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自信

(まさか、こんなモンスターがいるなんて……。)



 リューカは戦闘中であるにも関わらず震えていた。そんな様を煽るかのようにこちらを見下ろす『ソレ』は迷宮に響き渡る声を上げた。



『虐キャ愚ギャ唖グ亜ァオぁ乎ァ覇ァ唖ア亜逆ぁアぁャア伽アア亜!!! 』



 聞くと精神に異常をきたすような絶叫。複数の口から奏でられる不協和音。まさにこのモンスターの見た目に相応しい。



『Lv.64 キメラ:

 複数体のモンスターが混ざり合って出来た巨大な身体は驚異の再生力を持つ』



 鳥の羽。100本を優に超える数の何種類もの手足。へばりついた無数の口。常に蠕動(ぜんどう)している薄そうな皮膚は、切り裂いても叩いてもすぐに復活してしまう。どの部位を切っても、何をしても、キメラは痛む素振りすらみせない。どんな本でも見たことのない異常な生命力。



(あぁ『迷路の迷宮』の時と同じだ。私の知識は本頼りの既知のことしかない。だから……何もできなくなる。こうやって『未知』のモノを前にすると……)



 リューカは努力した。剣太郎の言葉に少し救われて前を向き、迷路の迷宮でのトラウマを押し殺し、なんとかこの最上層までたどり着いた。しかしそこで待っていたのはリューカを最も恐れさせるモンスター。『キメラ』という名前の『未知』の集合体。



(みんなは……私を信じてついてきてくれたのに……)



 そして、その『未知』という概念は『迷路の迷宮』での記憶を呼び覚ます呼び水となった。





 第13騎士団でリューカは一番の年下だった。兄の仮面を被って接してきた仲間たちは脆い本性を持つリューカにとって、頼れる兄と姉のような存在だった。


 4年だ。4年もの間、リューカは騎士団の仲間たちと過ごした。間違いなくリューカの人生で最も幸せだった日々。でもそんな日常は長くは続かない。


 凄まじい実力主義を掲げる帝国で、第13騎士団は新参で、周囲からの格好の獲物だった。謀略に合い、裏切りに合い、とうとう最後は他国に情報を流しているという告発までされた。


 リューカがどれだけ理路整然とした主張をしても聞き入れる者はいなかった。帝国は長い歴史の中で腐敗していた。恐ろしく長く続いた薄汚れた年月の前ではリューカはちっぽけな15歳の少女でしかなかった。代々続いてきた裏金と脅迫と謀略に対して、新参者の騎士団になすすべもなかった。


 13騎士団は追い込まれた。団員の何人かは政治的指名手配犯として名を上げられ、"騎士団解体"も時間の問題だった。こうして追い詰められた13騎士団が選んだ選択は最悪なものだった。『迷路の迷宮』。常在型でありながら未だ生還者0人。内部情報無し。出現するモンスターの情報なし。ただ大昔から存在して何万人もの命知らずの生命を吸い尽くしてきた狂気の殿堂。


 そのダンジョンの成功とその中にある迷宮の全てを皇帝に捧げる。力もコネクションも無い騎士団に残された方法はそれしか無かった。それ以外の方法は無かった。だが今この瞬間でも頭のどこかでリューカは思っていた。『あの日、あの時に、言っていればよかった。『未知』とはどれだけ恐ろしいのかを』



「ぐあぁ! 」



 突如生えてくる触手。誰一人として反応できない。運悪く吹き飛ばされたのは剣太郎。強かに迷宮の壁に打ち付けられる。


 リューカの記憶はその瞬間フラッシュバックした。『迷路の迷宮』で兄の様に姉の様にしたっていた人たちの悲痛な断末魔を。こちらに何かを託した覚悟を持った表情を。ひしゃげた手足を。魂の抜けた虚ろな目を。見るも無残な死体を。



「……っ! だめっ! 」



 リューカは走った。わき目も降らず。一気に剣太郎の元へ。そのあまりに大きな隙を『未知の怪物』は逃さない。


 衝撃。振動。激痛。


 気づいた時にはリューカは壁を背にしてうずくまっていた。かすかに残った意識の中でリューカは認識した。後頭部(・・・)から出血している事。被っていた兜が壊れてしまったこと。その瞬間心が折れてしまったこと。


 リューカは……目を閉じた。



(また、私のせいだ……。知識しか取り柄が無いのに……何もできなかった)



 全てを諦めかけた。


 全てを投げ出しかけた。


 全てを諦めかけた。


 異世界から来た少女――その耳に届いたのは連続した『金属音』だった。


 のろのろと目を開けるとそこにあったのは――


 キメラとリューカの間に立っていたのは―――


 リューカの眼に飛び込んできたのは―――――


『金属の棒』を持った一人の黒髪の少年の背中だった。



「うおおおおおおおおおおおおお!! 」



 少年が雄たけびを上げると呼応してキメラも声を上げる。少年は迫ってくる無数の触手をたった一振りで全て弾き返す。ただでさえ早かったスピードはもはやリューカの目にすら止まらない。リューカは気づいた。


