3人の警察官(非ホルダー)の悲哀
『こちらポイントa1。危険物は見当たらない』
『こちらc3。人っ子一人いません』
『ポイントb5も同じく異常はない。d層はどうだ? 』
『こちらd1。今のところ動きはない。処理班の準備は? 』
『先ほど完了した。20秒前から待機中だ。いつでも動ける』
インカム越しに行われる暗号を交えた早口の会話。
飛び交う何人もの男の囁き。
緊迫感と焦燥感に包まれながらも声を発する者達は冷静だった。
『それでは予定通り部隊のローテーションを行う。それぞれ配置につき直せ』
『『『了解』』』
ここは羽田空港国際線のターミナル。
モンスターの出現により飛行機での移動が困難になった影響で便数が激減し、利用者数が従来の十数分の一にまで激減していた空の玄関口はその日、異様な熱気に包まれていた。
熱の発生源は絶えず動き回る防弾チョッキで着ぶくれした黒スーツ姿の男達。耳に付けられた無線機を手で抑え、小声でやり取りをしながら抜け目なく周囲を見回す様子はとても尋常じゃない。
そんな黒スーツの一団の中で1人、汗の一滴も流さずにボーっとベンチに座る中年の男がいた。
「『ヒーラー』だか『万物薬』だか知らねぇが。たかだかホルダーの小娘1人を守るために俺たちがここまでする必要あるのか? こんなことする意味があるのか? なあ、山元? 」
火のついたタバコを片手にもち、イライラと膝を震わせる様は『近寄りたくない人間』の筆頭候補といったところ。身内であるはずのスーツの一団でさえ、ほぼ全員が中年男性のことは放っておいてそれぞれの仕事に向かっているという有様だ。
「……金堂さん。マズいですって」
唯一隣に立つ若い男は中年男の傍若無人な態度をもちろんたしなめた。しかし背もたれに体重を預け切った男はその場から動こうとしない。それどことろか新しいタバコに火までつける始末だ。
「俺たちは建前上ここに呼ばれただけだ。どうせ本件も迷宮庁の連中が手柄は全て持ってくんだろう? さっすがは元公安だ。体質は何も変わっちゃいねえ」
「金堂さんっ」
さて見ればわかる通り中年男……金堂は苛立っていた。自分の不平不満を隠そうともしなかった。
「そもそもホルダーなんてもんがいるから街中にもバケモノが溢れるようになったんじゃねえのか。バケモノの問題はバケモノ同士で解決しろってんだ。なーんで市民を守る警察官が駆り出されなきゃならんのだ」
「金堂さん! だーめですって! 」
そして若い男……山元は何を言っても聞かない金堂にとうとう大声をあげだした。
「さっきからうるせえぞ山元」
金堂は悪びれない。年下からの忠言なんてどこ吹く風に耳の穴をホジりだすが、山元は尚も食い下がる。
「金堂さんこそっ勘弁してくださいっ。部長から睨まれるのは相棒であり、若い方の僕なんですからね!? 公共の場で過激な発言は控えてください! それと羽田は少し前から『全面禁煙』です!! 」
「わーった、わーったよ」
いつもは年上の圧力に押されてしまう山元。だからこそ彼の珍しい大爆発に、さすがの金堂も渋々といった様子でライターをしまい込む。
「元気な声が聞こえてきたと思えば……お前だったか」
そんな絶叫につられたのか、黒スーツの一団から1人新たに男がやって来る。
「安芸山先輩! 」
「久しぶりだな。山元」
山元とはお互いに顔見知りであった男の名は安芸山浩二といった。年齢は金堂と山元の丁度中間ぐらい。金堂とは違って真面目に職務に向き合ってるためか、その額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「先輩にも召集が? 」
「見ての通りだ。そっちは? 」
「僕らは多分数合わせです。先輩みたいな正式な辞令じゃないですし……それに……」
「まあそう気負うな。日本の至宝が帰国するこのタイミングで『テロが起こるかもしれない』と聞いて緊張するのは仕方がないけどな。気楽にいけよ。俺達の仕事はほとんどないだろうから」
安芸山が文末にほんの少しだけ込めた皮肉。
「……若造の癖によくわかってんじゃねーか」
