決死の逃走
「――――――――――――――――――――――――!!! 」
モンスターの叫びは何度も食らってきた。もう1000は超えるかもしれない。ただ咆哮そのもので傷を負ったのは今回が初めてだった。それも無音の。
後方へと激しく吹き飛ばされたことには、洞窟の壁面にめり込んだ後にわかった。声すら出なかった。悲鳴すら出てこなかった。抵抗する暇も、成す術もなかった。
残りカスのような体力でどうにか壁の奥深くから脱出し、起き上がるが、すぐにパニックになる。何も見えないし、何も聞こえないから。
頬に温い液体が流れていることを認識して、やった気づいた。竜の威嚇は無音なんかじゃない。俺の『網膜』と『鼓膜』が今の一瞬で壊れてしまったからだ。
「『集中治療』!! 」
その技の名前を叫ぶ。回復を優先する部位は両目。どうにか光だけは取り戻す。
その間もずっと……竜は全てを見下ろしていた。俺の目の前で。
「ひゅッゥ……! 」
とても自分の身体から出たとは思えない音がした。
今まで千を超えるモンスターを倒してきた。その中に俺よりも大きいモンスターはいくらでもいた。もちろん相対する恐怖は確実にあった。だけど金属バットさえ持って入ればいくらでも立ち向かえた。
だけど、今はどうだ?
強く理解させられた。自分がどれだけちっぽけな存在であることを。大きさとは強さであることを。圧倒的な強さを目の前にしたら人は何もできなくなることを。
「……はっ……はっ……はっ……はっ」
息が続かないし、整えようとすればするほど荒れ狂う。
せっかく治した目も竜の黄色い眼と視線が合って離せない。
心臓の鼓動は胸を突き破りかけている。指先は細かく震えて使い物にならなくなっている。
だけど足そのものは地面に吸い付いたように動かない。
「―――! ――――――ッッ」
そんな俺にはお構い無しで、竜はその100万を超える魔力を口に集中させ始めていた。何をしようとしているかは何故か分かった。竜の代名詞。『炎の息吹』。それが今俺に放たれようとしている。
早く……逃げないと……。でも、どこへ?
目の痛みをこらえて必死で【鑑定】スキルを使用。『弱点看破』も使うが、対象が巨大すぎてなにがなにやら分からない。
完全に思考停止になりかけていたその時。まるで狙いすましていたかのように。俺の【鑑定】スキルのレベルは10になった。
『迷宮鑑定・順路表示:【鑑定】スキルがレベル10になると使用可能。使用者が現在いる迷宮の構造を瞬時に把握することが出来る。』
これだ!
脳は瞬時に動き出す。すがるような思いで『技』を使用。竜王の巣の3D映像の様なものが目の奥に流れていく。
あった……入口!
こうして俺は見つけ出す。目標を。迷宮の入口へ逆走すれば現実のトンネルへと帰ってこれるのは実証済み。後は逃げるだけ。
今も尚魔力を貯め続けている竜王。その泰然とした様子は言わずとも語っていた。『お前程度の命ならいつでも吹き飛ばせる』と。その頭部に集中する熱は数百メートル離れていても、目の前に火をつけられたような熱さへと変わりつつある。
震える足に俺は拳を叩きつけた。
動け! もう分かってるだろ! 竜には今はどうあがいても勝てないって……。
だけど未来は分からない。
だから今は――――
「『全力疾走』! 」
生き残れ!
