魔境
「センパーイ……そろそろ帰りましょうよぉ……」
「もう少し! あとちょっとだけだって……な? あとちょっと! 」
夜。
とある路上で。
二人の男が会話をしている。
「今日は3つもダンジョン回ったじゃないですかぁ~。その内一つは最後まで攻略したんですよお? 今日だけで少なくとも4万円は稼げましたよ~? もう充分ですって! どっかで打ち上げしましょうよ~」
「そんなこと言わずにさぁ。ここまで来たんだから最後までレベル上げ付き合ってくれよぉ。言ったろ? もうちょいでレベル30になりそうなんだって! あとは【剣術】と【盾術】のスキルレベルを2……いや1上げれば絶対に届くんだ」
会話の内容からホルダーであることと、気の置けない仲であることが分かる二人はこの瞬間少しだけ揉めていた。方針の違いで真正面からぶつかり合っていた。
「でも……よく言われてますよ? 『ダンジョン探索は好調のピーク時が引き際』だって。ホルダー講習会でも、そう教わりました」
「それって管制支部でやってる無料の奴だろぉ? ダメダメ。あんなの信用しちゃぁ。管制官サマはホルダーである前に政府のお役人だからな? アイツ等の頭でっかちな固いことばっかり聞いてっと稼げねえぜ? 」
「ですけど……」
「『稼げるときに稼ぎまくる』。これが鉄則! 今日のノッてる俺たちならもっと稼げる。間違いない。ついでに俺の経験値もモリモリ。ウィンウィンだろ? 」
そして議論は決着する。年上による半ば強引な説得によって。
「はぁ~。まぁもっと稼げるっていうんならいいんですけどね……」
こんな事態には、もう慣れっこだった後輩はため息をついていた。
「なぁ? 分かればいいんだよ。分かれば」
一方のセンパイは相方の様子などつゆ知らず、ホクホク顔で腰に佩いた剣を抜き差しした。
その時、二人の間に流れていた空気は明らかに弛緩していた。
「それでセンパイ、一つお聞きしたいんですが? 」
「あ……うん? なんだ? 言ってみろ」
「ここ……どこでしたっけ? 」
「え? えぇーっと……確か……」
しかし二人の緩んだ警戒心は――
「どうしたんですか? 」
「あれ? おっかしいなぁ……さっきまで電波繋がってたんだけど……」
「え? 」
――直後、張り詰めることになる。
「ダメだ。繋がらねぇ……」
「いやいや。それヤバいでしょ……センパイって携帯会社どこでしたっけ? 」
「カケホーダイで有名なあそこだ。そっちはどうだ? 」
「んぇ? ……はぁ、やってみます……あれ? え? 」
「まさか……」
「……ダメです。こっちも繋がりません……」
「マジか……」
青ざめた表情を見合わせる二人。なぜ二人がこれほどまで絶望しているのかの理由は二つあった。
「なあお前ってこの辺土地勘なかったっけ? 」
「あるわけないでしょ! 俺、センパイに誘われてこんな『ド田舎』まで来たんですよ! 」
一つ目は二人がこの場所に始めて遠征しに来たホルダーであったこと。
「やべぇ……霧も濃くなってきたぞ……」
「ねえセンパイ……」
「な、なんだ? 」
「もう一つ聞いても良いですか? 」
「あ、ああ」
「ここら辺のダンジョンは適正レベルが低いのにアイテムのドロップ率が良いって話でしたよね? 」
「そ、そうだが? 」
「じゃぁ、なんで……この穴場には俺たち以外に人がいないんですか? 」
「お、お前も知ってるだろ! ここらは『魔境』が近いからだよ! 」
二つ目は誤って足を踏み入れる可能性があるほどに『魔境』が近くにあるということ。
「ならセンパイが教えてくださいよ! 『魔境』はどっちなんですか!? 」
「お、落ち着け! 一旦! ちゃんと思い出せ! 『魔境』のこと! 」
「お、思い出すって……何をです? 」
「確かに『魔境』は一歩でも踏み入れたらヤバイ……うろついているモンスターもA級ホルダーが裸足で逃げ出すようなバケモノしかいないらしいからな……けどな、奴らは決して『魔境』から出てこない」
「そう……なんでしたっけ? 」
「ああ、そうだ。奴らは『魔境』にいることでその真価を発揮する。が……一方『魔境』から出てしまえば大したことないんだよ。大幅に弱体化する」
「『魔境』限定の……レベルやステータスの倍加補正がかかってる……とか? 」
「そんな噂もあるな……まあハッキリとしたことはわからねーが」
「じゃ、じゃあとりあえず、ここから動かなければ……」
「『魔境』に入る心配も無いし……『魔境』のモンスターに出くわすことは無い」
「はぁ~。すいません。『魔境』はとりあえずヤバいって聞いてたから……実は今日も内心ずっとビビってたんです。その上、ケータイの圏外になるしで……まんまとパニクっちゃいました……」
「まあ良いってことよ。まだレベル二桁になったばかりの若輩者だからな。こっから色々学んでいこうぜ」
「ハイ! ……――ところでセンパイ? 」
「また質問か? なんだ? 」
「さっきから、暗すぎません? 」
「……え? 」
「ギギィイイィ――――――? 」
「「うわああああああああああああああああああああ!! 」」
仲のいい先輩と後輩のホルダーの二人組。彼らが叫んだのは同時だった。
自分たちに落ちた『影の正体』を探ろうとして見上げた頭上に居たのは巨大な一体のモンスター。
『Lv.112 ギガント・ボア/クイーン』
闇夜に溶け込む漆黒の鱗。
人の身長を超えるほどの大きさの4本の牙。
天を覆い尽くすほどの巨大な胴体。
全てが規格外で圧倒的。
睨みつけられた2匹の得物が、その大蛇のことを『魔境』出身のモンスターであることを確信するには十分すぎる情報だった。
(な、なんで? 『魔境』のモンスターが……? こんなところに? )
(レベル112……嘘だろ……ここは『魔境』の外な筈じゃ……? )
声すら出せない二人に出来たことは、音を立てず、指の一本も動かさずにただ見逃してくれるのを待つこと。それだけしかなかったのだ。
だが言葉を解さない猛獣系モンスターには、そんな甘い考えは通用し無い。
「シャアアァアァアアアアアアアアア――――!! 」
((終わった……))
絶望が二人を支配し、大蛇は小さな得物を丸呑みにしようと頭から飛びつく。
長い走馬灯を挟む余地もなく、全ては一瞬。
それが『魔境』のモンスター。
それが[敏捷力]80万。
それがレベル112の大蛇の食事。
この哀れな被害者の断末魔は誰にも聞かれることなく、闇夜に消える。
「『疾風迅雷』」
――その筈だった。
「え? 」
「あ? 」
2人が聞いたのは重なった何千もの風切り音。
2人が見たのは瞬く金属の鈍い照り返し。
一体この瞬間に何が起きたのかは、もちろん2人には分かっていない。
ただ2人には『結果』だけが残された。
「ケガはないですか? 」
巨体を支える骨と言う骨がへし折られた『蛇』と、その頭上に立つバットを持った『少年』を。




