レベルとスキルとステータス
「うわああああああ! 」
叫び声をあげて目を覚ます。最悪の目覚めだった。息は荒く、布団の中は汗だらけだ。言うまでもなく『トンネルの中に囚われてバケモノとバット一本で戦うことになる』という意味の分からない悪夢を見たせいだ。
今、自分がいる場所が間違いなく祖父の家であることを確認してホッと息をつく。悪夢から覚めて落ち着いた今、色々確認しないといけないことがある。
まずは左手首。
昨日どうやって家まで帰ったか全く覚えていないし、もしかしたら本当に昨日あった出来事はまるごと俺が見た夢だったのかもしれない。もしかしたら、もしかするかもしれない。だから一縷の望みをかけて手首をチェックする必要がある。『アレ』さえ無ければ……。
「やっぱり……夢じゃないのかよ……」
そこには昨日、風呂場で何度こすっても取れなかった奇妙な文字の入れ墨が変わらずついていた。熱湯で擦っても、冷めた水につけても消えない黒い刻印。明らかに汚れの類じゃない。でも引っ張られもしないし痛みも感じ無い。見た目以外には体に何の変化も無かった。
「タトゥーシール……とかでも無いもんな? 」
まるで何かから導かれたように、何となく指で羅列の中の一文字を触る。
「うお! 何だ!? 」
変化は一瞬で起きた。突如視界に浮き上がる半透明な文字の羅列。手を向けて触ろうとしても、無理だった。SF映画とかで見るホログラムやARのように目の上に投影されているようだ。顔を振っても、目を閉じても視界の中心に居座っている。
「おい、噓だろ? まさか、一生このままなんて言わないよな? 」
最悪な想像をしてパニックになりかけていた丁度その時、スマホの着信音が鳴る。
どうか後にしてほしい。こんな時に誰だよ? ただでさえ謎の文字が真ん中に浮かび上がっているのに、昨日アスファルトへ放り投げたせいで液晶が割れて文字が良く見えない。
苦労して画面に視線をはしらせると着信は母親からのようだった。
あぶない。あぶない。無視するとこだった。
「もしもし? 」
『あぁ~剣太郎ぉ? おはよう。熱中症とかなってない? おじいちゃんも? 大丈夫? 』
「そんな心配するくらいなら……俺を行かせなくても良かったんじゃない? 爺ちゃんは相変わらず元気だよ」
『まあ、そのくらい生意気なこと言えるくらいなら大丈夫そうね。お義父さんにもよろしく言っといて。それで、ちょっと提案があるんだけど……アンタ、そっちにもうちょっと長くいない? 』
「ええ~なんだよ、それ~」
『しょうがないじゃない。ちょっと今親戚が沢山出入りしててバタついてるのよお。ね? お願い。ちょっとはお小遣いもはずむからさ』
「はぁ~分かったよ。爺ちゃんは俺に任しときな。まあ昨日から家にいないんだけど」
『お義父さんはいつもそんな感じだからね……じゃあ、よろしくね。体調には気を付けるのよ~』
電話はそこで切れた。
『体調には気を付けろ』か……。この異常事態も体調不良の内に入るんだろうか。確実なのは恐らく病院に行ったところでお医者サマもお手上げだということだけだ。
「行くしかない……か」
そこで俺は決意した。もう一度下山トンネルに行くことを。
昼間のトンネルは夜に来た時とは印象がだいぶ違った。暑い日差しが差し込む山の中で涼し気な日陰を作っているトンネルの中は怖いというよりむしろ魅力的に見える。
だけど油断したらダメだ。ここには間違いなく何かがある。そして俺はその何かを探らないといけない。
「行くぞ」
昨日の記憶を蘇らせながら恐る恐る、一歩ずつ進んでいく。
夜見た時の印象通り。中はやっぱり汚かった。ペットボトルや缶、煙草の吸殻なんかが端にたまっていて壁は落書きだらけ。もしかしたら昨日の出来事はトンネルの地縛霊になった配達員の怒りなのかもしれない。
そんなことを考えながら前へ前へ進んでいく。そうして歩いていく内に気づけば配達員と犬の怪物と出くわした場所に到着していた。
「確か、ここらへんに……あった」
トンネルの壁の謎の文字はすぐに見つかった。左手首のそれと照らし合わせると本当に瓜二つだ。断言できる。この二つは絶対に関連している。
触ろうとして一瞬ためらう。
今も視界を遮るこの文字とよく似た壁の落書き。これに考えなしに触れてもいいんだろか? ただでさえこの入れ墨もどきに四苦八苦してるのにこれ以上状況が悪く成ったら……?
しばらく考え直しても、意思はそれでも変わらなかった。今更引くわけにはいかない。何もしなければこのままな気がする。ネットでいくら調べても何も分からなかった。手がかりはこれしかない。
「やるしかないんだ」
自分を奮い立たせて、昨夜と同じように手を伸ばす。
過去と現在の景色が重なり、指先が文字に触れた。
「……何も……起こらない? 」
そう呟いた矢先、全身に悪寒が走る。自分が今いるトンネルそのものがねじ曲がっていくような感覚。時を同じくして『文字』はバチバチと音を立てて金色の光を放ち始める。視界を遮るソレも、トンネルの壁の落書きも、左手首の入れ墨も全てが。
「……ッ! 」
まぶしすぎる! 何も見えない! 目が焼ける! 誰か……助けてくれ……!
