1秒の決着
ほんの一瞬。
一秒にも満たない時間。
(あれ? 私……)
絵里は、自分が気を失っていたことを自覚する。
その直後にまた気づく。
(音が……聞こえない? )
重ねがけした強化によって飛躍的に頑丈になっている筈の自分の聴覚器官を破壊する何かが起きてしまったことを。むき出しになった地面に自分の身体が投げ出されてしまっていることを。
「『回復』! 」
絵里は冷静だった。特に焦ることも無く【回復魔法】を自分自身に使用。
火傷を負ったような皮膚表面ごと身体全体を即座に癒していった。
「えりー。私にもお願いー」
「舞さん!? 」
絵里の反応は早い。
即座に声の出た方向に動き、治癒対象である人物を補足。自分の護衛役の女性が負った傷の程度を吟味してこの状況に置いて最適な【回復魔法】を的確に処置していく。
「大丈夫! 傷は浅いよ! 」
「ありがとー」
いつもより少しだけ弱弱しく聞こえる返事を受けながら、魔力を振り絞る日本最高のヒーラーは凡百なヒーラーならば10分はかかる傷を10秒足らずで治して見せた。
(あれ……? 剣太郎君は? どこ? )
そして後方支援のプロはすぐに察知する。もう一人自分のすぐそばにいた人物がいなくなっていることを。
(【魔力の波動】は……アッチだ! )
絵里は【索敵】や【捜査】などの特定人物を探し出す【スキル】を持たない。
そのため、『誰かを探し出すような』状況においては保持者であるなら誰でも使える方法に頼ることになる。
例えば『ホルダーそれぞれで違う魔力の波長を感じ取る』ことなど。
(急げ急げ! )
ヒーラーは走る。
【回復】が必要な仲間の元へ。
デコボコの悪路を走ること十数秒、願いは届く。
(見つけた! )
「剣た……――ッ!? 」
その少年の後ろ姿を少女が見間違えるはずが無い。見つけた直後には自然と口が少年の名を呼ぼうとしていた。
だがしかし。
安心して駆け寄ろうとした絵里の眼に飛び込んできたのは、全身に【自動回復】を発動させた臨戦態勢の姿だった。
「……」
呼ばれた少年は一瞬だけ少女の方へ振り返ると、視線だけで語る――『今は動かないでくれ』と。
そして少年は絵里から視線を切ると空を仰いだ。
「おやおや……アナタだけでなく結局、全員生きのこってたのですか? 」
こちらを悠々と見下ろす『コウモリの巨大な翼を生やした男』を睨み返すように。
「なるほどなるほど。『最後の罠』すらもアナタ方には通用しなかったのですね」
一見では人間のようにしか見えない男の声はよく通った。開けた空に音が吸収されること無く、まるで耳元で囁いているように。
「…………」
対して少年は何もこたえない。
黒い口ひげを右手でいじり、左手でこめかみから生える角を掻きながらニヤニヤと口角を上げる色黒の男を見上げたまま一歩も動こうとしなかった。
しかしコウモリ男も自分のペースを崩さない。ベラベラと好き勝手に語りたいことを話しだす。
「実はあの『最後の罠』を設置するにあたって私も少しだけ大将殿に協力したんですよ? 我が種族に伝わる【魔力爆破】を意図的に発動させるノウハウを教えたのです。【確立操作】と言うのですが、ご存じですか? 味方に幸運を集め、敵には不幸を押し付けるという素晴らしい能力のことです。これによって老いさらばえた樹木の爆死を確定させることが出来ました……しかし、しかしですよ? 【魔力爆破】によってもっと悲惨なことになると考えていたのですが……もしや爆風の封じ込めが成功――」
「…………だ」
「はいー? 何か言いました? 」
「お前等は……何者なんだ? 」
「おやおや。名乗るのが遅れてしまいましたね。我々は西方人界征服軍・征伐特課隊……私はその隊長を務めるグラファと言うものです」
