彼女の魔法
「『ファイアーボール』!! 」
逃げ回るだけなのは癪だ。初めて攻撃を女帝に向ける。魔力34万で作られた火球。食らったらレベル3桁であろうとひとたまりもないはずなんだが……。
「ふん! この程度」
腕一本で弾かれた。俺の渾身の魔法が。
こんなにも……! こんなにも下がっているのか! 俺の魔力は!
内心のショックを隠せず、足の膝に拳を打ち付ける。だけどそんなことをやっても俺の両足の重りは外れることは決してない。
「……そっちがその気ならば……少々遊んでやるかの? 」
しかし今の小さな一撃が無駄だったわけじゃない。向こうをその気にさせて、俺に意識を強く向けさせることには成功したようだ。ついに玉座から立ち上がった女帝はゆっくりと俺に向かって近づいてくる。
ってもう2個目か!? いいペースだ木ノ本! その調子で……
「一体どこを見ている……! 」
一瞬に。
1秒を何百にも分割したようなわずかな隙に。
同行者の素晴らしい動きに気を取られた間に。
数百m近くあった彼我の間合いが完全に消え失せた。
「ぐぉぉッ!? 」
すかさず俺の身体を打ち据える蛇女の左手。なすすべもなくふっとぶ俺。小蛇の集合と化した壁に包まれた体は何千にも重なった激痛に苛まれる。
耐久力を上げたおかげで信じられないほどに頑丈になった俺の身体。しかしナイフを打ち付けられて無傷という段階にはまだ至ってはいない。
それだけ切る、刺すという行為に対して生き物が弱いということだろう。こんなレベル1の蛇の牙でさえ小さなキズができることは免れない。だが……
「【自動回復】! 」
傷はスキルで治せる。腹部に食らった蛇女の一撃も小蛇の噛みつき攻撃も。
「……【炎熱魔術】! 」
俺が回復と重ねて発動した火の魔法でリトル・スネークを焼き尽くす様子を無感情に眺めていた蛇の女帝は口端をにゅーっと持ち上げた。
「ほう……そのようなスキルまで持っていたのか……だがその回復系スキルでもその石の両足は治せぬようだな……? 」
まるでこっちの考えていることなんてお見通しと言わんばかりに、くつくつと笑みを浮かべる蛇女。その余裕綽々の笑顔を怒りに変えるべく俺もつられるように口の端を歪めた。
「お前を……倒すのには……ちょうどいいハンデだ……」
「はっ! 減らず口を……! 」
「ぐはぁっ! 」
再び放たれる掌底。口から出る胃液と血液の混合物。だがこれでいい。もっと俺に近づけ。もっと怒れ。俺から目を離すな。俺を見続けろ。
そうしたらやってくれる。木ノ本が今に……ほら! もう3個目だ!
「さあ来いよ! 蛇女! 俺は逃げも隠れもしねえぞ! さっさと全身を石に変えてみろよ! 」
尚も挑発を続ける。そうだ。忘れるな。俺の役目は囮役。すべてが終わるまで俺は生きていさえいればいい。この蛇女を倒し切るだけの力さえ残ってりゃあいい。
「のう小僧一つ聞いても良いかの? 」
「なんだよ蛇女」
「まさか……妾が気づいてないと思ったか? 貴様が『人知れず壁の中の目を破壊』していることをの」
「……ッッッ!! ……きの……───」
「それが合図なのかの? 使い魔か? 霊体を使役するスキルか? はたまた何かの魔法か……? 」
木ノ本。そんな短い一言すら最後まで言えなかった。俺の体は3度蛇の女帝の拳を受ける。
衝撃で宙に浮き上がった俺はスキルを使おうとした。『超反応』か『瞬間移動』。【疾走】スキルで使える何らかの移動の技を。しかしできなかった。スキルを封じられたわけではない。魔力が切れたわけでもない。
「動かな……」
「お望み通り石にしてやったわ。まだ……半分だけじゃがのう」
下半身が丸ごと!? いつだ!? いつの間に!
石へと変わった文字通り体の半分を見て目を見開く。それが何を意味するのか。俺はこの瞬間に痛いほど分からされた。
動けない。逃げられもしない。一歩も!
