獰猛で残酷な人狩り達
使用した技は『全力疾走』。一度使うとしばらく使えなくなるが構いやしない。出し惜しみをするのは助かった後で良い。一気に距離を突き放そうとするが、奴らは鎧をガチャガチャ言わせて必死に追いすがってくる。
持久力のステータスから考えれば、まだ全然走れるはずだ。なのになんでだ? なんで息が詰まる? なんで呼吸が安定しない? なんで足がもつれる? なんで身体がこんなに動かない?
戦えば案外、簡単に撃退できるかもしれない。だけど10人だ。俺よりいくらレベルが低くても万が一がありうる数。それに奴らは人を殺すことに全く頓着しない連中だぞ?
戦いたくない。それが正直な気持ちだ。それに誰かに殺意を向けられるのも真剣に追いかけられるのも初めてだし……ああ。言葉を濁さず、はっきり言おう。
俺は他人から初めて向けられた殺意に目茶苦茶ビビっていた。
「はぁ……はぁ……どっかに……隠れる……場所は? モンスターは? 」
ここは『剣士の迷宮』。剣を使ってくるモンスターに都合が良いように見通しが良く開けた空間が続く。その中で身を隠す場所を探すのは至難の業だった。こんな時に限って全くモンスターと遭遇しない追い打ちもかかる。
持久走は気力の勝負だ。そういう意味だと今の俺は負けていた。殺人集団に心が折れかけていた。だけど、足はどうにか止めなかった。前へ前へと運び続けた。そんな俺に奇跡が訪れる。
「……あった! 」
見つけた。『剣士の迷宮・下段』に通じる縦穴。躊躇っている場合じゃない。俺は底が見えない暗闇の中に迷わず飛び込む。
「……がっ! 」
深さは想像の数倍だった。何度も何度も壁面に体をぶつける。岩肌に衣服も皮膚もえぐり取られ、体勢は目茶苦茶だ。それでも何とか着地する。狙いすましたようなタイミングで『全力疾走』の効果は切れた。
多分骨は折れてない。だけど足首を盛大に捻ってしまった。全身も傷だらけだ。出血もかなりしてしまってる。俺は決断しなければならなかった。この穴の付近に隠れて【自動回復】でまともに動けるようになるのを待つか、今すぐにでも無理やりこの場を離れるか。
選んだのは前者。腹をくくって壁に背を付けてじっと息を潜ませる。
追手の足音はすぐに縦穴までやってきた。
「頭ァ! いませんよ! どうします! 」
「ここら辺に絶対にいるはずだ! 手分けして探せ! ノロウ! てめえはこの穴を見張っとけ! 」
男が二人喋っている。頭と呼ばれる屈強な体格の男が、ヒョロイ部下に指示を出している。
ここにいることを悟られないことを優先しながら見上げていると、目に入った。ノロウと呼ばれた部下がこっちに飛び降りようとしているのを。
やめとけっ。やめろ……! 声に出さず細い男に訴えた。
心の中の念が通じたのか、頭と呼ばれた男はノロウの後頭部をはたいて止めた。
「バッカ野郎! てめえ死ぬ気か! ここがどんだけ深いか説明しただろうが! もう忘れたのか、鳥頭! ただ見張ってりゃあいいんだよてめぇは! 」
「す、すまねえ……でもどうしても逃がしたくなかったからよぉ……」
逃がしたくないだって……? この一見気弱そうな男すらも人間を殺し慣れているっていうのか。
その瞬間、胸の奥に広がった薄気味悪さで、吐き気がこみあげるが必死に抑え込んだ。
「なあ、ノロウ。二度目だぞ? ……わかってんな? 次で最後だ」
頭の男はそれだけ言い残して其の場を後にした。
顔面蒼白の部下を残して。
……当然の如く、殺人鬼たちは『中段』で俺を見つけられなかった。
数十分後、奴らはこの穴の近くまで再び集まると聞き馴れた怒りの声が穴の底まで轟いた。
「てめぇら真面目に探したんだろうなぁ!? もし、この階層からあのガキ出てきたならお前らの節穴から目玉抉り取ってやるからなぁ! 」
「間違いねぇ! 見当たりやせん! 」
「こっちにも確かに居なかった! 俺の目に狂いはないっす! 」
