? 」
そろそろ完全に場違いだなと思い始めていた丁度その瞬間、自分にまさかの注目が向けられた。
「そ、彼がアンタの会いたがってた『少年C』。あまり失礼のないよ――――」
「おおー! 『少年C』! お久しぶりっす! 」
唐本さんが最後まで言い切らないうちにその女性はいきなり目の前へ現れた。なんだ? やっぱりどっかで会って……あ!
「……もしかしてあの時の台倭神社にいました? 」
「そうっす! 危ないところを君に助けられた者です! ずっとお礼が言いたかったんです! ありがとう! 」
俺の両手をつかんでブンブンと握手する見知らぬ女性。近くで見るとよく分かる。随分と若そうだ。
ギリ大学生……くらいか?
「ほらほらあんまり未成年にベタベタ……ああそういえばアンタも……」
「そうですよー! 私もまだギリギリ未成年なんですからねー。……もう23歳の舞さんと違って」
「……は? 」
「……と、とまあ怖い先輩は置いといて……改めて助けてくれてありがとうございます! 私の名前は柏田令。戦闘班所属で主要スキルは【拳闘術】っす! 」
嵐の様に一気に自己紹介がなされ、その勢いに思わず自分の名前を言おうと口を開きかけた。
「おおっっと! 正体は隠してるんすよね? 大丈夫です! 分かってますから! 」
そう柏田さんに静止されて何も言えなくなった俺。
あれ? そういえば俺ってなんで名前も顔も隠してるんだっけ? まあ身バレしたら今よりも確実に面倒なことになる気もするんだけど……公安の人たちなら別に……。
「随分楽しそうだね。私も入っていいかい? 」
そんな時、1人の男が現れた。
喪服の様な黒いスーツ。撫でつけられた白髪交じりの髪。年齢は30代のようにも50代のようにも見える顔には何とも言えないうさん臭さと信用の出来なさが張り付いている。
「あんたは……たしか……」
「こうして会うのは祭りの日ぶりだね『少年C』。ボクの名前は赤岩信二。いちおうここ、要注意地域の一つである台倭区での迷宮課の活動を指揮する立場にある。改めてよろしく」
一見ではにこやかそうな男。握手のために手を出す様子は無い。周りを見るとさっきまでは明るく話していた柏田さんも唐本さんも、この人に関して何か思うことがあるのか。あまり好意的では無い視線を向けていた。
そうだ。思い出した。俺が顔を隠そうと思い、公安と距離を置こうと思った理由の一つを。
この赤岩という男の存在。あの日、台倭神社の裏手で写真を見せられた時から何故か信用できなかった。この人が何かを隠しているように思えたから。
「その『お面』……ずいぶん気に入ったようだね……。実は古村君も今こっちに来ている。覚えているかい? 物体の強化の魔法を保持している『少年A』だ。もしよかったら後でその『お面』の強度も上げてもらうといい。そのバットと一緒にね」
「それは……ありがたい話ですね……」
全く何を考えているか分からない、つかみどころのない口調だ。その親切も本当に素直に受け取っていいのか俺には判断できない。何を考えている? 本当にこの人は俺の味方なのか?
俺の返答を最後に、嫌な間が空く。
互いに互いの出方を探っているような妙に緊張感が漂う時間が流れた。
「赤岩さん……どうして今日は? 来る予定は無かったはずですよね? 」
固まった空気を解きほぐすように言葉を挟む唐本さん。彼女のその言葉に一瞬うつむく赤岩さん。その逡巡するような表情は、まるで『話してもいい事』を選んでいるかのようだった。
「……ふむ唐本の疑問は最もだ。まあ察しはついていると思うんだが俺が今日ここに来た理由は君だ『少年C』。君に会いに来た」
「……何の用ですか? 」
「最初に謝るよ。あの祭りから随分時間が経ってしまったことをね。いい加減我々も少しは君に説明すべきだと思っていてね。今日本……いや世界で何が起こっているのか……モンスターとダンジョンについての恐らく君が知らない話をね」
俺はそう言い切った赤岩さんから始めて感情らしい感情を見出した。それもほんの一瞬だ。もしかしたら気のせいの可能性すらある。
だけど俺の眼には……
『モンスター』と口にした瞬間の赤岩さんは明らかに『激怒』しているように映った。