「あえて見逃してやった……そのことをわからなかったようじゃな。そして錯覚もした。妾の魔眼が壁の中だけが機能する『本物の魔眼』であると……の 」
「なん……だと……? 」
蛇女は……うずくまった俺の首に手をかける。
俺の首は持ち上げられるとともに締め上げられた。
「魔眼は合計6つある。壁の中の4つ。そして妾の両目。対象の四肢を石化するのは確かにこの壁の中の目じゃ。しかしそれだけでは全身を石に変えるには不十分」
くるっ……息が……できない……!
「この両目も石化の魔眼ではある。但しその役割は壁のものとは違う。この両の目は見たものを瞬時に石にすることは出来ないかわりに、石化した部分を押し広げることが出来るのじゃ」
「は!? 」
「まあつまりのぉ……お主の体が壁の目に捉えられた瞬間から貴様の敗北は時間の問題じゃったというわけじゃ」
そんな……。
可能性が……。
俺たちが生き残れる……唯一の光が。
今かき消えた。
首はなお一層絞まる。石化も胸の位置まで迫っている。意識がどんどん……遠くなる……。
そうだ……。
きの……木ノ本……は……今……どこ……に?
「おやぁ4つ目も壊されてしまったのお。どんな手品を使ったかわからんが小僧。一ついいことをおしえてやろう。あの目はなだいたい一刻もしないうちに再生される」
「……え」
「だ・か・ら。お主の努力は……全て……無駄……じゃ」
腕から力が抜け落ちる。欠片だけ残っていた魔力も体から消え去った。
無理だ。もう勝てない。完全に終わりだ。ごめん。約束は果たせなかった……。ごめん木ノ本。俺には助けられなかった。
「……──あ」
思考を放棄すると周りがよく見えた。
ああ見つけた。あの壁際にいるトレーニングウェア姿の女の子。木ノ本絵里。
俺と同じ大和第一高校の生徒。
海斗の彼女。相沢ひかりの友達であり同じ陸上部に所属。県の代表に選ばれるほどの実力を持つ。
そして姉はゲーマーらしい。
思えばこれだけしか知らない。彼女のこと。こんなにも迷宮の中を長く彷徨ったというのに。
ああ……まだ俺は木ノ本について知っていることがあった。悪魔を前にしても女の子を助ける度胸。こんな場所に取り込まれた後も明るく振る舞い続け、俺を勇気づけ、最後はボスを前にして大仕事を買って出てくれた。
なんでなんだ? 木ノ本。俺を助けることが結果的に自分を助けることだって判断したのか? それと何か別の意図があるのか? なんで今もこっちに向かってるんだ?
陸上の素人の俺でもわかる。
きれいなフォームだ。
重心がぶれない。
……そういえば……木ノ本って走るときは髪結ぶんだな。
どうでもいいことを酸素の行き届かない脳が認識した。ゆっくりと流れる時間の中でひたすらその瞬間を待った。体が完全に石に変わるのが先か、首の骨が折れるのが先か。
あれ? なんだ? 何か違和感がある。なんだこの感覚は……? どんどん強くなっていく……この熱は?
「何じゃ!? どこからじゃ!? この[魔力]は!? 」
首の締め付けが一瞬緩んだ。俺は即座に首を動かして……驚愕した。かすれる声で呟いた。
「な……何で……木ノ本が……魔法を……? 」
それは間違いなく俺が知る、ホルダーではないはずの女の子から発せられた魔力だった。それもかなり大きい。4万近くはあるかもしれない。
「なるほど! そういう絡繰じゃったか! この場にまさかそれほど貧弱な存在がもう一人潜んでいるとは! ひそひそと力を蓄え、今の今まで隠れて目を破壊してたのは貴様だな! 小娘! 」
力を蓄え? さっきまでホルダーじゃなかった木ノ本がどうやって?
…………そうか、リトル・スネーク! あれを倒したことで木ノ本はレベルとステータスを得た。さらに木ノ本はレベル3桁のボスモンスターを一部であっても4箇所も打倒した。その膨大な経験値を使って……それにしても、なんで[魔力]に!?
「何でだ!? 言った……だろ!? コイツは魔力で人を認識してるって……! [魔力]を上げたら…………! 」
それ以上言葉を続けることは俺にはできなかった。喉まで石にされたわけでもない。声帯をつぶされたわけでもない。見てしまったからだ。木ノ本絵里の覚悟を持った壮絶な表情を。真っ直ぐに俺を見つめる視線を。
彼女の口は紡ぐ。
その魔法の名をはっきりと。
「……『状態回復』!!」