怒号を発する頭と必死で食らいつく部下達。しばらく押しだまり、大きな舌打ちとため息を口から漏らして諦めたのは、以外にも頭の方だった。
「チッ! ……んじゃあ……あのガキこっから下に降りちまったのかよ…………。仕方ねえ。今日は撤収だ……帰るぞ! 」
「ち、ちょっと……待って下せえ! あんな美味しい獲物見逃すんですかあ! 」
俺に都合の良い流れになりそうだったのに待ったをかけたのはノロウだった。
「なんだ? ノロウ? 」
「さっき頭も言ってたじゃねえですか! レベル53の俺達で狩るのに丁度いい獲物だって。ポイントも金も稼げるって! 苦労してここまで追い詰めたんですぜ? やりきりましょうよ! 」
なんで今の俺のレベル知ってるんだ? 一瞬の思考の後に思い付く。まさか――
青みがかった視界の中で俺は見た。ノロウの名前の横のLv.47の文字。そして頭――――リンドの隣に表示されるLv.51の文字を。完全に失念していた。リューカのような例外だけでなく、異世界人には【鑑定】スキルを使えるってことを。
下で新たな事実に打ち震えている俺とは対照的に上の空間は張り詰めた空気が流れていた。誰もしゃべらない。動かない。呼吸の音すら聞こえない。永久に続くような無言を破ったのはリンドだった。
「……ノロウよお……いつもなら4人も狩れれば……満足して『迷宮』からさっさと出たがるビビりなお前がよお。今日はやけにはりきるじゃねえか……何でだ? …………ああ、そういえばお前最近、結婚したんだってなあ? 」
下から盗み見てるため何が起きているかほとんどわからない。そんな俺でもよく分かった。ノロウの肩がビクリと動いたことを。
「つれねえじゃねえか……何で……教えてくれなかったんだ? ……聞けば祝いのひとつや二つ、持ってきてやったのによお……だって大変だろ? 新婚はよお……先立つものも多いんだからよぉ 」
「い、いや……いや! ちげえんだ頭! そんなんじゃ、なくて……」
「3度目だ……ノロウ。お前が仲間に入れてくれって頼み込んだ時に俺はちゃんと言ったよな? 仏様より慈悲深い俺を怒らせるのは三回が限度だってな……」
「わ、わかってるよ! あんた勘違いしてるよぉ! ……俺は――――――」
「4度目ぇ!! 」
怒声と共に頭の右腕が閃いた。その輝きが斜め上に斬り上げられた大鉈であることが分かったのは、首を搔き切られたノロウの死体が目の前に落ちてきてからだった。
「ン―――――――――――――ッッッ!! 」
叫び声と吐き気を両手で必死に抑えた。こちらに流れてくる血にふれないように必死に壁際に後ずさる。
始めて見た。人間が人間に殺される瞬間を。こんなにもあっけないものなのか。人を殺すことって。
「……戻りますかい? 頭」
「いーや状況が変わった。しばらくここに残るぞ」
そして上から聞こえる絶望的な宣言。どうして? 仲間が一人減ったのにどうして残るっていうんだ? 俺のその疑問には謎めいた判断をした頭本人が応えてくれた。
「この常在型の『剣士の迷宮』はなあ、上段は初心者、中段はLv.50までの中級冒険者に丁度いい強さになっている。だから中段で俺たちは効率的に人狩りができたのさ。でもなあ下段は違うんだよ。こっから降りると別格だぜ? 強さの次元がよぉ……」
生唾を飲み込んだ。何だ? 何か寒気がする。何かに見られてるような……。
「ここの『下段』は地獄だぜ。マジでな。平均がLv.70超えの伏魔殿だ。命知らずか、本物のバケモノしか降りるヤツはいねえ……。そのモンスターの中にいるんだよ。血を好み、人間の屍肉を貪り食う『バーサーク・グール』の大群がよ……」
まず過ぎる。この状況は……ヤバすぎる。
「あのガキが下に降りていたら確実に逃げてくるぜ。この唯一の出口にな……そこを上からたたこうって寸法よ……モンスターは上に上がってこねえからなあ」
すぐ横には死体。すぐ上には殺し屋集団。横に移動しようとしてもそこは怪物達のすみか。間違いなく俺は過去最高に追い詰められていた。