「はぁ、はぁはぁ……はぁ……! 」
決死の逃走は始まった。
スキルレベルが15を超えた『全力疾走』の継続時間は9分間。その間に80km以上を走破する。ほんの一瞬、無理だと思った。けれどすぐに思いなおした。
やるしかないと。
「うおおおおおおおおお!! 」
叫んだ。身体がより早く動くように。とても走りやすいとは言えない地面を踏み砕きながら。
大岩の上を飛び越え、横穴に飛び込み、避けられない障害物は破壊した。
鼓膜はいつの間にか治っている。今や自分の小さな呼吸と風切り音しか聞こえない。しかしその時間は長く続かない。俺に一気に迫ってきたのは何十もの羽ばたき音だった。
「ッ! ……嘘だろッ!! 」
迷宮はいつも軽々と俺の予想を上回ってくる。でも今回だけは目茶苦茶だ。
竜だ。サイズは数十メートルほどだが、何十体もいる。【鑑定】スキルは求めても無いのに教えてくれた。そいつらが全員レベル150超えであることを。
レベル200の怪獣の王様から逃げれたと思ったら今度は山ほどの手下。
全く笑えない冗談だ。
「……『パワーウォール』!! 」
走りながら障壁を即座に展開。同時に全方向からの『ブレス』は放たれた。
まるで地雷原だ。爆発する地面。舞う土塊。身体に突き刺さる岩石。かすったブレスは爪と髪と皮膚を蒸発させていく。
「……あ“あ”あ“!! 」
痛みに声を漏らす。だけど足は止めない。惨めでも、無様でも生き残るために。
そしてたどり着く。
最後の約5kmの直線。視界に入る靄がかかった100m近い大穴。
あとここを走り抜ければ……――――。
俺が一つの希望を手にしたその時。
その矢先。
その瞬間。
その刹那。
上級ダンジョン『竜王の巣』は――――絶叫した。
高さ1キロ、長さ数百キロの洞窟という"竜の王"にとっては狭すぎる空間に放出された力の本流、地獄の業火に耐えかねて。
背中越しに見た。俺を追いかけていたレベル3桁の竜の群れが迷宮全てを焼き尽くす炎に飲まれていくのを。一瞬で焼け落ちていくのを。
すぐにわかった。
あの竜王の仕業だ。アイツが放ったブレスだ。もう辿り着いたんだ。ここまで数十キロ以上もあるのに!
速く。もっと速く! そうじゃないと焼き尽くされる……!
迫る大爆炎。逃げる俺。速度は完璧に炎が勝っていた。
やばい。もう切れてしまう……! 『全力疾走』が!
9分のタイムリミットは迫っていた。出口まであともう1キロも無いのに。
「『超反応』!! 」
だから賭けに出る。一秒間の爆発力に全てを託し。技の名を叫ぶ。『全力疾走』の倍加された敏捷力はさらに4倍。
俺の身体は一つの弾丸となる。頼む! 届いてくれ……!
その願いは――聞き届けられなかった。急激に速さとボディバランスを失う身体は地面に激突……しかけた。
「……『ファイアーボール』! いっけええええ!!」
掌から出る大火球。竜王の火と比べたら大津波と蛇口の水滴ほどの差がある。考えるまでもなく、到底敵うはずはない。だけど"一滴の水"は、俺の身体をはじき出すには十分な威力があった。
「……ぐぁ!! 」
今度こそ叩きつけられる身体。強かに背中を打ち付けて肺の中の空気が全て排出される。思考が止まり、完全に無防備になる。
でも、そこは硬い洞窟の時点ではなく、アスファルトだった。
「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……助かった……のか……? 」
全身に何箇所もの火傷。とくに制御もせずにファイアーボールを放った右手はボロボロ。両足は無理に跳躍したせいで鬱血し、折れ曲がっている。心臓は割れるように痛い。だけど死んではいなかった。
未だに分かってない経験値の仕組み。どのような条件で付与されていくのかを。でも今日はステータスを確認して思わず笑ってしまった。
「おいおい……逃げるだけで……10万ポイントかい……」
やっと自分がどれだけ危ない状況だったのか実感する。迷宮はやはり侮れない。今日のこの危機を今後一生、教訓にし続けないといけない。
でも……それでも……道路に寝転がって身に受けるトンネルに吹く風は妙に気持ち良かった。




