公安部・迷宮対策課
待ち合わせ時間の20分前。少し早く来過ぎたと思った。しかし予想に反して待ち人はすでに到着していた。
「あ! 城本くん。こっちこっち! 」
仕切りの隙間から覗く年上の凛々しい女性。
恐ろしく短い付き合いしかないが、その顔に見間違いは無い。唐本舞。彼女が今日、この新大和駅前の焼き肉屋で会う約束をしていた人だった。
「大人の女の人もこういう場所に来るんですね……」
「驚いた? もっとおしゃれな場所想像してた? 残念でした。男社会にいる女の実態なんてこんなもんだよ。それに個室のこういう店って音も大きいし、『内緒話』には向いてるんだ。さあちゃっちゃと自分のお肉頼んじゃって」
「はぁ……そういうもんなんですか……」
昨日、電話で話した雰囲気と全然違うことに驚きながら俺はメニューを開き。とりあえずいつも通り『タン塩』を頼んだ。
「いやーでも驚いたよ。そっちから連絡してきてくれるなんてね」
「たまたまもらった名刺を捨てていなかっただけです。それに……」
俺は正面を向いた。唐本さんの服装は始めて会った時と同じスーツ姿。とても『あの日』、『あの場所』で雷を振り回していた女性と同一人物とは思えないし、その薄い笑みからは何の感情も読み取れない。諦めて言葉をつづける。
「唐本さんには聞きたいことが山ほどあったんで」
今日の本題と核心に迫るために。
「まあ……そうだよね……」
俺の発言に舞さんは納得の表情を見せた。彼女のその分かっているという態度に俺はこの数日間ため込んでいた感情を一気に全てまくしたてる。
「あの祭りの日から5日経ちました……。でもおかしいんですよ。あんなことがあったっていうのにどこの番組もあんな悲惨な出来事を報道しないんです。俺が見つけられたのはそれこそ新聞の隅に小さく、台倭神社が地盤沈下したってぐらい。ネットでも台倭神社のことを言っている人が一人もいないんです! あの祭りには1万人近くいたって話もあるんですよ? どうなってるんですか! 」
そうあの日から俺の日常は何一つ変わっていない。妹の梨沙との仲が急速に改善された以外は何もなかったと言ってもいいぐらいだ。
さらには目の前の彼女も所属している『迷彩服』の組織からのアプローチも『あの日』多く生まれた疑問に対する返答も無い。はっきりいって薄気味が悪かった。何か俺の知らないところで勝手に物事が動いているような。
「うん、分かった。その疑問はもっともだよ。私たちは君に説明する責任がある。でもまずはこれだけは言わせて欲しい」
そう言うと唐本さんは急に立ち上がった。念のために【念動魔術】の準備を開始。どんなことがあっても、彼女が何をしようとしても、いつでも『制圧』できるようにする。
緊迫する空気。警戒を最大限に高めた俺。だがその直後に起きた出来事は完全に予想外だった。
「改めまして唐本舞です。城本君には化学工場の時と神社の時の合計2回も命を助けてもらいました。まずは個人的にお礼を言いたいです。本当にありがとう」
結果それが唐本さんの策略なのか素なのかは分からない。だけど怒りと混乱を心に抱えてきたはずの俺は予想外の『年上の女性から深々と頭を下げられる』という行為に完全に毒気を抜かれてしまった。
背もたれに背を完全に預けて大きくため息をつく。まったく美人はこれだから得だよな。
「それで、今日は何を教えてくれるんですか? 」
「まずは何から聞きたい? 」
「そうですね……じゃあ貴方たちは一体『何者』なんですか? 」
「おおそこからかぁ~。いきなり踏み込んでくるね」
訪ねると唐本さんは乾いた笑いを放った。直後彼女から出た単語を理解するのに俺は数十秒かかった。
「……け、警察? 」
「う~んまあ名前は一応そうなってるんだけどね。でも私達『公安警察』と一般的な『警察』とはかなり仕事の内容とか属性が違うんだよ」
開いた口が塞がらなかった。頭の混乱を無くしに来たというのにさらに混乱することになるなんて。恐らくはかなり大きな団体なんだろうなという予想はしていたけどまさか本当に国ぐるみだったとは……。
「アレですか……? もしかして俺を『逮捕』しにきたんですか? 」
「いやいや全然! 今は全くそのつもりはないよ! 城本君の処遇や扱い方について上層部はまだ大揉めしているのは確かだけどね……」
「お、大揉めですか……」
ちゃんとした国家機関が俺に関して今も激しく議論していることを想像すると思わず息が詰まる。俺は恐る恐るもう一度確認した。
「あ、あの~やっぱりいつかは『逮捕』されるんじゃ……」
「もう! 本当にそんなことないんだよ! 私達『公安部・迷宮対策課』は君の不利益になりそうな行動は絶対にしない方針だから。それにね……実は今日私が君と会ってることも秘密なんだよ? 」
「……え? ……そ、それって……怒られないんですか? 」
震える声で確認すると、唐本さんは目をつぶってしばらく考えた後にあっけらかんとした口調で言い放った。
「まあ……とんでもないことにはなると思うけど……高校一年生が気にする必要ナシ! ほらほらもっと食べて。今日はお礼もかねて全部私の奢りなんだから! こんな程度で恩を返せるとは思えないけどね! 」
その言葉に何も言えなくなった俺は目の前の網から一枚取って口に含んだ。久しぶりに食べた焼き肉の味は確かに美味かったけど、何かはぐらかされたような気分だ。
