人殺しの血・前編
『人殺しの血』――それが実の母親から『男』に最も多く浴びせかけられた言葉だった。
『男』は誰からも望まれない子供だった。アメリカで唯一、売春が合法化されている州で娼婦の子供として生を受けた。街の誰よりも美しい容姿を持っていたのにも関わらず、母親からは却ってその容姿を嫉妬され、激しいネグレクトの対象となっていた。
『男』には生まれたころから父親が居なかった。母親にそのことを聞いてみてもはぐらかされるばかりか、逆上され激しい折檻を受けるだけだった。いつしか『男』は父親についての興味や関心を自分の中から自然と薄れさせていった。
『男』が家の内に向けていた興味は次第に家の外へと注がれるようになった。その天使と見まがう姿と子供とは思えない社交性をもってして町の住民たちとの交流を深めていった。
『男』は母親の愛情らしい愛情を受けないまま、すくすくと育っていった。そして年齢が9歳、町から離れたエレメンタリースクールにバスで通うのにも慣れ始めたころ。
生まれ育った自然豊かな田舎町には似つかわしくない”凄惨な事件”が起こった。
『こりゃあ……ひでぇな……』
『痛めつけるために何度もナイフで突き刺したんだろうな……グッチャグチャだ……』
『……いったい誰がこんなことを? 』
『子供のイタズラにしちゃあ悪意が露骨だし、あまりにも手が込み過ぎてる。恐らく犯人はティーンエージャー後半くらいの――』
小動物の『首から下だけの惨殺死体』が川のほとりで計十数体、連続で発見された怪事件。犠牲になった生き物の中には誰かが飼っていた犬や猫の姿もあった。
もちろん、この事件はすぐさま地元警察による調査が開始された。しかし捜査はすぐに行き詰まり、事件から十年以上たった今でも真相は明らかではなかった。
この時、誰もが一かけらも疑わなかった。想像すらしなかった。
……あの有名な美少年が『連続動物変死事件の真犯人』である可能性を。
……街で人気者の彼が突如『生き物を殺す衝動』に駆られるようになってしまったということを。
『やっぱりそうだ! お前はあの父親の子供だ! お前に流れているのは【人殺しの血】なんだ! 』
……唯一、実の母親以外は。
『……どういうこと? 母さん? 』
『とぼけるんじゃないよ! じゃあコレは何!? 』
完全にヒステリックになっていた彼女が、髪を振り乱し床に強く叩きつけたモノ。それは『男』の部屋にあったタンスの一番下の段"小動物の頭蓋骨"がギッシリと詰まった木箱だった。
『……』
『アタシの眼に狂いは無かった! アンタは最低最悪の連続殺人鬼の息子だった! 悪魔の子は悪魔でしかなかった! 』
『……』
『アンタなんて産むんじゃなかった! アンタなんか……今、ここで……アタシが……』
『……ねえ、母さん? ボクの父親が人殺しだってことは分かったよ。そんなことはどうでも良いからさ……今日見たこと……知ったこと……僕らの間で秘密 にしておかない? 』
『!? 』
『だって母さんがボクに父親のことを言わなかったのは、町の人たちに知られたくなかったからなんでしょ? ボクが人殺しの子供だって。母さんが……”人殺しの子供”を身籠っていたんだって』
『――ヒィッ! 』
その瞬間、母親は自分が過去経験した中で最大の恐怖に襲われた。一度だけ愛してしまった男が実は悪魔のような人殺しだったと発覚した時を優に超える衝撃は彼女から血の気を奪い、顔面を蒼白にし、口の中を乾かし、見開かれた眼球を血走らせた。
『ね? だからさ。秘密にしようよ。今日のことは。あとこれからボクがやることもさ。全部、黙っててよ。お願いだから』
母親が目の当たりにしたのは紛れもなく子が親にねだるありふれた風景のはずだった。だけどその実、やっていることは共犯を彼女に強いる脅迫だった。
『じゃあ、これからも……ずっと……よろしくね? 母さん』
それから十年近く『男』が生家を出るまで。母親にとっての地獄の日々は延々と続いた。エスカレートしていく『男』の殺害衝動の末路を目の当たりにするたびに、彼女はひたすら神に祈り続けた。
――『ああ、どうかあの父親と同じように、人間にだけは手を出させないでください』――と。
母の祈りが通じたのか幸いにして『男』はその衝動を人に向けることだけはしなかった。
そして『男』が奨学金で遠くの大学に通うようになると一転、彼女の平穏の日々が始まった。実の息子への恐怖から解放された数年間、彼女は最も人間らしい生活を送ることが出来ていた。
こんな日常がこれからもずっと続いていく……そんな想像を彼女はしていた。
『ただいま! 数年ぶりに帰って来たよ! 』
しかし淡い期待は”最悪の形”で裏切られることとなる。
『……なん、で……どうして……? 』
『一人になった母さんのことが心配だからさ! こっちに戻ることにしたんだ! 』
『ねえ……冗談でしょ? 嘘なんでしょ? 』
『冗談なもんか! ボクは真剣さ! またよろしくね? 母さん』
彼女が母親へと戻り、絶望を思い出したのは――厳しい日差しが突き刺さり、うだるような暑さが纏わりつく、8月の夏の日のことだった。