 少年が『能力増幅剤』を使用していることを。



『能力増幅剤:服用したものの基礎能力を5分間の間倍化する。5分経過した使用者のステータス補正は、10時間使用できない(・・・・・・・・・・)副作用がある。この倍率はありとあらゆる称号・スキルと重複する。』



 リューカは分からなかった。なぜここまで頑張れるのかと。なぜあきらめないのかと。なんでそんなに強くあれるのかと。


 しかし、そんな時に、【念動魔術】と【棍棒術】と【疾走】を併用させて、今もキメラとギリギリの戦いを続ける剣太郎は背中越しに叫んだ。それはリューカを呼ぶ声だった。



「もう、俺には何の策も浮かばない! 頼れるのはリューカだけだ! 考える時間は俺がいくらでも稼ぐ! だから……頼む(・・)! 」



 いくらでもというのは明らかに嘘だった。5分後には剣太郎は何もできずに殺されることは明白だった。



(なぜこの状況でそんな嘘が、あんなにも辛そうなのに、こっちを励ますようなことを……。でも無理だ……私にはそんなことなんて……)



「思い出せ! 本を読んで得た知識が何をしてくれたのかを! 『自信を持って(・・・・・・)』くれ! 今、俺たちがここまでたどり着けたのは殆どリューカの知識のお陰だってことを! 俺は点……リューカを信じてる! 」



(……あ)



 きっかけは少年が発した『自信を持て』という単語。彼女の意識は一瞬で自分の記憶の中に引き込まれる。


 どうして今まで忘れてたんだろう。リューカは今、この瞬間に唐突に思い出していた。小さい頃の記憶を。兄の言葉を。




 本の知識はあの日々を思い出すようで嫌だった。両親の失望の目から逃げて、部屋の奥に閉じこもり、ひたすらに本を読んでいた。窓から見える兄さんの剣術訓練と本で見様見真似の剣舞を一人きりで部屋の中でしていた。忙しい合間を縫って遊びに来てくれる兄さんのする『お話』が唯一の楽しみだったあの時。リューカは兄に聞いた。



『何で、いつもそんなに凄いことができるの? 』と。



 兄は頭をなでで答えてくれた。



 ――――――『自信をもってるから』。僕を信頼してくれる仲間と『お話』を期待して家で待ってくれている妹を持つ自分自身に。でも自信っていうのは誰でも持っていいものなんだよ? もちろんリューカだってね。



 さっきまでは思っていた。兄はただただ同情でそうしてくれるんだろうと。何で兄はこんな出来の悪い妹のために時間がもったいない、なんて思っていた。



(でも違う。剣太郎が教えてくれた……! 兄さんは私のことを唯一あの家族の中で兄さんだけが……! )



 リューカは思った。ならば答えたい、と。応えなきゃいけないと。どこか遠くで今も戦っているかもしれない兄と兄と同じ言葉を言ってくれた剣太郎に対して。






「クッソォー目茶苦茶きついな! この薬! 」



 倍化したステータス。荒れ狂う体と脳みそ。俺の身体は力と速さで今にもバラバラになりそうだった。それを気合だけで耐える。俺がこのダンジョンを攻略できたのはリューカのお陰だから。だから最後まで信じる。彼女が息を吹き返す時間を死ぬ気で稼ぐ。



「……引いてください! 」



 ずっと待っていた。永遠にも感じられた時間。その涼やかな高音の声を。俺が一気に後ろに下がると白銀の鎧を纏った一人の騎士が前に躍り出た。


 ――――俺はこんな状況なのに、今にも死にそうなこんな時に、つい考えてしまった。やっぱり綺麗だと。その凛々しい表情も、零れ落ちそうな赤い目も、鋭い剣も。


 触手をまとめて切り伏せたリューカは一気におれのとこまで離脱し、二言だけ呟いた。



「成功するかは分かりません。でもたった一つ……私が出来る作戦があります」


「……なんだ?」



 小声で早口なリューカの説明を聞いて、俺の顔はどんどん強張っていった。いや。それ大丈夫なのか? もちろん俺もキツイ役回りだけど、これでは余りにリューカの負担が大きすぎる……。


 俺はリューカの顔を覗き込んだ。


 いつの間にか鎧兜は壊れていた。


 今ではその表情がよく見える。


 俺は思った。これは兄の真似の『リューノ』の顔じゃない。震える唇。下がりかけた眉。潤む赤い眼。だけどその視線には強固な意志と覚悟……そして必死に保った『自信』があった。


 間違いない。それは俺が始めて見る『リューカ』本人の顔だった。


 タイムリミットはあと4分。


 俺はこの出会ったばかりの女の子の決意に賭けることにした。





 リューカの立てた作戦はこう。リューカを囮に剣太郎が遊撃に徹する単純な二面作戦。だがこの策の狙いは『キメラの討伐』ではない。あくまで『未知なキメラ』を『既知の集合体』にすることだった。



