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初めてのモンスター討伐

「ここが『下山(くだりやま)トンネル』か……」



 日が落ちると鬼怒笠(きぬがさ)村は足元もおぼつかないほど真っ暗になる。森も山も静か過ぎで正直かなり不気味で、子供の頃はよく妹に『怖い』と泣きつかれた覚えがあった。


 一方で下山トンネルは想像したよりはるかに普通のトンネルだ。落書きや多少のゴミは落ちてはいるが周囲の森に比べたら至って特徴のない空間で、叔父さんが過剰に怖がる理由が分からないぐらいだった。


 ただし長さは結構あるようだ。向こう側の入口は遠く、ここから見るとかなり小さい。見上げるとしっかり『下山トンネル』の文字が穴の上についている。


 一言あるとすれば10年前に作られたにしてはやけに古く見えることぐらいか? それでも中はしっかりと明るいし、見れば見るほど普通のトンネルだし。本当に幽霊なんて出るんだろうか? 



「……よし」



 スマホのライトは付けたまま、意を決して中に入る。



「うわっ」



 足を踏み入れた途端、明らかに空気が変わった気がした。手足の表面を生ぬるい風が吹き抜ける。一歩進むごとにカツンカツン反響する足音に重なるように、遠くでポタポタ音を立てて水滴が落ちる。周りが静かなのもあって全ての音がやけに大きく耳に響く。なるほどな。"この感じ"は確かにちょっと怖いな。けど"何か"が出てきたり(・・・・・)消えたり(・・・・)する様子は無い。


 奥に進みながらトンネルの内壁をライトで照らすと外からは見えなかった落書きが無数にあった。中には人の名前まである。


 どうせ、どっかのカップルか不良あたりが肝試しに来た時に書いていったんだろう。くだらねえ。


 ため息をつきつつ流し目で追っていく無数の文字。街中で腐るほど目にするスプレーアートの掃きだめの中で。



「なんだこれ? 」



 俺は見慣れない、ひときわ異彩を放つ文字(・・)を発見する。



「これって……世界史でやった『くさび形文字』ってやつか?」



 "文字(ソレ)"は随分昔に書かれたようだった。掠れていて、色落ちしている。無理やり文字として認識してみるとカタカナの『ヌ』といくつかの点が合わさったような感じ。もちろん見覚えは無い。けれど、何故かとても懐かしい気持ちになった。


 思わず泣き出し(・・・・)てしまいそうなほどに。



「なんでだ? ここには初めて来たはずなのに。こんな……」



 手は自然と文字に向かって伸びていた。


 指先が文字に触れようとしたその矢先。



「え? 」



 音がした。


 小さな音が。


 遠くから。


 自然な音ではない『何か』が鳴った。



「これって……どっかで聞いたことあるような? 」



 また鳴る。


 どんどん大きくなっている気がする。こっちに近づいてきている? 


 絶対にどこかで聞いたことがあるはずだ。


 だけど思い出せない。そんなに珍しい音でもないはずなのに。


 どこで聞いた? そうだ。早朝のランニングだ。中学生のころ、部活の朝練のために早く起き過ぎた時。布団の中で聞いたあの音。



「”新聞配達のバイク”」



 口に出した瞬間、弾けたように思い出す。


 昼間に叔父さんが言った言葉を。



「『消えたのは奥前市に住む配達員』……」



 そして見た。


 バイクに乗った人影が(・・・・・・・・・・)向こうから音を立てて近づいてくるのを。



「うわああああああああああああああああああああああ!! 」



 走った。ひたすら前へ。弾かれたように引き返し、入ってきたトンネルの入口へ。


 堕落に慣れ切った身体は何とか動いてくれた。高校に入ってからはろくに運動もしてないのに。こっちに来てから碌に運動してないのに。


 けれど……。



「……はぁ……はぁ……アレ? 入口……あんなに……遠かったっけ……? 」



 たどり着かない。


 出口に近づけない。


 いつまでたってもトンネルから抜け出せない。


 息が続かない。胸が苦しすぎる。肋骨がきしんでいる。心臓が痛い。



「っあ! 」



 限界はすぐにやってきた。息が上がって。フォームがグチャグチャになって。それでも走り続けようとした俺の足はもつれ――当然のように盛大にすっころんだ。



「……いってぇえ」



 打ち付けた膝を抑えてうずくまり、そのまま数秒ほどうめき声を上げ続ける。ほんの数滴たまった涙が乾き、バイクの音がいつの間にかなくなってることに気付けたのはさらに数秒間を要した。



「はぁ~」



 息が漏れた。安心で。そうだ。そう簡単に霊なんて見るはずがない。霊感なんて全くないと今まで自称してきた俺だ。『これ』も怖がりすぎて見えた幻覚の類だ。木々のざわめきや風で舞ったゴミをバイクに乗った人間だと見間違えたに決まってる。そうに違いない。


 地面から恐る恐る顔を上げる。見ると、確かにバイクは(・・・・)なかった。


 だがバイクの代わりに……トンネルの中心には『何か』がいた。



「……な……な、なんだ……お前? 」



 そいつを一言で表すとするとすれば『一匹の犬』だ。そいつは4本の足と一本の尻尾を持っている。でも毛の生えていないそいつの真っ赤な皮膚に包まれた体の上には4っつ(・・・)に割けた頭が付いていた。



「グォオオオオオオオオオォォオォォォォォオ!! 」



『犬もどき』は吠えた。威嚇するように。殺意を表しているように。ゆっくりと歩を進めながら。


 全身から汗が一気に噴き出す。


 なんだよ。なんなんだよこれは。どういうことだよ。意味が分かんねえ……ッ! 