心の中で叫んだ瞬間、文字は輝きを失った。
何度か瞬きをくりかえし、どうにか視覚を正常に戻す。視界には相変わらず文字がはりついたままだった。しかし……変化ははっきりと表れた。
「これ……『説明』って書いてあるのか? あれ……? なんで俺読めるんだ? 」
読めた。視界に映るあらゆる『くさび形文字』が。壁の文字は『開』。視界を遮る文字は『説明書』。そして左手首の文字の羅列は『開』『閉』『戻る』『選択』『入力』『決定』を意味している。
恐る恐る『決定』に触れると。
「うぉ! 」
視界の文字が切り替わる。
今度は長い文章だった。
「『神々が与えしレベルアップの奇跡を授かりし者よ。魔界に、迷宮に、人界にはびこる魔を打ち滅ぼす力の一つとなれ』……? なんだこりゃ? 」
読み終わるのと、またもや浮き上がる文字が切り変わる。
表示されたのは『ステータス』と『装備』、『状態』の3つ。視線を動かすとどれかの文字に寄って行く。俺はステータスを視界の中心に置いて決定に触れた。
「……これってゲーム画面か? 」
ステータスと聞いて何となく想像していたが、浮かび上がった文字はおおむね予想通りのものだった。
『城本 剣太郎 (年齢:16歳) Lv.1
職業:無
スキル:【棍棒術 Lv.1】、【疾走 Lv.1】
称号:≪異世界人≫ ≪最初の討伐者≫
力:14
敏捷:17
器用:14
持久力: 8
耐久力: 6
魔力: 1 保有ポイント:0』
「おぉー何か小学生のころやったアレを思い出すなあ。……魔力、低っ! 」
認めよう。訳も知らず。理由も分からず。困惑はしつつも。俺は子供心をくすぐられる、この数字の羅列に妙な興奮を覚えていた。
自分の置かれた異常な状況に。田舎で過ごす穏やかな日常からかけ離れた非現実的な光景に。暑苦しい退屈な日々とは似ても似つかない、非現実的な現象の数々に目と心を奪われていた。
だから気づかなかった。周囲の"劇的な変化"を。
「あれ?……え?……ここ、トンネルだよな? 」
予兆のようなものを感じて。ほんのささいな空気の変化を察知して。俺は目線を目の前の文字列から切る。
横の壁を見ると間違いなく下山トンネルだ。落書きもあるし、ゴミも落ちたまま。しかし嫌な予感を覚えたままの俺は導かれるように振り返った。
「……は? 」
出口が無い。そこにあるはずの。本当は村へと続く穴があるはずの場所は土くれと岩で固く閉ざされていた。
「おいおい冗談だろ! 」
焦燥にかられたまま慌てて駆け寄り、壁に触る。手のひらに伝わったのは確かな硬い土と冷たい石の感触。確かな手ごたえだ。まるで大昔からこうだったとでも言うような。
「まさか目をつぶっている間にトンネルが崩落したのか……? あはは。そんなことってあるんだな……」
この状況から考えうる出来るだけ『自然な答え』を口に出して、無理やりこの現状について納得しようとする。
「危なかったな。でも運も良かった。下手したらそのまま生き埋めだ。俺の立ってる場所はギリギリ崩れなかったんだ」
起きてしまった異変を、気づけもしなかった不幸と思いもよらない幸運があった結果であると無理やり決めつけた俺は不安を押し殺すように手首を握り、本来の目的を思い出す。そうだ。俺はここまで、この目に浮かぶ文字を消しに来たんだ。
手首の『閉』の文字に触れる。予想通り視界を遮る文字は消え去ってくれた。ようやく本来の目的を達成できて息をつく。
厄介ごとは一つ消えてまた一つ増えてしまったみたいだけどまあ良いさ。今度の問題は自力でどうにか出来る。トンネルの片方がふさがれたのなら、もう片方から出ればいいんだから。村に直接戻れなくなったのは仕方がない。奥前市の方で誰かに助けてもらおう。大丈夫。事情を説明すれば誰か分かってくれる。この複雑怪奇な状況をうまく言い表せるかは不安だが、ヒロ叔父さんもいることだし心配はないはずだ。
「大丈夫、大丈夫だ。落ち着け。俺は正常だ。頭がおかしくなってなんか──」
はっきり言おう。俺はこの期に及んでまだどかか楽観的だった。
「──え? 」
今自分の身に何が起こってしまっているかなんて、欠片も理解できていなかったんだ。
「……これって悪い夢かなんかだよな? これは、これだけはあり得ないだろ……」
トンネルの入り口から見た光景は俺に人生最大の驚きをもたらした。
奥前市の街に面するはずのそこに広がっていたのは紫色の巨大なしょう乳洞の大空間。そこを左から右へ流れていく見たことも無い生き物たちの群れ。
黄色く大きな目を光らせた二足歩行のオオトカゲ。
そこら中を這いまわる全身を岩で覆った小動物。
硬い棒きれをかつぐ小鬼としか形容しようのない生き物。
中には昨日戦った犬もどきもいる。
「……そうだっ」
洞窟の中の景色に言葉を失うこと数秒。思い出したかのようにポケットの中のスマホの存在を思い出すが、悪い予感は的中した。電波は飛んでいない。圏外だ。
「訳わかんねえよ……なんなんだよ……」
痛いほど高鳴る心臓の鼓動が。鼻孔を突く獣の匂いが。風に乗って肌をうつ砂粒のリアルさが。それが決して夢ではなく現実であることを教えてくれた。
だから今すぐに認めないといけなかった。
「ここは……どこなんだよ……っ!? 」
自分が『得体の知れない世界』に迷い込んでしまったことを。