「【鑑定】スキル! 『弱点看破』! 」



 その技の名前を叫んだ剣太郎は一気に迷宮の中を駆け回り始めた。壁、天井、キメラの身体の上。神出鬼没。ありとあらゆる場所に出現することで怪物を幻惑し、的確に『情報』をすくいとっていく。



「弱点一つ目! 嘴の先! 」



(ルイン・イーグルの特徴……。怒らせる程度で決定打にはなりえない)



「弱点二つ目! 鱗の尻尾の中心! 」



(パンチングリザードの痛点……。切断すると撃退は出来ますが……討伐に至る弱点じゃない)



「弱点3っつ目! 右側の黒い羽根の根本!」



(ダンジョン・クロウの最大の弱点。その場所を少し刺激するだけで飛行が出来なくなる……もともと飛ばないキメラには関係ない……ただ怒らせるだけ)



 剣太郎の叫び声をリューカは一つずつ対応していく中、リューカは見た一本の触手が剣太郎の背中に伸びているところを。



「はぁ! 」



 考えるよりも速く身体は動いていた。


 裂帛(れっぱく)の気合と共にリューカが思い出すのは兄の戦闘訓練の綺麗な太刀筋。静かで鋭い斬撃はキメラの触手を切り落とす。



「アナタの相手は……私です……! 」



 これが作戦の全貌。『一分間、剣太郎が弱点看破でキメラに無数に存在する弱点を片っ端から言っていき、リューカがキメラを引き付けながら耳から聞いた情報を判断。様々なモンスターの複合体であるキメラには、それぞれの弱点が残ったままだという一つの仮説を信じて、[最も有効な一手]をしらみつぶしに探していくというもの』だった。



(普通の弱点じゃだめ。ただ怒らせるだけじゃ逆効果。それだとキメラも警戒して弱点を見せなくなってしまう……有効打を見つけるまでは意図を悟られちゃだめ……だから、お願い……剣太郎! )



 キメラと正面からぶつかり合い、的確に致命傷を避けて、記憶の中からモンスターの膨大な知識を引きずり出す。頭の中が焼き切れそうなその膨大な作業をリューカは一つずつこなしていった。自分を信じてくれた剣太郎のために。


 また一方でリューカも信じていた。剣太郎が必ず勝ち筋を掴んできてくれることを。


 そして――――その時は訪れた。



「弱点12! トカゲの膝に生えたまっすぐだけど渦を巻いた角の中心! 」



(角の中心……? 渦を舞いた……? それってもしかして……『バイコーン』の角? )



 刹那、リューカは思い出す。頭の中から引っ張り出したのは『魔獣大全』。全4000ページにもなる獣系統モンスターの特徴をまとめたモンスターに対抗するための人類の知識の結晶。


 そこにあった短い一説。



『バイコーンの角はすさまじく硬い。魔力の中心、神経系の中心でもありバイコーンにとってそれは人間の脳に等しい。先述した通り硬いこの角だが実は中心をある程度の強度で叩くと簡単に折れてしまう。角を折られたバイコーンは長くは生きられない。』



「それです! 」


「マジか!? 」


「今、見えました! 私が行きます!! 」



 リューカの視界の中央に入ったバイコーンの角。彼女は疾走した。今まで心の中で渦巻いていたしがらみや感情を今は振り切った。ただひたすらに前へあの角の元へ。



「はぁああああああああああああ!! 」



 リューカは叫んだ。迫る触手も、全てのしがらみも、記憶も全てを超えて声を上げた。そしてリューカの剣は角の中心を的確にとらえる。



(え?……なんで? なんで!? まだ倒れないの……!! )



 しかし、キメラは煙に変わる様子はない。


 それどころか……怪物は怒り狂い、より酷く暴れ始めた。



(どうして? なんで? 何が? どこで間違った……? いつ? 私は――――――――――――――あっ……)



 "失敗"という文字が脳裏に浮かんでからリューカはようやく気付くことができた。バイコーン(・・・・・)の角。バイコーン最大の特徴である『角』は二本(・・)ある。つまり突かないといけない弱点はもう一つある。


 リューカは思った。すっかり失念していた。興奮していた。酔っていた。自分自身に。



(ああ、やっぱり私は――)



 もう力が入らない。剣を取り落としかける。何もできなくなった少女に向かって怒りに震えるキメラの触手が殺到する。



「【棍棒術】……」



 そう、その寸前。


 狙いすましていたかのように―――――――――剣太郎の『5秒』は終わっていた。



「……『フルスイング』……」



 呟くような声。その音はリューカの耳にもキメラの無数の耳にも届いていた。


 直後、砕かれる頭頂部に生えた一本の『渦を巻いた角』。


 さらに数秒後、拡散する怪物の断末魔の輪唱。


 リューカは見上げた。金属バットを担いだ少年の背中を。その姿は彼女の中で今はっきりと兄に重なった。



(ああ……どうして……何でですか? いつも剣太郎と兄さんは……私のことを……そんな簡単に……助け……られるんですか? )



 目から零れ落ちそうになった光を隠すように『階段の迷宮』の終端は黒い煙で満たされた。


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