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情景

 カーテンの隙間から西日がすっと差し込んでくる。


 その眩しさに、その光の優しさに、思わずギュッと目を瞑る。そうして瞼を閉じること数秒、俺はゆっくりと自分の席から立ちあがった。


 いつまでこうしていたんだろ? ぼーっと外を眺めている内に時間が経ち、帰るのがだいぶ遅くなってしまっていた。別に家に帰るのが“嫌だ”とか“億劫だ”とかそういう訳じゃない。ただ、なんとなく。なんの意味もなく。このまま真っすぐ帰るのはなんか勿体ないような、なんか寂しいような。そんな気がしただけ。


 でもいい加減、帰らないと。そう思った矢先、慌ただしい足音が廊下から聞こえて来る。



「おぉ……剣太郎じゃん」


「よぉ、海斗」



 ガラガラと開けられた引き戸から現れた音の正体は、俺の数少ない友人の一人だった。息せき切ったその様子から無人の廊下を爆走して来たことが分かった。



「まだ帰ってなかったん? 今日、委員会だったっけ? 」


「用は無いけどなんとなく残ってた」


「なんだそれ? 」


「いいだろ別に。いつ帰るかは俺の勝手だ。俺は俺だ」


「そんなこと言ってていいのかなーお兄ちゃん? 妹さん心配するぞー? 」


「ほっとけ。海斗は逆になんか早くね? もう部活終わり? 」


「なわけ。ちょっとね。……『わすれもの』取りに来た」


「……怒られないの? それ? 」


「もちろん。ひっさしぶりにコーチ、がちギレさせちゃった」


「うわぁ……」


「そういうことだからさっ! じゃあな! 剣太郎! 」


「はいはい、またな。次は気を付けろよ~」



 まるで嵐のように到来し、過ぎ去るその背中を見送りながら続くようにして俺も教室を出る。


 目の前に広がっているのは無人の廊下。振りえるとあるのは無人の教室。


 体育館と校庭の喧騒は遥か遠くのように聞こえ、右も左も人がいない。


 まだ夕日が落ち切っていないこの時間、校内の静けさは頂点に達していた。



「……? 城本か? 」


「おっ……村本」



 だがそんな静寂は、友人の一人とすれ違ったことで消失する。荷物を正面に持ち下の階から上がって来ていたので一瞬だけ顔の判別がつかなかった。



「やっぱり城本だったか。一瞬分からなかった」


「俺も、俺も。昼休みぶりだなー。そっちはまだ委員会? 」


「ああ。まだまだ帰れそうにない」


「お疲れ様だな。たしか今日は『怖い司書』がいる日だろ? 」


「怒らせなきゃどうってことないよ。城本は教室で自習か? 」


「いーや。ぼーっとしてただけ」


「なんだそれ? 」


「俺にもよく分からん」


「……ほどほどにしとけよ、そういうの」


「わかってるってー。そんな目で見ないでくれよー」


「じゃあ、また明日」


「またな」






 階段を駆け下りると下駄箱が並ぶ玄関にまでたどり着く。正面玄関は運動場の脇に面していて、俺が外へ出ようとした時はちょうど陸上部がメニュー間の休憩をしているところだった。


 その時、黒髪を一つに結んだ見覚えのある後ろ姿が目に入り、足音を立てたこっちに向かって振り返った。



「「あ」」



 俺たちが声を上げたのはほぼ同時だった。



「よっ」


「……ょ、よっ」



 片手をあげて挨拶すると、向こうも若干ぎこちなく真似をする。

 

 すると互いの口からは自然と笑みがこぼれた。



「ごめん、邪魔だった? 」


「ううん。休憩(レスト)中だから。剣太郎くんは……委員会? 」


「いいや実は何も無かった。今日、学校に残ってたのは何となくだ」



 もう慣れっこになったやり取りを挟みつつ、軽い雑談を始める。話題の方向性は意図せずとも、特に何もない帰宅部の俺から長距離のエースの木ノ本の部活の方へと集中していった。



「そろそろ大会なんだっけ? 」


「そそ。秋の記録会。再来週の日曜日」


「11月頭かー……。寒くない? 」


「さむいよー。でも走り始めちゃったら私は割と平気かな」


「なるほど。それは、そうか」


「……あのさ。剣太郎くん」



 顔に差す影が濃くなっていく。


 もうすぐ夜が始まろうとしている。



「なに? 」



 太陽は今にも落ちかけていた。



「もし……良かったらなんだけど……」


「うん」


「記録会の日――」



 日が落ちる寸前。


 次なる言葉が紡がれる直前。


 刹那。



「――――レスト終わりー! 最終セット始めるよー! 」



 女子の先輩が発した声がその場に大きく響いた。



「「「はーい……」」」


「「……」」



 他の部員は不平をあげつつも上級生の声に返事をしていた。しかし一方で会話の腰を完璧に折られた形になった俺たちはビクリと反応したまま固まってしまう。



「……えーと? 」


「あははー。ごめん。練習始まっちゃったから、さっきの話はまたこんどで」


「お、おう」


「じゃあねー」


「じゃあな」



 そして落ちる寸前の夕日を背に別れの挨拶をした。


 一方は校門へ、一方は校庭へと足を向けて。






「ただいまー」



 もしかしたら返事が来ないかもと考えながら、口にした“帰宅の挨拶”には――



「おかえりー」



 ――聞き馴れた声が返って来た。



「先に帰って来てたんだな、梨沙」


「そのつもりじゃなかったけどね。今日はたまたま部活が休みになったの」


「おお、それでソファの上でゴロゴロか? 」


「別にいいじゃん。私の家だもん。床に寝っ転がろうが私の勝手だよー」


「……流石は俺の妹だ」



 ついさっき教室で友人に自分が言った文言とよく似た理屈を並べる妹に”血の因縁”と”戦慄”を覚えつつ、2つ作ったホットミルクの片方を手渡した。



「ありがと。あったかーい」


「最近、急に寒くなって来たからな。梨沙は風邪だけは気を付けないと」


「兄さんまで先生みたいなこと言わないでよー」


「『体調管理も受――」


「もーやだー! 何も聞こえなーい! 」



 中3のこの時期に自分も”耳がタコ”になるほど聞いた常套句を言おうとしたところ、妹からは必死に止められる。


 そのままぐだぐだとリビングで二人とも着替えもせずに話していると。



「あれ? 」


「どうした? 」


「何それ? 」


「何って……何? 」


「右手に持ってる……その……」





 ……――――『金属バット』







 ……頭が真っ二つに割れた。



「くっ!? ぐぅ……っ! ぐぁっ……ぃぃい”い”ぎっ……ッッ!! 」



 正確には真っ二つにされたような『痛み』がやって来た。



「くそっ! なんだ……このっ! があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 」



 直後、流れ込んでくる。


 割れ目から噴き出す。


 過去。現在。記憶。現実。感情。後悔。喜び。約束。



「……思い出した」



 掠れる声で呟き、皮膚が破れるほど強く、グリップを握りしめた。


 



「あーあ……君も難儀な性格してるねー城本剣太郎。そのまま『()』を見ていたままの方が――絶対に幸せだったのに」





 最後に心の中で湧き上がったのは『怒り』だった。


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