一つの賭け
クソッ! 動け! 動けよ!
願いは叶わない。右足はとてつもない重量となり俺の身体を一箇所に縛り付けている。
これこそ状態異常『石化状態』。敏捷力と器用と魔力を著しく低下させる恐ろしいデバフ。解除するには状態異常を解除・回復できるスキルまたは【魔法】を使うか『使用者』を打倒するしかない。
だがどうだ? 今の状況は? 反撃どころか、防御すらままならなない。
「キシャー! 」
そこへリトル・スネークは容赦なく殺到する。
毒はなく、小さいが鋭い牙を持っているこいつ等を無視することはできない。
「【念動魔術】! 」
魔法で弾き飛ばすが、キリがない。なにしろこの巨大な部屋の内側すべてがあの小蛇で構成されているんだ。その総量はこっちの想像が及ぶ範囲を優に超えているだろう。
ああ。何をどう考えても絶望的だ。
「くっ……ジリ貧か……! 」
「……お、おりゃぁー! 」
八方塞がりになり心が完全に絶望に支配されかけたその瞬間、今の今まで完全に存在を忘れていた方向からの援護が来た。シューズの入った袋を振り回して俺から蛇を弾き飛ばした彼女の名は……
「木ノ本!? まさか動けるのか……? 」
「う、うん! そうみたい……私に何かできることある? 」
「いや……! そんなことより逃げてくれ! ここは俺に任せて……多分信じられないと思うけど……絶対にここは俺が食い止めるから! 」
「でも……そんなことしたら剣太郎くんは……? 」
「俺は大丈夫だ! まだ使ってない『切り札』がある! この上級ダンジョンは帰りは一本道だ! 距離は30kmはあるが……木ノ本なら走れる! 頼む今は……! 」
「……だ……」
「え? 」
「嫌だ! 私……剣太郎くんに沢山助けてもらったのに……まだ何も返せてない! 」
「お、おい!? 」
走り出してしまった木ノ本。咄嗟に使おうとした。【念動魔術】を。彼女に降りかかる蛇を弾き飛ばすために。だが使用に踏み切る前に……俺は予想だにしない光景を目の当たりにすることになった。
「なんでだ……? 全く襲われてない…………? 」
そう木ノ本絵里がいくら小さな蛇に向かって攻撃をしようと、その身を煙へと変えようと、小蛇たちは俺だけに向かって襲いかかり続ける。まるで木ノ本の姿が全く見えていないように。
「……ッ! 」
その刹那、脳裏に理解がひらめいた。
……そうか! 木ノ本の魔力は……5! あまりにも弱い魔力は認識しづらい。つまり見えてないんだ本当に! 蛇女の魔眼では……!
その事実を認識した後に俺の脳はようやく冷静さを取り戻し急速に回転し始める。一体どの選択が木ノ本の安全を守ることにつながるのか……。
上級ダンジョンの入り口を彼女一人に行かせるのは実際、無視できないリスクがある。無策でこのメドゥーサもどきと同じ部屋に居続けるよりはマシだろうが、来た道を戻るということは再び湧き出したレベル100付近のモンスターと出くわす恐れがあるということ。決して絶対的に安全というわけじゃない。
それに俺はわからない。なぜ木ノ本は大して縁もゆかりもない俺のことをそんなに置いて行きたくないのか。彼女の行動原理を理解しないとそもそも一人で逃げ出すように説得することすら無理。つまり俺に残された道は……一つ。
「……『弱点看破』」
温存していた手札の一つを切った。青みがかった視界の中で赤い点が5つ浮かび上がる。一つは蛇の女帝の頭部。他4つは……壁?
見えた。薄く流れている。魔力の流れが大空間の沿った壁の4方から中心の蛇女に続いている。あれは……『目』だ。壁に描かれた4つの大きな目の壁画。あれこそ人を石に変える力の根源。『魔眼』は蛇女の顔についているモノじゃなかったんだ!
「木ノ本! 頼みがある! 聞いてくれるか!? 」
振り絞った言葉。その情けない懇願に対して木ノ本は振り向いた。その長い髪をなびかせて覚悟を決めたように頷く、やけに頼もしい表情に俺は全てを賭けることにした。
「『全力疾走』! 」
【疾走】スキルで得た最初の技。温存した手札の一つであるそれを惜しげもなく切る。
もう数百回はその名を叫んできた。この『技』の長所も弱点もわかりきっている。俺の【疾走】のスキルレベルは23。現在の敏捷力補正は3.2倍にもなる。
「くそ! ……おっせぇなぁ! 」
しかし石化はスキルを使ってもなお俺の足を引っ張った。この素早さが3.2倍にもなるスキルを使用して初めて普段通りの速さといった具合。それでも俺は進み続ける。壁に描かれた目の元へ。
「どうやら気づいたようじゃな? 壁に埋まった本当の目をの。じゃが……むざむざ行かせるとおもうたか!? 」
しかし直線的に突き進む俺の動きを女帝が察知できないはずもない。蛇女の怒号とともに魔力が迸る。
俺の体はさらに一段と重みを増した。
「今度は……左足か! 」
ついに来た2度目の石化。両足を襲う激痛に脂汗を流す。蛇女の言うことが全て嘘じゃないなら回避は不可能。絶望感が重さとなって俺に襲い掛かるけれど、ここまでは想定内。
「おお! 尚も諦めずに進むか! しかし行かせはせぬ! 行け! 」
女帝の号令が響いたとたん、壁と床と天井が蠢き始める。ボトボトと落ちてくるリトル・スネークを魔法でかきわけ、足元に迫るモノは踏みつけ、壁から飛びかかるモノはバットの一振りで吹き飛ばした。そんな様子を愉しそうに見ているボスモンスターをよそに──俺の視線はその向こう側の壁に縫い付けられていた。
やった……やってくれた! まずは1つ! 壁の中の目が破壊された。女帝は気づいてない! 木ノ本のことを! 蛇なのに熱感センサーもマジで無いのか……その蛇頭は飾りかよ!?
表情には出さず、心の中で歓喜した。とうとう上がった"反撃ののろし"に。
でもこっちは喜んでいる場合じゃない。そんなこともお構いなしに女帝ィメド・ゴルゴナスは小蛇の奔流をさらに苛烈に振りかけてくる。
「くそっ! 『ショックウェーブ』! 」
衝撃波を放ちながら、その波に乗って俺自身も吹き飛ばした。巨大な扉の入り口まで。まるで[目]を破壊するのを諦めたように装うために。
「もしや……逃げる気ではあるまいな? 妾が逃がすと思うか? 」
「さあ……どうだろうな!? 」
息を大きく吐き出した勢いで、今度は逆方向に進む。そう丁度、『女帝を挟んだ俺と木ノ本の位置』がこの大きな円形の部屋で最も遠くなるように。
作戦はシンプルだ。
俺が女帝を引き付ける。間違っても木ノ本のことを気づかせないように。
その間木ノ本はこの円形ホールの壁を走る。壁の表面にある『目の意匠』を破壊しながら。それが彼女の[力]でも破壊できる代物なのかは賭けだったが、余計な心配だったようだ。これでよくわかった。この作戦は実行可能であることを。
後は我慢比べだ。木ノ本がすべての[目]を壊すのが先か、力尽きた俺の全身が石化するのが先か。
俺の……俺たちの本当の意味での戦いは――
「勝負! 」
――その瞬間から始まった。




