垣間見えた頂点
暴れる心臓の鼓動を必死で抑えた。吐きそうだ。恐怖で悲鳴も出かけた。
だけどこらえないといけない。もう、助かるにはひたすらにここに粘ることしか考えられなかった。お願いだ。お願いだからもう帰ってくれ!
心の奥ではすがるように祈りながら、視線は今いる下段の階層、耳は穴の上の会話に集中する。
「頭ァ ……まだですかねぇ? 」
「あぁ? まあちと長いなあ。でももう食われてるって線はねえなぁ……。バーサーク・グールの持ってる肉切り大包丁が獲物を切り裂いた音は嫌でもこっちに届いてくるぜぇ」
もうこうして何分たったんだろうか。未だに息がある。身体の負傷は自動回復でいつの間にか消えている。なんでかは分からない。運がいいことは間違いないが。
「……いや……待てよ……。これはさすがに遅すぎるか……? 」
「どういうことです? 頭? 」
「……新鮮な死骸から流れ出る血の匂い。いくら『バーサーク・グール』が奥の方に溜まっているとしてももう10は集まって来てもおかしくないはずだ……それに人が好物なのはそいつらだけじゃねえ……明らかにおかしい……静か過ぎる……」
「頭? 」
「どうしたんです? そんな顔白くして? 」
「何か気づいたんすか? 頭? 」
「…………しろ」
「「「はい? 」」」
「撤退の準備をしろって言ったんだ! 早くしやがれ! 」
「「「は、は、はいぃいい! 」」」
何か上層が騒がしくなり始めた。本当はいなくなってくれて助かったと喜びたいところ。だけど……なんでだろう? 背筋がザワザワする。とんでもないことを見落としているような……。そうだ。音だ。下段に来てから物音一つ聞こえない。静か過ぎる。いつからだ……?
「撤退準備始めましたぁ……頭ァ! 一言説明してくだせぇどうしてですかい? ここまでしたのに……いや! ノロウみてえに拘りがあるわけじゃねえですが」
「なあ……分かるか? 俺たちがあの中々に美味そうな獲物を見つけてからここで待ち伏せするまでどれくらい時間が経ったか? 」
「さ、さあ……40分くらいじゃねえですかね? 」
「……3時間だ」
「え? 」
え? 部下と同じ言葉を心の中で言った。そんな嘘だろ……だって……
「そういうことだよ……俺たちはこの3時間の間に一体たりともモンスターを見ていない。追いかけていた間も……こうやって見張っている間もだ……普通はそんなことはありえねえ。これが何を意味しているか……てめえらに分かるか……? 」
「わ、わかりやせん……」
「『迷宮』の異常事態ってやつですかね……? 」
「その線も確かに捨てきれねえ。だが俺は見当がついてるぜ」
何か遥か遠くで音が鳴った気がした。それは俺にはモンスターの悲鳴のように聞こえた。
「知ってるか? 『迷宮』からどうやってモンスターが生まれるのか? どうせてめえらは知ろうともしねえんだろうなぁ。人間を狩ることしか興味ねえんだからよお……。教えてやるよ。それはなあ……いきなり『現れる』んだよ。死ぬときに煙に変わるのの逆だ」
心臓の痛みがいよいよ無視できないほどになっている。もう周囲の警戒なんて全くしていない。ただ今は頭の言葉に耳を傾けていた。
「『迷宮』は内部のモンスターの数を一定に保とうとする。……だが『迷宮』が唯一、その数を保てなくなる時がある。『凄まじい速さでモンスターの数を減らされた時』だ……」
何かが動いた。強烈なプレッシャーを放つ何かが……
「そ、それって……」
「すぐ下にいやがるぞぉ……! 俺達が1000人集まっても、まったく手に負えねえ――『正真正銘のバケモノ』がぁ! 」
俺は身を伏せた。自分でも何でこんなことをしているか分からない。ただ怖くてしょうがなかった。無防備でこの場所で突っ立っていることに耐えられなかった。
「頭ァ! 撤収準備終わりましたぁ! 」
「よし、急げ! お前は先頭! 俺がしんが――――――――――」
その時。
その瞬間。
瞬き一回にも満たない間。
世界が――――斜めにズレた。
頭の男が――
その部下達が――
咄嗟に出した『パワーウォール』が――
岩の質感のある壁が――
不自然に磨き上げられた天井が――
ダンジョンそのものが――
……全てが"真っ二つ"に斬り裂かれていた。
「…………」
生き残ったのは地面に伏せていた俺だけ。でも喜ぶことなんて無理だった。
何だこれ。本当に現実なのか……? あり得ない……。誰かが斬ったっていうのか……迷宮ごと全てを!?
「『剣士の迷宮』が攻略されました……崩壊まであと10秒」
始めて聞く音声。他人が『迷宮』を終わらせるとこうなるのか……?
世界が歪んでいく。うずくまっている地面が揺れる。
目の前が眩い光に包まれる。
その光の中に俺は見た。巨大な剣のような武器を持った人影。男か女かも分からない。だから一瞬の隙で【鑑定】した。
俺はリューカに聞いたことがある。人間やモンスターにレベルの上限はあるのかと。リューカは言った。分からないと。ただこれまでに確認されている中では世界では5人だけ3桁のレベルを持つ人間が存在するのだと言う。
歩行者専用トンネルの朝露に濡れたアスファルトの上で俺はさっき見た光景を思い出していた。
絶対に見間違いじゃない。文字化けしてうまく読み取れなかった情報の中、Lvの欄には二桁の数字の左隣にはっきり『1』の字が刻まれていた。




