兄妹
リューカが剣太郎を見た時に抱いた最初の感想は――――
(なんか怖い人だな)
というものだった。それも無理もない。『迷路の迷宮』の上級での戦場で剣太郎はずーっと笑っていたのだから(本人にその自覚は無い)。ガーディアン・ゴーレムを叩き割った時。飛んできた石柱をギリギリで避けた時。メイズ・ロード・デーモンの顔面にバットを叩き込んだ時。その全ての場面で満面の笑みを浮かべていた剣太郎の様子を見てリューカは認識した。
(ああ、この人は危ない人だ。多分、戦闘狂とかその手の類の人だ)
といった風に。多くの仲間を死なせてしまった罪悪感とモンスターへの恐怖で押しつぶされそうになってたリューカとは対照的に迷宮で笑顔を見せる少年に彼女はほんの少しの畏れを感じていた。
だから、目が覚めた時、周囲に剣太郎の顔しかなかったことにリューカは心の底から驚いた。そして震えた。これから自分はどうなってしまうのだろうと。
しかし、リューカは頭を振って思いなおす。リューノ兄さんなら何が合っても動揺しない。どれだけ怖がられている人だって兄さんならすぐ仲良くなる。そう意気込んでリューカは兄の仮面を被り剣太郎に話しかけた。
話しをして分かったことは剣太郎は狂暴なんかじゃなく、感情的でもなく、むしろ表情を変えることは結構少なくて、素朴で、ちょっとぶっきらぼうだけど優しいということだった。
剣太郎に案内された結果、二ホンと言う国の鬼怒笠村をリューカはすぐに気に入った。すごく綺麗な景色があって、平和で、気候も人も穏やかで、何よりも安全な国。リューカが夢見て憧れるような光景が目の前にあった。けれどそれは綺麗な絵を外から眺めているだけ。リューカはそこの仲間には入れない。誰もこっちを見向きもしない。文字通りの空気のような存在。
兄と言う鉄壁の仮面の裏で、だんだん大きくなった異物感と孤独感で不安がいっぱいになったリューカに対して、意識してかしていないのか。剣太郎は色々なことをしてくれた。
この世界の道具の使い方を教えてくれた。質問したら何でも答えてくれた。異世界の服をもらった。見たことも無い食べ物を食べさせてくれた。泊るための部屋を探そうとしてくれたり、最後は自分の部屋すら貸してくれた。まるでリューカに『君は一人じゃない。この世界にいてもいいんだ』と言うように。
何よりリューカが嬉しかったのは、リューカの世界に興味を示してくれたことだった。リューカの生まれた帝国のこと。季節のこと。暮らしのこと。食べ物のこと。スキルのこと。ステータスのこと。そして迷宮のこと。
兄の語り口を頑張って真似てスラスラとリューカが説明する度に、剣太郎は目を輝かせた。『すげー』や『この質問も答えられるの!? 』とか『なんでも知ってるなぁ~』『すごく分かりやすい、ありがとう! 』など言ったりしてリューカを褒めちぎった。
でも一方で、剣太郎が喜ぶたびにリューカは落ち込んだ。
(私、そんなに凄くないのになぁ……)
団長になる前は本ばっかり読んでいたリューカにとって知識があることを褒められるのはただただ親に見向きもされなかった時代の自分を思い出させて、蓄えた借り物の知識を振りかざしているようで恥ずかしくなった。
(むしろ、本当に凄いのは剣太郎の方なのになあ……)
リューカは本気でそう思っていた。
知識を貪欲に吸収していき、それをすぐに生かそうとする姿勢。攻略した迷宮は2つだけとは信じられない高い迷宮への適応力。そしてとても獲得してから1週間も経っていないとは信じられないほどのレベルという概念への理解力。
それら全てがリューカにとってまぶしく見えた。もちろんここ『階段の迷宮』でも剣太郎のそれらの強みは発揮された。
「【念動魔術】! いけ! 」
剣太郎が叫ぶ。すると彼の背後にあった巨大な岩石が目でやっと追えるほどの速度で『Lv.41 アイアン・アント』の大きな目に一直線に飛ぶ。結果は命中。アイアン・アントの右側の視界は完全に潰される。
「今だ! 」
その声とほぼ同時、石の影から右に展開していたリューカが一刀でアリを切り伏せた。煙となって爆散したアリを見て剣太郎は声を上げる。
「よーし。中々良い調子だ。ナイス連携」
嬉しそうな剣太郎に手を振ってこたえるリューカ。その心の中ではやっぱり剣太郎の才能に舌を巻いていた。
(やっぱり……凄いなあ……。ずっと一人で戦ってたって言ってたのに……もう集団戦に慣れたんだ。始めのコツをつかむのに長いと1月かかるって話もある魔法をもう使いこなせてるんだ……)
魔術のコツについて剣太郎に説明をしたのは他ならぬリューカだった。兄の口調で自分の読んだ魔術教本の知識をそのまま披露した結果、昨日の今日で剣太郎は魔術を使いこなせるようになったのだ。
『魔術は5感ではない第6の感覚、自分の中の魔力を認識する感性を養う必要がある。自分の魔術では何が可能であるかをよく知り、『心臓を自らの意思で動かす』イメージで魔力を捉えよ』という説明をリューカは全く意味が分からなかった。
しかし剣太郎は『なるほど、心臓を自分の意思でね……』とだけ呟くと30分後には消しゴムをフワフワと浮かせていた。
(本当にリューノ兄さん見てるみたい。剣太郎が騎士団にいればあれだけ追い詰められなかったのかな……? )
階段を上りながらリューカは思った。迷宮に飲み込まれるべきだったのはやっぱり自分だったんだと。