「それじゃあ……話を戻すよ。私たちの組織の目標と言うか存在理由ってのはね『迷宮に関する情報』の隠匿と現実世界に現れたモンスター『迷宮外生物』の討伐の2種類なんだ。私が主にやっているのは後者。これでも迷宮対策課の中では結構強いんだよ私」
様々な予想はしていた。迷宮に深く関わろうとする組織はどんな主義主張で動いているのか。だけど俺程度の想像はことごとく外れていた。特に『情報の隠匿』という部分は。
「もしかしてニュースでもSNSでもモンスターの情報が全く無いのは貴方たちが裏で情報を制限してたからなんですか? 今までずっと」
「うん……そうだよ」
「何でですか!? これだけ多くの被害が出ているっていうのに! 」
俺の剣幕に唐本さんは苦笑いした。まるで過去を懐かしんでいるかのように。まるで心に響く痛みを押し殺すように。
「全くだね……。私は城本君の意見に全面同意するよ。いい加減にモンスターと迷宮のことを隠し通すのは限界だと思う。アンテナの鋭い人たちは違和感に気付き始めてるみたいだしね」
「なら! 」
「でもね……そうなると一つ考えないといけないことがあるんだ。それはねコレのこと」
唐本さんは俺に左手首を見せつけてくる。そこには俺と同じ例の『くさび形文字』、レベルを持つ者の証が刻まれていた。
「ねえ……城本君。君はさ、今この焼き肉屋にいる全員を"殺す"のに何分かかる? 」
「え? 」
突如放たれた物騒な質問。思考が完全に停止する。何言ってんだこの人。そんなの……考えたことも……。
「結構大きい店だね。個室も含めて最大収容人数は100人ってところかな。仮にその最大100人入ったとしても私がかかる時間はせいぜい1分くらいだよ」
衝撃的な発言。思わず心の中で言ってしまった。この人本当に警察官かよ、と。だけどしばらく考えた後に俺は唐本さんが何を言いたいのか何となくわかってしまった。
「もしかしたら……10秒もかからないかもしれません……」
「そうだろうね。それどころかこの駅前一帯にいる数千人を私ごと一瞬で吹き飛ばせちゃったりするんじゃない?」
「そんなこと! ……しません……多分」
『出来ない』とは言えなかった。まるで自分がいつのまにかとんでもない危険人物になってしまったような気になってくる。それこそいつ爆発するか分からない爆弾の様な……。唐本さんはその様子をふっと柔らかく微笑んだ。
「本当に良かったよ。いや運が良かったのかな? 城本君がそんな善良な人間性を持っていてくれて……。私たちが君のことを『放置』か『全面支援』かの2択で考えられているのも君の性格に大分助けられている部分もあるんだ」
「性格ですか?」
ピンとこない。さっきから唐本さんは何を言ってるんだ?
「そう、そういうところも含めてね。今まで一度でもあったの?その大きな力で何か悪事に使おうと思ったことは?」
言われて思い出す。そういえばそんなことは無かったかもしれない。でもそれは……
「偶然ですよ……たまたま興味が『強くなること』に向いていた時期だったというだけで……もしかしたら今後は犯罪に走るかもしれませんよ……?」
「あははは。もうその言い方だけでも城本君にそんなつもりがさらさら無いのがよく分かるよ。じゃあ、なんで私を含めた迷宮対策課のメンバーのことも祭りのお客のことも助けてくれたの?」
「それは……たまたま目に入ったから……。さすがに見捨てられませんよ。俺だって目の前で人が死ぬことは避けたいですし……」
「普通はあんなバケモノを前にしたらみんな自分の身だけ助けたくなると思うな~。それが自然だしさ。だから城本君は……凄いんだよ。それだけの力をもっていながら普通の人の感覚を保てることがね。皆君みたいにいてくれればいいのにね……」
「何かあったんですか?」
含みのある唐本さんの言い方に口をはさんだ。彼女はどこまで言っていいのかという顔で言葉を選んでいる様子でゆっくりと話し出す。今、起こっている問題を。
「実はね今【スキル】や【魔法】を使った事件が未だ数十件ではあるけど既に起きちゃってるんだ。その中には殺人事件も含まれてる」
息が止まった。まさか……そんなことがこの平和な日本で……。だけど俺はすぐに思いだした。『剣士の迷宮』でのこと。相手は異世界人だったが全く人殺しにためらっていなかった。ならそうなってもおかしくないのか……?人がステータスを手に入れると。
「どうなったんですか? その事件は……? 」
「全部処理されたよ。無事に」
「……処理?」
「基本的にはスキルの使用者を拘束して解決。だけど殺人をした『保持者』の中には人質をとったりして激しく抵抗する人もいてね…………その時は『適切に対処』したよ。『迷宮対策課』がね」
上を見た。焼き肉屋の天井は高く。その落ち着いた暖色の光は俺に落ち着きを与えてくれた。
なんて話だ。こんなことただの高校1年生が聞いて良い情報なのか?
「だから情報を隠匿する必要があるってわけですか……モンスターを倒して『レベル』を持った人たちが犯罪行為をする可能性があるから」
「そういうこと。現状、【魔法】や【スキル】による犯罪行為を立件するための法律は日本には存在しない。今は私たちが超法規的な措置を取って潰していってるけれど、動かせる人員の数には限界がある。だからこれ以上は無暗に『保持者』を増やすことは避けたいの」
さっきから謎の単語が普通に使われていた。もしかしたら迷宮探索をやっていく上で常識的な言葉なのかもしれない。だけど俺は知らぬは一生の恥という言葉を信じて素直に唐本さんに聞くことにした。
「あの……ホルダーって何ですか? 」




