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動き出す巨影

「……はぁ……はぁ……はぁ……」



 荒れる息。空間の歪みと転移を肌で感じ、足の裏でアスファルトの硬い感触を受けとめる。


 安堵の思いが胸いっぱいに膨らむのと同時に膝から前へ崩れ落ちる。もちろん背中に乗せた身体は落とさないまま。



「はぁ……はぁ……おーい木ノ本……日本に戻ってきたぞ……」



 そう呟くと背後からもぞもぞと動く感触がある。長い髪が首筋をなで、小さな吐息が頬にあたった。



「んぁ……なぁに? ……んぇ……え! 剣太郎くん! 何で!? 」


「おいおいもしかして記憶喪失とかか?……見たところ状態異常はかかってないみたいだけど? 」


「あ、あぁ~……そうだ……そうだったね。剣太郎君は身体は大丈夫? まだ固まってない? 」


「【自動回復】もあるし俺は平気だ……そう言う木ノ本は大丈夫なのか? 」


「うん……ちょっと眠いくらい……心配してくれてありがと」


「それが約束だったからな」


「それはそっちが勝手に言ったんだよ~。私は助けてって頼んでないもん」


「おいおいおい、そりゃぁ無いぜ。木ノ本さん」



 俺が変な声を上げて抗議するとクスクスと笑い出す木ノ本。


 なんだ? 随分と上機嫌だな。まあそれもそうか。あんな危険なところから無事に帰ってこれたんだもんな。



「笑ってごめんね。……本当にありがとう剣太郎君。結局あのラスボスは一人で倒したみたいだね。最後まで足引っ張っちゃった」



 本来ならこのままのっかるか、適当に流して、互いに自分たちの無事をただただ純粋に喜びあいたいところ。


 でも今の発言はすごく引っかかった。特に『足を引っ張る』という部分が。俺は息を一度吐いてから自分の考えることを正直に正面から木ノ本にぶつけることにした。



「木ノ本。そんなこと二度と言うな。お前は紛れもなく俺の命の恩人なんだ。このままだと俺は恩人に謝らせるようなクソ野郎になっちゃうんだ。それだけは覚えといてくれ」


「……っ! ……………………すごい大げさ……だね。なんか剣太郎君って意外とセリフ口調っていうか……芝居がかったこと言うよね。10月のお祭りに花火持ってきたりとかさ……」


「……な! お、おいそれは勘弁してくれよ……中学は部活漬けで、高校は本ばっかり読んでたから……」



 顔を見合わせない状態でイジってくる木ノ本。この人って本当はこんなキャラだったのか? 



「ふふ……ごめんごめん。私……今ちょっと変かも。命の恩人なんて言われちゃったからさ……なんか久しぶりに頑張った甲斐(・・・・・・)があったっていうか……報われた(・・・・・)っていうか……」


「おいまださっきのことイジってくるのかよ! もう勘弁してくれよー」


「いや……今のは冗談じゃないよ。本当に私の本音。すごい嬉しかった。そんな風に言ってくれて。でも私からも一つお願い。剣太郎君は私の命の恩人ってことも忘れないでね? 」



 背中から降りた木ノ本の方へ振り返った俺は彼女とバッチリと視線が合った。


 夜風に強くなびくポニーテール。


 ゆらりと揺れた前髪。


 異界の洞窟に数時間いたとは思えない白い肌。


 トンネルに差し込む月光でキラリと照り返す、笑みをたたえた唇。


 意思が込められた大きな目。



「うぐっ……」



 うめき声をあげて思わず視線を逸らす。


 やっぱり反則だな。美人って奴は。よくぞ今まで意識の外に置けてたよ俺。


 そんな無言の間を破ったのは一つの着信音だった。


 ポケットをごそごそと探ると日に日に画面割れが酷くなっている俺のスマホがブルブルと震えていた。一度木ノ本に断りを入れてから俺は電話に出た。



「……もしもし? 」


『……よかった。つながった』


「唐本さんじゃないっすか……どうしたんですか? 」


『城本君。約束の情報提供だよ。台倭区、鋼村山町1番地の駅周辺で大型モンスターが20体ほど出るって情報が出たの……私達はもう急行してるけど……城本君はどうする? 』


「………………」



 即断はできなかった。なぜなら今やレベルが25のホルダーである木ノ本がすぐ隣にいるから。


 一瞬口から出そうになった。こちらをポカンとした様子で見ている木ノ本に向かって。一緒に行こうって。


 だけどよく考えろ。そもそも木ノ本は俺の不注意や油断や実力不足や不運やその他もろもろの事情が重なり、状況に強制されて保持者(ホルダー)になったんだ。


 それを俺がこっちの危険な世界にもう一度彼女を引っ張り込もうって言うのか。まさかまたダンジョンに連れて行く気なのか俺は。自分の命すらもろくに守れなかったのに? 一度は自分の命すら諦めたのに? 結局は木ノ本にケツを拭いてもらったっていうのに?


