ヨハンの最後
冬の寒空の下で……ヨハン・バウムガルトはため息をつく。厚手のコートを着た大男が暗闇に向かって白い息を吐き出すその様は、まるで彼の大きな身体の内で限界まで膨れ上がった失望が漏れ出したかのように見えた。
(争いの無い平和な極東の島国生まれのホルダーではせいぜいこの水準が限界か……)
呼気を出した勢いそのままに、周囲をぐるりと見回すと目に入るのは無残な死体の山。全てヨハンの手にかかって死亡したC級以上のホルダーたちだ。彼らは一方的に嬲られるような弱者では決してない。仲間内の間では強者として扱われ、近いうちにB級……将来的にはA級にも届くと目されていた将来有望な実力者だった。
しかし今回は部が悪すぎた。レベル137にして、世界順位28位の【狂戦士】ヨハン・バウムガルトが相手だったのだから。
(これだけ倒してポイントも精々数千か。この様子では劇的なレベルアップは望めそうにないな。本当に残念だ。もう少し歯ごたえがあるかと思っていたのだが……)
そしてヨハンは尚もため息を重ねた。今度は片手に持った一際強い光を放つ『黄金の大剣』を斜めに振り払って、刃にべっとりと付いた血を飛ばしながら。
(……わざわざ祖国からバルムンクを持ち出すまでも無かったな)
バルムンク――それは彼が初めて攻略した上級ダンジョン『空の玉座』の報酬であり、【魔剣】と呼ばれる強大な力を有する剣の一振り。2m近い刃渡りの剣身と巨大な唾がまるで十字を描いているように見えることから『十字剣』のあだ名も持っているヨーロッパホルダー界が誇る『至宝』だ。
ただの武器を宝とまで言わしめるバルムンクの威力は実際にすさまじいもので、縦に振れば海を引き裂き、横に薙げば地平線の彼方まで山が消失すると称されるほど。
まさに【魔剣】の名に違わない協力無比なドロップアイテムだった。しかしヨハンの力はただただ武器が優れているだけではない。特筆すべきなのは彼の持つ戦闘センスに裏打ちされたその【剣技】にあった。
噂では人類最高のスキルレベルであると言われている、彼の【大剣技】のレベルはなんと『459』。一般的なホルダーどころか、自分よりも高位のランカーすらも凌駕する暴力的な459という数値をもってしてヨハンは自国のホルダー界で絶対的な地位を築ていたのだ。
だがそんな破竹の勢いで強くなっていくヨハンにも目の上のたん瘤な存在はある。世界順位10位以上の『一桁』の通称を持つ正真正銘の怪物たちのことだ。
彼らは、ヨハンがレベルを一つ上げる度に、必ずレベルを2つ上昇させた。
さらに彼らは、ヨハンが新たな『技』を習得する度に、必ず3つの『新技』を手に入れた。
また彼らは、ヨハンが一週間に20の上級ダンジョンを攻略した間に30以上の上級ダンジョンの攻略を成功させた……その時点で【狂戦士】は遂に我慢の限界に達した。
『俺は一体いつになったらシングルナンバーの仲間入りが出来るんだ』と。
選ばれし真の怪物たちを打ち倒すにはナニカ劇的な変化が必要だった。
彼がこれ以上の強さを得るためには新しいナニカを始めなければならなかった。
そしてそんな時――『作戦』の報せは来た。日本で行われる狂気の戦いの正式な参加資格がEUの実質的な宗主国出身のランカーであるヨハンにも送られてきたのだった。
ヨハンはその知らせをいわゆる『渡りに船だ』と認識した。
化け物に追いつくために。
最強の存在になるためならば――何だってやるとその剣に誓った。
しかし現実はそう上手く、思った通りにはいかない。
初めて足を踏み入れたアジアの島国のトウカイと呼ばれる地域の玄関口でヨハンを迎え撃とうと待ち構えていたホルダー達は誰一人として彼のお眼鏡に適うような力も技術も持ち合わせていなかった。
ひたすら耳元で鳴る断末魔を聞くことで気力を削りながら、ほんの少しずつ上がっていく経験値を見ていく内にヨハンの大きな体からは徐々に、次第に、やる気というモノが抜け落ちていった。
(確か日本に居るランカーの数は4人という話だったな? そして俺が狩るに足るレベル90をクリアしたA級ホルダーは数百人ほどか……となると『当たり』の数はそれほど多くは無い……)
無気力に、適度に脱力しつつ、剣を振るう。
たったそれだけで何処からともなく湧いてきたヨハンの敵は次々に撫で斬りにされていく。
スキルレベル459という数の暴力はヨハンの無意識な細かな所作の一つ一つを自動的に最適化させていく。
闇夜に輝く黄金の光は、一秒間に何百回も煌きを放ち、その度におぞましい悲鳴が上がり続けた。
(ああ……こんな時、都合よく……未登録の強者でも……その辺に落ちていないだろうか……? )
ヨハンがそんなことを考えていた、その刹那。
「――『乱打』」
耳元で囁く声が聞こえた。
「――――ッ!? 」
直後、降りかかってきたのは倍率強化されたレベル137相当のステータスをもってしてギリギリ反応できる必殺の一撃。驚嘆を隠せないヨハンは何とか【魔剣】を翻して、防御する。
そのまま一合、二合と【魔剣】での打ち合いを重ねた結果――【狂戦士】の異名を持つランカーは『力押し』で遠くかなたまで吹き飛ばされた。
「馬鹿な――……!? 」
(俺が後ろを取られるばかりか……バルムンクが一方的に力負けするだと……!? )
ヨハンには理解できなかった。
突然の急襲から、自分が剣の打ち合いで敗北したという事実まで。自分の身に何が起こったのか。
(誰だ、お前は!? 日本のランカーの1人か!? それとも……――)
ヨハンは強い混乱状態に陥りつつも、脳の冷静沈着な部分を使って掌を刃で切り裂いた。
「バルムンク! 我が身を糧に真の姿を顕現せよ! 」
何故、ヨハンが【狂戦士】の異名で呼ばれているのか。それは彼の攻撃的な銭湯スタイルの他に、もう一つこの『黄金の大剣』の性質にある。使用者の身体の一部を食らうことで、破壊の力を解放する『暴食』の剣の一面だ。
「【大剣技】――『臨界裂断』! 」
そしてヨハンは撃ち放つ。
先ほどの無気力さを置いてきぼりにした全力の一撃を。
彼の身に秘められた狂暴性を【魔剣】に全て載せて。
(この一撃は――誰にも避けられん! )
彼が放ったのは【大剣技】のスキルレベルが400を超えると手に入る――装備した武器の力の限界を引き出し、そのエネルギーを魔力として打ち出す『荒技』。
仲間が近くに居る時は被害が及ぶ範囲が広すぎて使えないが、周囲が敵だらけの今、気にする必要は無い。
(死ねえええええッ!! )
未知という恐怖を塗りつぶすために過剰なまでの感情を露わにしてヨハンは黄金の大剣を振るう。
「【棍棒術】――『武器破壊』」
「―――――――――……はぁ!? 」
でもそれは全て無駄。なにもかも無意味。端から端まで無価値。
圧倒的な個を前にすれば、か弱き戦士がいくら狂って吼えようとも、勝てる道理はない。
そこでヨハンはようやく気付く。
(お前は――まさか――あの――伝説の――! )
ネット上でまことしやかに囁かれた『伝説』が全て真実であるということに。




