余裕の根拠
剣太郎からの連絡が途絶え、発信機の信号が断絶してから10分。
そこから、ある地下鉄ホーム上に出現した『黒い壁』を見つけ出すまでに10分。
どう足掻いても内部に入ることが出来ないことが判明するまで、さらに10分。
合計30分の時が経過した今、体育館跡地に設置された指揮所は凍てついた緊張感で包まれていた。
「定時報告の時間だ。『彼』の現在位置は? 」
『【索敵】スキルに反応ありません』
『【鑑定】スキルの方もダメです! 』
『【探知魔術】。効果無し』
「『クレアボヤンス・スコープ』の方はどうだ? 」
『高レベルのドロップアイテムでも無理です……やはりこの黒い壁は【魔境】と同じ組成と見て間違いないと思われます』
『作戦本部……次の指示を』
「……『解析班』は引き続き作業続行。手空きの者は現場待機。くれぐれも異変は見逃すな」
『了解。通信終了――』
「――【魔境】と同じと言うことは……」
「外からでは中の様子を伺うどころか音も聞こえんだろうな」
「やはり現有戦力を以てした強行突入しか無いのでは……? 」
「バカか。足手まといを送り込んで、『彼』の足を引っ張ってどうする」
「今は待つしか無い。『精鋭班』の到着を」
「もう5分以上経っているぞ! まだつかないのか……!? 」
「黒い壁は目視で確認したという報告が上がっている。長く見積もっても現着まであと200秒といったところだ」
修羅場に慣れきっているはずの【迷宮庁】職員たちすらも浮足立ってしまうこの状況。額から止めどなく流れる冷や汗を拭う暇すら惜しんで、救出計画を長机の前で練っている最中。
ただ一人、泰然自若とした静寂を保っている男が居た。
「……少し落ち着け」
この場で最も強い発言力を持つ【迷宮庁長官】その人である。
「「「……」」」
喧騒に支配されていたはずの体育館は、たった一言の呼びかけで静まり返った。
その間、誰一人として言葉を発さない。呼気の音すら漏らそうとしない。全員が全員息を殺し続け、この場の王の口から飛び出す次の言葉に耳を傾けている。
まるで赤岩信二の持つ権力の大きさをそのまま表しているかのように。
「『解析班』に連絡。"撤退の準備をせよ"と」
だかしかし。
「……は? 」
よくよく組織の上下関係を”教育されてきた”部下たちも、流石にこの命令には声を上げざるを得なかった。口を挟まざるを得なかった。
「聞こえなかったか? 」
「い、いえ! 」
「なら何度も言わせるな。『解析班』は撤退だ」
「しかし……いくら作戦通りとはいえ……」
「流石に……それは……」
「壁の中に閉じ込められた『彼』は……」
赤岩が下した非情過ぎる命令に。未成年の作戦協力者を見捨てるという判断に。子供を守る立場にある公務に就く者の忸怩たる思いの前では、異を唱えざるを得なかった。
その一方で赤岩は――
「はっ。まさか君たち。なにやら”勘違い”をしているんじゃないか? 」
――乾いた薄ら笑いを浮かべていた。
「か、勘違い――ですか? 」
「ああ勘違いだ。それも致命的で、救いようが無い類の――な。自分たちが主で、壁の中で一人取り残された16歳の少年が囚われの人質のように見えているとしか思えない。いつから君たちは“物語の主人公”になったんだ? 」
「……で、ですが長官。『彼』はまだ16歳ですよ……? 」
「……日本の高校生には誰かの助けが必要なはずです」
「……本人たっての希望ならいざ知らず、我々の方からサポートを打ち切るというのは……」
「確かに『彼』は未だ16歳。年齢相応に不安定な精神を持ち、年齢に似合わない過酷な経験を幾つも経て来た少年だ。流石の『彼』も心理的に脆弱な部分を的確に突かれるような状況に置かれれば“予期せぬ窮地“に陥ることや、”本来の実力を発揮できない”ことだってあるだろう」
「そうです! ですから――」
「しかしだ。そんな16歳のレベルが260と聞いたら君たちはどうする? 」
「「「……」」」
「160ではなく260だ。理解しているか? 260という数字は日本のホルダーの平均レベルを4倍にしても尚届かない値だ。君たちにはその力のほどが想像できるか? 」
「……いえ」
「……とても無理です」
「くくくく……そうだろうな。私も一昨日までは君たちと同じだった」
「「「? 」」」
「見たまえ。コレは【東京大戦】で行われた全戦闘の解析データ。ちょうど昨日『脳技研』の桜庭から直接転送された鮮度の高い情報だ」
「……? え。へ。は? は……? 」
「――……ッッッ!! 」
「――こ、これは……」
「計器の故障では……無いんです、か? 」
「この異常な数値を見たら君たちも分かるはずだ。私の思考が。そして我々は一つの考えに至る。“『彼』が――城本剣太郎が何時どんな時も、人間如きに負けるはずが無い”――とね」




