一投入魂
走った。跳んだ。身体を捩らせた。疾走スキルは絶やさない。常に動き続ける。
そうしないと死んでしまうから。
安全地帯を見つけたら耳を塞いで顔を伏せる。一瞬の間をおいて床があちらこちらで爆発する。砕かれた瓦礫や迷宮の破片は背中に降り注ぎ、肉に深く食い込んだ。
「……っっぅ~~!! 」
痛みのあまり小さく声が漏れる。だけどうずくまっている暇は無い。再び立ち上がって走り出す。そう全てはバーサーカー・ナイトに捕捉されないために。今もなお迷宮を揺らすあの一撃を食らわないために。
けれど物事には限界がある。バーサーカーナイトに数の限りがあるように。俺の体力は無限ではない様に。先に限界が来たのは――――俺だった。
突然、目の前が真っ暗になる。それが何体もの巨大な騎士像の影であることに気付いたのは大振りが始まってからだった。
ヤバい……単調に動き過ぎた!
見えるだけで15体以上の騎士が俺に集結している。『技』を使うために決断する時間は1秒も無かった。
「『超反応』!! 」
唯一の命綱である"切り札"をここで消費する。ついさっきインターバルが終わったばかりの新技を使う。俺は集まった騎士から最も遠い場所に逃れた――――そう思っていた。
「……え……」
目の前で未だに剣を向けている騎士に対して俺が出来たことは言葉を一つ発することだけ。さく裂する沈黙の一撃。直撃を免れたのはただただ運が良かったに過ぎなかった。
俺は気づかないうちにどこかで見下していたんだろう。まともに話せない狂った戦士たちのことを。考えのない人形だと。バーサーカーナイトはその油断を見逃さなかった。こうして罠を張り、俺が逃げる場所を予め当たりをつけて、ものの見事な奇襲を成功させた。
「……~!……!!…………!! 」
喉が血で一杯だ。痛みで声も出なかった。息をするたびに胸に激痛が走る。苦しい。吹き飛ばされて何度も硬い石の床に叩きつけられたんだ。肋骨の一本でも折れたのかもしれない。
このままじゃだめだ。
死んでしまう……!
頭の中でその名をつぶやいた。『集中治療』と。
「はぁ……はぁ……」
何とか気道だけは確保する。けれど状況は何一つ変わっていない。
全方向からバーサーカーナイト達が一歩一歩、重い鎧のガチャリという音を響かせてこちらに向かってくる。
どうする? 何かないか……? 何か策は? 思い付くことは……? 息を荒くしながら周囲を見回す。そこにあったのは破壊されつくされた以外は入ってきた時からほとんど変わりのない『第2階層』だけ。
――――変わりのない? そこで何かが引っかかった。
おかしい。とくに変わっていないはずはない。なぜならば今は荘厳な壁から剥がれた騎士たちがこうして動き出して…………。
頭の回転がだんだん速くなる。視線は壁面に集中した。俺が見ているものは壁に未だに取り残されたままの多くの騎士の像。パット見は動いてるモノと何一つ違いは無い。けれど何かが違う。
「石がない……」
そう石だ。モンスターとして扱われている動く鎧には関節部分や表面に宝石のような白い石が付いている。しかし壁に貼り付けられた騎士達にはどこかの部分の石が欠損していた。
その時、その瞬間、弾けるようにして頭の中に一つの思い付きが生まれる。あの白い石を破壊できればあのデカブツは動けなくなるんじゃないかと。
そして考えれば考えるほどにそれ以外の可能性を思いつけなくなった。心も理性も同意した。この『仮説』が正しいことを。
だけど……。俺は自分の作戦を自分で無理だと断じた。だって、そんなことが出来るんだったらとっくの昔に出来ている。バーサーカーナイトに不用意に近づけば、他の騎士の一撃を避けられなくなることは身をもって知っている。
なにか? なにかないのか? 手段は……方法は! 周囲を見回す。
足元を見ると背負っていたリュックの中身が飛び出ている。破裂したペットボトル。粉々に砕けたカロリーメイト。そして――――。
「なんで?……これがこんなところに……」
一つの硬式ボール。あの衝撃を食らっても未だに形を保っている。
自分でいれた覚えは全くない。どうやら昔からリュックに入れっぱなしだったようだ。その野球ボールを見て俺は一つの作戦を思いついた。余りにもバカバカしい作戦とも呼べないような代物。だけど直感があった。可能性があるのは『これ』だけだと。
考えていると俺は気づく。今まで自分が無意識に【投擲術】を全く使わない様にしていたことを。特に【念動魔術】が手に入ってから。遠距離の攻撃手段は全て魔法に頼っていた。
理由は自分でよく分かっている。できるだけ離れたかったんだ。思い出したくなかったんだ。ピッチャーをやっていた、やれていた時の自分を。もう離れてから2年近くたっているのに俺は未だに気持ちを整理できていなかったんだ。
俺が諦めきれなかった証拠がある。俺のスキル【投擲術】。一度もポイントをつぎ込んだりしていない。『迷宮探索』でもほとんど使ってない。それなのに現在のレベルは5だ。暇さえあれば迷宮のことを考えていた。だけど身体はそんな時、自然と染み付いた投球動作をなぞっていた。【疾走】のスキルレベルを上げるためのトレーニングと称して、近くの公園まで走りに行っては、気づけば無意識に壁当てをしていた。
別にプロになりたいとも、なれるとも全く思っていなかった。もちろん甲子園に出たいなんて実力不相応な夢もなかった。ただもう一度仲間の期待を背負って打者との一対一のひりつく感覚をまた味わいたかった。