痺れを切らした少年がした問いに対して男が両手を広げて応えると、次々に現れる幾つもの黒い影。隊長と同じコウモリの翼が生えた魔の軍勢に鬼怒笠村の青い空は一瞬で埋め尽くされていく。
「征伐特課の役割はこの地球の言葉で言い表すならば『督戦隊』の性質に加えてアナタ達の様な『討ち漏らし』を消すことにあります。安心してください。皆さん断末魔の一つすら上げずに安らかに逝ってる方ばかりです。苦しくはありませんよ…………――多分ね」
空から降って来るあまりにも理不尽で、あまりにも一方的な勧告。
絵里はビクリと肩を揺らすと、指の一本すら動かせなくなってしまった。
なぜなら少女は感じ取ってしまっていたのだ。
魔境を攻略した後に待ち構えていた敵が放つ『魔力の波長』を。
500は下らない数の魔の軍勢が、絵里と舞が相手取ったステータス10倍の補正を受けていたどの怪物たちよりも強力で、凶悪な力を持っていることを。
結果として、絵里の感覚は正しかった。
『征伐特課』とは無様に敗走した元・仲間を処刑し、殺し損ねた敵を始末するために造られた部隊。その構成員の平均レベルは150オーバーであるのに加え、レベルとは関係の無い高い殺傷能力と鍛え上げられた暗殺技術までも兼ね備えている『殺しのプロ集団』だったのだから。
そんな彼女を横目に少年は声を上げる。
「おい」
「なんですか? 城本剣太郎」
「これで全部か? 」
「は? 」
「この数で全員なのか? 」
「…………はぁ? 」
それは隊長グラファにとってみれば挑発としか取れないような発言だった。『この程度の数しか用意出来なかったのか? 』と聞かれているようなものだった。
「あまり我々を……舐めない方がいいですよ? 」
もちろんグラファは激怒した。
但し、分かりやすく言葉を荒げるようなことはし無い。
『殺意』によく似た、静かで張り詰めた怒りを沸々と湧き上がらせたのだ。
このようにして自身の身を内側から焦がすような激烈な感情を全身に滾らせると、数百の配下に手振りで命令を下す。――『眼下の獲物を殺戮せよ』と。
「【幸運徴収】! 」
それと同時に発動させたのは確率を操作する【スキル】。これによりグラファの部隊は一時的ではあるが『あらゆる幸運』を享受することが可能になり、少年はあらゆる不運を誘発する不幸体質に落とされる。
「――――死ね! 」
まるで嵐の日の雨のように、空から降り注ぐ黒い尖兵。
剣、槍、矛、刀。
思い思いの武器を携えながら音速を優に超える速さでただ一点、少年が屹立する場所へ迫っていく。
(剣太郎君!! )
自失していた絵里は、その時にハッと我に返り、手を伸ばす。
せめてごっそりと削れてしまっている少年の魔力を回復させようとした。
(間に合わない……! )
しかし遅過ぎた。
殺到する黒い翼が実現する速度は少女の反応できる限界を優に超えていたのだ。
「――『闘気解放』」
この間、たったの一秒。
少年と数百の軍勢は真っ向から交錯する。
「……な!? 」
数多の剣戟の音が轟き、響き、開けた空間に波及した。
「そん……なッ……」
何十、何百もの破砕音が重なり、木霊した。
「そんなッッ……!! 」
散り散りになった黒い肉の破片は発生した風に舞いあげられた。
「そんな……馬鹿な!! 」
もう一度言おう。
少年と軍勢が接敵していたのは僅か一秒間の出来事だった。
その時、絵里が見たもの。
重なる黒い翼の奥……荒れた大地に立っていたのは……
「それが――最期に言い残すことか? 」
……断末魔の一つも上げることを許さずに、運否天賦すらも力で叩き潰して、敵を殲滅した―――紛うことなき城本剣太郎の姿だった。