 この期に及んで木ノ本を俺のそばに置こうとしているのか? 


 何様だ。俺は。


 まだうぬぼれているのか?


 もう一度思い出せ。『あの日』のことを。


 俺が所属したチームがどんな結末を辿ったのか。


 長い時間を共有した仲間にどんな影響を与えるのか。


 迷宮探索とモンスター討伐も同じだ。


 やってみなくても分かっている。


 絶対にろくなことにならない。


 噛み締めろ。


 リューカの時は一時的に、たまたまうまく行っただけってことを。



「わかりました……俺も行きます。その代わりに一つ頼みたいことがあります。良いですか? 」


『もちろん。公安(わたしら)の君への対応方針は変わってないからね』


「一人保護してほしいホルダーがいます。俺と同い年の女子です。でも条件があります。彼女の意思は絶対に尊重すること。何かを決める前に彼女の意思を最初に確認すること。彼女に協力を無理強いしないこと。それだけは約束して欲しいです」


『約束を守らなかったら……てこと考えると背筋が凍るね。分かったよ。場所さえ教えてくれれば女性職員を一人送る。それでいい? 』


「助かります。住所は後で……」



 電話を切った後に木ノ本は不安そうな顔で俺を見つめていた。自分でも分かっている。これが無責任な決断だってことは。


 けれどこれが考えられる中で一番だ。


 勇敢で、


 優しくて、


 責任感があって、


 機転が利いて、


 ゲームの世界にもなじみがあって、


 他人のために自分の命すら投げ出してしまう木ノ本絵里の安全を確保するためには。



「今から大人の女の人が一人ここに来る。安心して欲しい。その人はれっきとした公務員だ。それも俺達と同じホルダーの。言ってなかったけどダンジョンに関しては国もちゃんと動いてるんだぜ」


「……剣太郎君? 」


「多分女子同士なら悩みとか、不便さとか、今後に困ることとか、必要な事とか向こうもしっかり分かってるはずだから色々質問できると思う」


「ちょ、ちょっと待ってよ! 剣太郎君は! 剣太郎君はこれからどうするの!? 」



 語気が強まる木ノ本。いい加減俺も彼女が何を考えているのか少し分かるようになってきた。その大きな目には『心配』が詰まっている。


 まったく……情けないな俺。同い年の女の子一人だって安心させることが出来ないのか。



「俺はこれからモンスターを倒しに行く。実はすぐ近所に出ているんだ。木ノ本も見ただろ? 今日本ではあの台倭神社と似たようなことがあちこちで起こってる」


「それって……本当に……剣太郎君が頑張らないといけないことなの? 」



 驚いた。そんなことを考えたのは初めてだったから。しばらく考えた後俺は自分の行動原理に冗談交じりで、こう結論付けた。



「俺は皆を救える力がある。だから使いたい。出来る限り救える人は皆。俺が何も気にせずに夜ぐっすり眠れるようにな」





 剣太郎は夜空へと飛び出した。トンネルに1人絵里を残して。


 上級ダンジョン攻略と言う一つの大きな試練を経て仲が深まった二人だったが両者の吐き出した想いは決定的にズレていた。全ては剣太郎の鈍感さ(・・・)の招いた事態ではあったが。


 絵里と別れた後、意識は全てモンスターへと向いていた剣太郎。その事も影響したのか、下の様子を上空数千メートル上から覗いていた者たちがいることを剣太郎は気づかない。



「あれか……あの闇妖精が『真美眼のペンダント』を持ち出してまで殺そうとした『最初の一人(ファースト・ブラッド)』とやらは」


「そのようです。ようやく見つかりましたね」


「全くだ。もう少し目立った動きをすると思っていたが……想定外だ」


「あの堕天使も彼が倒したようですよ」


白いの(・・・)はしょせん生まれて100年も経っていない幼体。魔王としては雑魚の部類だ」


「さすがはエクト様です。どうしますか? 今殺しますか? 」


「あともう少しで我らが『魔王』も目覚める。それまでは待つ」


「慎重ですね。待ってる間に彼も強くなっている可能性もありますよ」


「それならそれでいい。()は上等な方が王も喜ぶ」



 その会話は誰の耳にも届かない。絵里の耳にも。剣太郎の耳にも。もちろんダンジョンもモンスターのことも何一つ知らない台倭区民達にも。


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