眼と眼
まだ小さかった頃。昆虫が好きだった時に得た基礎知識の一つとして、虫の眼は基本的に“悪い”のだということを覚えている。生まれつきの低い視力と立体視の性能の悪さを、生まれ持った光をとらえる高性能な感覚器によって月や太陽の光を捉えて視覚を補っているのだと。
だから人工光があると不可思議なほどに集まってしまったり、火を太陽や月光と勘違いして飛び込んだり、通常では見られない奇妙な行動をしてしまうのだと、どこかの本か教育系テレビ番組の大人からそのように教えてもらった……気がする。
だけどなぜだろう?
なぜ【極夜大洞】の昆虫系モンスター達は『火』を【火】と認識しているようなそぶりを見せて、一瞬だけ止まるのだろう。どうせ最後には突っ込んでくるというのに。なぜわざわざ一度だけ?
その止まっている間は一体なんのための時間なんだろう?
「もしかして……」
ほんの刹那の間、虫と同じように静止し、頭を抱え『一つの推測』をひねり出す。
その奇妙な間が『討伐対象モンスター』の位置を共有し“火から逃がすため”の時間である、と。
そしてこの洞窟に蠢く虫たちに、俺が常識だと思っている知識は通用しなということを。
「……」
この時、思いついた突破口もただ一つだった。
「クソッ! 」
向かってくる蟲に対して、ひたすら何もせずに我慢すること。
履いている靴から、足首、心臓を目指して皮膚の上を這いずり回り、昇ってくる蟲を放置すること。
「――――ッ! 」
流石に堪える。気持ち悪すぎる。想像するだけでも吐きそうなのに、実際にこんな事をやるなんて思いもしなかった。間違いなく人生最悪かもしれない瞬間だ。“鳥肌が立つ”どころの騒ぎじゃない。皮膚そのものが躍り狂って、泡だっている。腰から下の感覚が完全に死んでしまっている。
だけど今は我慢だ。
指の一本すら動かすな。
コイツ等には俺の[耐久力]を超えることは出来ない。
命の危険は一切ない。
だからひたすら待ち続けろ。絶対に逃すな。
「ブ――――ン」
その刹那の――好機を。
「居た」
いま、確実に耳にした。ギチギチと足を鳴らせて俺を覆い尽くさんばかりに向かってくる蟲の大群の中で“一体だけ”遠くへ飛び去ろうとする羽音を。
全身に火を纏っている状態じゃ絶対に気付くことが出来なかった僅かに残された標的の痕跡を。
やはりそうだ。思った通りだった。
討伐対象モンスターは俺が火を使った時も、使わなかった時も同じように回避行動をとっていた。
躊躇いも無く突っ込んでくる討伐対象外のモンスターは時間稼ぎの尖兵、王を逃がすためのただの捨て駒に過ぎなかったんだ。
とまあこの通り。
ここまでやった上で分かったのは『討伐対象モンスター』の音の発生源だけ。
確かにそこに『ブリング・ラック・ドラゴンフライ』と知ることが出来ただけ。
その正確な位置情報や、どのようなルートを飛んでいたのかは結局分からずじまいだ。
「【石化の魔眼】――」
だけど今はそれでいい。
それだけで良い。
それだけ分かれば十分だ。
「――『心眼解放』」
“心の眼”はその存在を視覚的に捉えなくても……たとえ眼と眼が合わずとも……“そこに居る”ということを認識するだけで動かぬ石像へと変えることが出来るのだから。
「『焼灼一閃』」
こうして闇夜に紛れる黒トンボは呆気なく討伐された。
実に【極夜大洞】に潜ってからダンジョン内で丁度5分が経ったころだった。