 酸素が足らなくなった頭は意味のない思考を続けた後、自分がわざわざ武器を持ってきたことをようやく思い出す。



「どど、ど……どこだ? ……どこだ!? バット! 」



 激しく首を左右に振っていると、見つけた。犬もどきを挟んだ向こう側。見慣れた黒いバットケース。どうやら転んだときに落としてしまったらしい。



「……クソッ!! 」



 震える膝を叩いて立ち上がる。視線は『犬もどき』から外さずないまま。襲い掛かって来られたらいつでも避けられる体勢を保って。


 どうする? 考えろ。


 出口はまだ遠い。トンネルからは出られない。


 見るからに向こうの足は速そうだ。逃げきるなんて無理だ。


 それじゃあ……戦うしかない? 


 なにか武器は? 


 あのバットだけだ。……いや? 待てよ。


 ポケットの中を探ると見つかった。走り出す前にとっさに仕舞いこんだスマホ。咄嗟にコレを使って追い払おうとしたけれど、すぐに思い直した。アレ(・・)が音や光の類で逃げ出してくれるとは思えなかったからだ。


 立ち上がってから5秒も経っていない。その間に俺は覚悟を決める必要があった。賭けに出ることを。


 赤い怪物はその間にもしっかりと距離を詰めている。これ以上は迷っている暇はない。思い付いた作戦らしい作戦はこれだけだ。やるしかない。


 スマホのアラームを大音量で流し、犬の()に放り投げた。真っ赤なバケモノが投げつけられたソレに意識を奪われたその一瞬────自分は逆方向(みぎ)へと走り出す。



「……! ガゥウウ! 」


「今だ! 」



 気を引けたのは本当に僅かな時間だった。『犬もどき』はすぐさまこっちに顔を向けてくる。


 だけど一歩。


 俺の方が速かった。



「よっしゃああ! 」



 やった! やってやった……! たどり着いた! バットケースまで! 無傷で!  


 犬もどきは騙された怒りからかどこから出したかも分からない恐ろしい唸り声をあげていたけど関係ない。その様子を見て俺もバットをケースから一気に引き抜く。


 さあ最初の賭けには勝った。本当の勝負はここから。


 バットを正面に構える。興奮するとやっぱり『右肩の古傷』がずきずき痛むけど、今はそんなことは気にしていられない。


 今度は三択だ。犬もどきが飛び掛かってくるのは右か、左か、正面か。


 両者にらみ合いの緊張状態。張り詰めた空気を壊したのは赤一色のバケモノの方だった。



「グガァ! 」



 犬もどきは一気に飛びこんできた。一度『右』方向にステップを踏んでから。急激な方向転換で直角を描き、予想の何倍もの速さで。目測で6メートルほどの距離は一瞬で詰められた。


 眼と鼻の先まで迫る真っ赤な身体。しかし俺はバットを振りかぶらない。それどころか思いっきり身体を引き、右手を握り(グリップ)から太い方(バットヘッド)の方へスライド。


 俺のした最後の賭けは『犬もどきは頭を潰せば倒せる』という推測に全てをかけること。いかにも脆そうな頭部を確実に破壊するために、バントの要領で犬もどきをギリギリまで引き付けた。



「おらあああああああああああ!! 」



 縦に構えられたバット。四つに避けた()がバッドの先端(ヘッド)に触れた瞬間、両手に力を込めた。右手で押し込み、体重をかけ、左手一本で地面まで振り下ろす。『殴る』のではなく、犬もどき自身の赤い身体とバットでヤツの頭を挟んで『圧し潰す』。


 振り上げではいないので瞬間的な衝撃は小さい。だがそれで十分だった。



「ギャッ! 」



 バケモノは頭を叩き潰された衝撃で奇声を短く上げた。方向感覚を失って俺の横を通り過ぎていった後に地面を二転三転し、ピクリとも動かなくなる。



「……やったのか? 」



 思わず口をついた悪い予兆(フラグ)でしかない一言。そんな余計な発言とほぼ同時に真っ赤な身体は黒い煙となって、文字通り爆散(・・)する。



「うわあ! 」



 とっさに顔を覆うが、その行動に意味は無かった。黒い煙は意思を持っているように俺の方へ殺到し、全身を包み込む。


 ()られた! 心の中でそう確信した。だけどいつまで経っても心臓は止まる様子はないし、痛みも、苦しみもやってこない。


 恐る恐る目を開けると、目の前には何の変哲もない薄暗いトンネルが広がっている。道路に落ちているのはバットと空のバットケースの袋とスマホだけ。まるでさっきまでの戦いが全て幻覚だったかのように。バケモノがいた痕跡は跡形もなく消失していた。



「いったい今のって……? 」



 呟いて、身体の調子を確認するように何の気なしに左手首を触る。指先には汗で濡れた肌の他とは違う、すべすべとした感触があった。


 ん? 何か妙だ。薄い何かがへばりついているような? 


 左手首をひっくり返し、視線を下にやる。



「えぇ!? 」



 衝撃と疑問が脳裏を駆け巡った。日焼けの無い白い左手首には黒い文字のような模様がタトゥーのように刻まれていた。


 それが本物であることを確かめること数秒後────気づく。



「これって……」



 この文字がトンネルの壁に描かれていた『くさび形文字』とよく似ているということを。


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[気になる点] ひえっ ミッフィーの口が裂けるタイプだ...
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