管制官は知った
ここに1人の【管制官】の男がいる。
ホルダーとしては取り立てて特徴の無く、至って普通の【スキル】構成とステータスを持った彼のレベルは55。まさに平均と言った数値。
そんな彼は職務に対して強い使命感を持っているわけではないが、平和を守るために出来うる限りのことはしたいと思っている……というような平々凡々な善性は持っていた。
だが彼は今日知ってしまった。
(嘘だろ……訳が分からない……)
情報の中でしか知らなかった彼らの持つ狂気と迫力を。
彼らが自然と振りまく身を凍り付かせるような恐怖と脅威を。
自分の耳元のすぐ近くで鳴り始めた死の足音の大きさと音色を。
圧倒的強者が無意識に周囲に発し続けている重圧と殺意を。
(ありえない……こんなのありえるわけが無い……あり得て言いはずがない……)
そして恐怖と困惑と悲哀で産毛の一本すら動かせなくなった彼は心中で叫ぶ。
(なんで……なんで『上位ランカー』共がここに全員揃ってんだよ……! )
【迷宮庁】の後方支援部隊の一人である彼の役目は街中で気絶した一般人を運び出すこと。
そのための技術やスキルを彼は習得していたし、危険な状況に飛び込む覚悟すら彼は持っていた筈だった。
だかしかし彼は現に動けなくなってしまった。まるで蛇に睨まれた蛙のように。暗君に畏怖する民のように。
天上に降り立つ超越者達の放った威圧感と殺意にあてられて、小刻みに声も出せずに震えて、事前に行われた説明や知識も吹き飛ばすほどの恐慌に見舞われて、『ああ、もしかしなくてと俺は今日死ぬんだな』と察してしまって、彼は空を仰いだまま石像のように固まってしまったのだ。
生きた心地のしない体感数ヶ月にも思えるような数分間が終わったのは、最強である彼らが唐突に、突然、彼の視界から消え去ってからだった。
(いきなり現れて……いきなり……消えて……ランカーたちは……いったい……何がしたかったんだ……? )
湧き上がったその疑問が心底どうでもよくなるくらいに彼は荒々しく息を吐き、救護者の隣で膝と手を地面につける。
止まっていた呼吸が再開され、一滴すら出なかった汗が顔面からボタボタと垂れた瞬間、自分が今生きているということを実感するあまり、彼は安心して涙がこぼれ落ちそうになる。
彼にはもはや、自分たちを脅かす敵に対して立ち向かうための気力は少しも残っていない。
ただただ生き残るため、死なないための呼気を吸っては吐き出してうずくまる。彼に今できることはそれだけだった。
だからこそ……
「とりあえず、ここから追い出せはした。だからこれでもう……心置きなく戦える」
聞こえてきたその声に彼は耳を疑った。
なぜ文字通り世界最強の集団に、これ以上立ち向かう力が出せるのか?
なぜあんなバケモノに、これ以上関わることが出来るのか?
なぜ発言の主は、直視しがたい現実から逃げないのか?
(誰だ……? )
そうして彼は心の中に浮かんだいくつもの疑問に後押しされ、起き上がり、目を見張った。
開いた目には……彼が知っている少年が、バットを握りしめて上空を睨む姿が映っていた。
「舞さんは救助の手伝いをしてあげて」
「城本君は、追いかけるの? 」
「うん……少し話をしてくるよ。アイツ等がもう二度とここに来ないように」
もう一度言おう。
彼は少年のことを知っていた。
知ってはいた。
だがそれは表面上の知識だけ。
少年が【迷宮庁】の前身である【迷宮課】の時代の協力者であったこと。
周囲から【英雄】と呼ばれていること。
【迷宮庁】に入ったばかりの新入りである彼は、逆に言えば、それだけしか知らなかった。
(ああ……そうか……そうだったんだな……)
だが彼は今日……知ることが出来た。
なぜ天下の【迷宮庁】がたった一人の未成年に対してこれほどの信を置いているのか。
なぜ【迷宮庁】に所属しているわけでもない元高校生がこれほどまで密接な関係を築いているのか。
なぜ年端もいかない、ただただ強いだけの少年が【英雄】と呼ばれているのか。
(城本剣太郎君……君は……その心も【英雄】なんだな……)
少年が周りに誇示することなく、その身に秘めていたランカーたちをも凌駕する力強い魔力の波動を感じ取った彼は、目をつむり、ひたすらに祈る。
どうかこの少年がこれから行く道が……せめて光に照らされた『明るいもの』であることを。