リューカにステータス強化を切れることを教えてもらった時は本当にうれしかった。思わず少し考えてしまったから。ピッチャーをまたやれるようになるんじゃないかって。
けれど【自動回復】でさえ俺の肩の古傷の痛みを治してはくれなかった。癒やしてはくれなかった。可能性は開かなかった。その事実に自分でも気づかないうちにがっかりしていた。ショックを受けていた。
とうの昔から嫌になっていた。野球のことを考えるのすら。こうやって手には金属バットを握っているのに。
立ち上がる。節々の痛みや捻った部分を今は無視をする。広く巨大な第二階層。バーサーカー・ナイトはもうすぐそばまで迫っていた。その距離約20mほど。ちょうど投手から捕手までの距離そのもの。懐かしく、はるか遠い昔の記憶のようで、もう絶対に忘れることはなさそうなその距離。
握りしめた。高校で硬式野球部に入った時のために買ったボールを。
息をひとつ吐き出す。その勢いのままに呟いた。その技の名前を。
「『一投入魂』……」
『一投入魂:
【投擲術】がレベル5になると使用可能。残存している魔力の半分を消費して身体に眠るすべての潜在能力を引き出し、理論上最高の一投が可能になる。』
最初は笑ってしまった。あまりに説明がフワフワしていて、いかにも弱そうで、馬鹿げた燃費の悪さに。だけど今はこの技に全ての命運を賭ける。そうしてもいいと俺は思えた。
ボールを持った両腕を振りかぶる。左足を振り上げ、軸足の右足を倒していく。左腕を前に突き出し、上半身を反り上げる。左足の踏み込み。腰の回転。内側に向かっての肩の回転。という順番で運動連鎖が起こる。
一連の動きの中で右肩と骨折していた右足と右胸が悲鳴を上げる。けど耐えた。この一球だけは失投は許されないから。
全身の震えと痛みを抑えて投げ込む。自分の信じる最高の一投を。
結果、久しぶりに投げた球のコントロールは大いに荒れた。中心部への狙いは外れた。しかし直撃した。バーサーカー・ナイトの一体の右手首。そこについた白い石に。
デッドボール。だけど今回はそれでいい。
凝視する。賭けの結末を。
白い石を砕かれたバーサーカー・ナイト。今は動きを完全に静止させている。変化は突然だった。騎士の右腕の鎧が肩口からもげて地面に墜落する。予想通り中身は無い。
なるほど。そうなるのか。
ついに騎士の弱点、その身体の全容を把握することが出来た。各部位についている強度の低い白い石を破壊できれば、その対応している部位を潰すことが出来る。
仕組みはわかった。
弾かれたボールを【疾走】で回収する。その間、バーサーカー・ナイトが手当たり次第に地面を爆砕するが、十分に間合いを保てている。その攻撃は当たらない。
さあ今から始まるのは俺の体力と集中力が勝つか、騎士の巨像の連携と読みが勝つかの勝負。もう投げることに気負いはない。この勝負絶対に負けない。
『狂獣の迷宮・第2階層』の最終局面はこのようにして始まった。
第2階層の広範囲を瞬間移動と数でカバーするバーサーカー・ナイト。その間を縫うようにして走り続け、白い石を割っていく。
【自動回復】のインターバルが終わらない中、大剣による絨毯爆撃を突っ切るのはあまりに無謀。それでも自分の身体を前に進めてくれるのは『自信』だった。
ここ数週間前から始めた迷宮探索。それに関することは経験が浅く何一つ自信がない。ただし『投げる』という行為だけは違う。その単純な動作に対して俺は10年以上前から向き合ってきた。年季が違う。慣れない強化された身体を使った投球を徐々にアジャストしていく。
結果、何体ものバーサーカー・ナイトの『無力化』に成功する。だけど討伐には至らない。
多分、俺の力だけで討伐するにはあの鎧に向かって『フルスイング』の直撃をお見舞いする必要がある。だけど5秒間の隙なんて騎士は与えてくれない。ボールを拾っては投げるだけが俺には精一杯。
だから討伐はやってもらうことにした。バーサーカーナイト本人に。
「『一投入魂』! いけ! 」
投げたのはバラバラになった鎧の頭部。投げた方向にいるのは剣を振り被ったバーサーカー・ナイト。瓦礫の爆発。直後に爆散。
俺はここで知った。間接的に討伐にかかわっていれば、とどめをモンスターにさせてもポイントを入手できる場合があることを。莫大なポイントを[力]と[敏捷]に振り分ける。俺はその時に決めていた、最後の一体は自分の力で倒すことを。そして――――
「『乱』っ……『打』ぁぁぁぁ!! 」
限界を超えた体力を振り絞って繰り出した『技』。10000を超える敏捷力で鎧に着いた白い石全てを打ち砕く。その流れのままに足元に落ちた兜を砕き割る。
目の前が黒い煙に包まれるとともに視界の端はとらえていた。こちらに一斉に集まってくる騎士とその向こうに表れた『最終階層』への入口を。
どうなることやらと思ったが何とかなったな。
そんな呑気な感想を抱きながら、一瞬で目の前を覆いつくす騎士の巨像を見つめる。結局、自力で倒せたのは1体だけ。だがこれでいい。今は過程にこだわっている場合じゃない。
振り上げられた剣は振り下ろされる。数多の切っ先が俺を叩き潰そうとする。その瞬間にその行動は『攻撃』と定義される。
「『超反応』」
あえて攻撃を誘い、『技』の発動条件を満たす。結果20000を超える敏捷力で誰にも邪魔されることなく俺は最終階層へと降り立った。