このダンジョンの攻略は驚きの連続だった。
『階段の迷宮』のゴールまで永遠に一本道の螺旋階段を上っていくというその構造の特殊さ。出てくるモンスターの多種多様さ。2人で行うモンスター討伐の効率の良さ。
そして何よりもリューカの持つ凄まじい量のモンスターへの知識量に。
『アイアン・アントは時間をかけると仲間を呼び寄せる習性があります。身体は鉄のように硬いですが、複眼の目は壊れやすく、関節は斬りやすいです』
『この黒い液体はアシッド・スネークの唾液だと思います。恐らく上方10数m以内に潜んでいます。長い牙には毒がありますが頭の骨はもろいです』
『これはジャイアント・スパイダーの子供の巣ですね。子供を餌に親クモが背中から襲ってくる習性があるので交戦する時は背後に気を付けてください』
こちらが要求せずとも出てくる、出てくる。モンスターのあれやこれやの情報が。12時間に1回弱点を見つけるだけの俺の鑑定スキルは完全に形無しだった。いかに今まで俺が無策でモンスターに突っ込んでいったのかが、今ではよく分かった。
しかしリューカは見事に言ったことが適中しても浮かない様子のまま。まあ、そもそも顔は鎧で隠れてしまっているんだけど……それでも喜ぶ表現なんていくらでもあるのに、全くそんなそぶりも無い。
互いの士気を上げるためにも俺はリューカに声をかけた。
「昨日から思ってたけど凄いなあ、リューカの知識量。それもこれも本を読んで得たものなのか?」
「は、はい……まあそうです。でも……こ、こんなの……た、大した事無いですよ……。本を読むなんて……誰でもできます……剣太郎さんの方がよっぽどすごいです……。もう完璧なんですね【念動魔術】」
「いやあ~もともとかなりの自由度の高い魔法だったのと、野球の投球のイメージがあったから何とかなっただけだよ。今はただこの魔法を好き勝手に振り回してるだけさ。使いこなせてるとまでは言えないよ」
「そんなこと無いです。その魔法はもう剣太郎さんの力です。私みたいな表面だけなぞった偽物じゃなくね」
リューカは気づいてないのだろうか。鎧の上からでも分かった。そう言って一番つらそうなのはリューカ自身であることを。
「兄貴のことは好きじゃなかったのか? 」
「私は……好きでした。……でも兄さんは……分かりません。何で……兄さんは……私なんか……」
そこで俺の頭の中は一気に熱くなった。やっぱりリューカはリューカはドでかい勘違いをしている。このままだとリューカ本人も、リューカの兄貴もかわいそうだ。
その時、俺は覚悟を決めた。
他人から嫌われる覚悟と人様の家庭の事情に身の程も知らずに口を突っ込む覚悟を。
「なあリューカ一つ俺の話を聞いてくれないか?」
階段の先を上るリューカに後ろから声をかける。異世界から騎士はこちらを振り向かなかった。だけど止まってはくれた。
よし。それで十分だ。俺は目をつぶって思い出す。
城本家での普段の光景を。
「俺も実は妹が一人いる。2つ歳下の。でも兄弟仲は実は全然よくないんだ。まあ俺がほぼ一方的に嫌われてるって感じなんだけどさ。でも家に一緒にいても全然気まずくない。だって異性の兄弟ってやろうと思えば、お互い全く関わらずに生きれるから。血は一番近いのにな」
残酷な真実。でも事実だ。結局のところ俺と妹の生活を支えてくれているのは両親だ。だから親の言うことは大体聞く必要があるし、仲もいい方が良いに決まっている。
だけど兄弟となるとどうだろうか。必要ない。どんなに兄弟助け合って生きていくとか……もしもの時のための助けとか……理由を取り繕っても実際のところ仲が悪いと生まれるデメリットはさほど大きくない。家族旅行や親せきの集まりがちょっと面倒になるぐらいだ。
特に異性の兄弟では。
「性別が違うから趣味も違うし、やりたいことも違うし、人間関係も全く違うとさ……もう生活から過ごし方まで何から何まで全部違うんだ。同性だとさ、お下がりだとか、同じものにハマったりだとか、親が比較するとか色々あるけど異性だとそういう面倒くさいこともない。俺なんて妹と話したのもしかしたら3年前とかかもしれない。それでもうちの家族は破綻せずに回ってる。両親の前であまり険悪な部分を見せなきゃ何とかなるから。まあ何が言いたいかって言うと……」
他ならぬ誰かの妹に話すのが恥ずかしくなるほどに兄として情けない状況だ。自分でも笑ってしまうほどに。だけどリューカは笑わなかった。ただ黙って俺の話を背中越しに聞いている。
「リューカ、お前は兄貴からとても大切に思われていたってことだよ。一人で辛い時にいつも助けてくれたのも、優しくしてくれたのも、迷宮に飲み込まれそうになっていたリューカを自分と引き換えに助けたのも多分、全部兄貴自身の意思だ。同情くらいじゃそんな面倒なことは絶対しない。ただただ血が繋がっているだけじゃそこまでできない――――ちょっと口出し過ぎたかとおもったけど。これだけは同じ兄の立場から言わせて欲しい」
言いたいことを言って満足するのと同時にちょっと恥ずかしくなった俺はリューカを追い抜いて階段を駆け上がる。リューカは一言も発さない。硬い鎧をまとったまま微動だにしなかった。
ただ、通り過ぎざまに鎧の上からリューカの肩をたたいた時、その身体が小刻みに震えていたような気がした。