それを聞いた金堂は満足そうに鼻息を鳴らす。いきなり口を挟んで来た見知らぬ不遜な人物に安芸山は怪訝な顔をした後に、かつての後輩の方へ振り返った。
「……山元。こちらのご年配の方は? 」
「……ちょっと前から……俺と組んでる金堂さんです。金堂さん、こちら研修でお世話になった安芸山先輩です」
山元は大きくため息をつきながら、それぞれをそれぞれに紹介した。一方の安芸山は誰にも気づかれない程度に目を見張ると、深々とベンチに向かって頭を垂れる。
「安芸山です。始めまして金堂さん。お噂はかねがね」
「おぉ……うん」
他方、金堂は一言か二言返事をすると、これで終わりだと言わんばかりに黙り込んでしまった。
「金堂さーん。そりゃあないでしょー。もっと愛想よくしてくださいよぉー」
山元はこの不良中年の態度に泣きそうになりながら咎めるが、安芸山はなんとそれを静止する。
「いやいいんだ山元。金堂さん一つ聞いてもいいですか? 」
「ああん? 」
「金堂さんって組織犯罪対策課にいたあの『鬼の金堂』ですよね? 」
安芸山がその異名を口にした瞬間、3人の間に漂っていた空気は凍り付いた。
「……」
主に、本格的に押し黙り始めた金堂の発する威圧感で。見かねてストップをかけたのは山元だった。
「あ、安芸山先輩……ちょ、ちょっとちょっと! 」
肩を叩かれ、ベンチから引き離された安芸山は後輩の必死な様子に小首をかしげる。
「どうした山元? 」
「あ、あのですね。金堂さんに昔の話はタブーなんですっ。ホルダーとダンジョンの存在が公表されてから丸暴はボロボロになっちゃって。金堂さんも例に漏れずそのタイミングで警備課に異動してきた人なんです」
「へぇ~。『鬼の金堂』がねぇ」
「なんでかって言うとですね……」
「ヤクザのホルダー化が進み、強制捜査も潜入捜査も不可能になったせいで検挙率が大幅に下がり、最後は迷宮庁とホルダー管理制限委員会に捜査資料もこれまでの何もかも持ってかれたって……ところか? 」
「す、すごい! 全部当たってます! 」
言おうとしたセリフを全て先に話された山元は呆然としながらも安芸山を称え、手を叩く。
「そして全部聞こえてんだよ、山元」
その背後からぬっと現れたのはムッとした表情を隠そうともしない噂の金堂その人だった。
「あ、あ、……す、すいません。金堂さん……俺……」
元は暴力団を相手にしていた金堂の迫力十分な一睨みに声を震わせながら謝罪する山元を救ったのは
「金堂さん。俺にもあなたの気持ちはわかりますよ」
「せ、先輩? 」
安芸山の予想外の一言だった。
「なんだと? 」
「ですから共感します。金堂さんに。この国の治安を半世紀以上守って来たのは警察なのに。要人保護のノウハウだって俺達が培ってきたものだっていうのに。いざその要人の種類が政治家からホルダーになったら。ホルダーの犯罪が増えたら。警察官は用済みと言わんばかりに隅に追いやられ、急にデカい顔で横から仕事を【管制官】とかいう連中に全部取られたんです。そりゃあイラつきもしますよね? 」
「……」
「……先輩」
秘めていた想いを赤裸々に話す安芸山を金堂は無言で見つめ、山元は感じ入る。
「だから俺達警察こそがホルダーになるべきなんです! ホルダーになって名前が隠せなくなったら辞めさせるなんて軟弱なことは考えずに、もっと組織として強くなるべきなんです! どんどん新しいものを取り入れて――」
そのまま熱弁を振るい続けようとした男に『待った』をかけたのは
「アキヤマっていったか? 」
「はい? 」
「前言を撤回する。お前やっぱり何もわかってねーよ」
「……え? 」
無言を貫き続けていた金堂だった。
「警察のやり方に改善点があるとか。時勢に合ってねえとか。ホルダーに奪われた仕事を取り戻すとか。そんなことはどうでもいい。いやどうでもいいというよりもどうしようもねえ」
「ど、どういうこと……ですか? 」
「警察と言う組織はもはや必要とされてねえ。意味がねえってことだ」
「い、言ってる意味が良く……」
矢継ぎ早に話される年長者の言葉にひたすら困惑する安芸山に、金堂は今も尚、忙しく動き回る同僚たちを指し示した。
「みて見ろよ。俺たちのザマを。『厳戒態勢』や『テロ』と聞いて何をするかと思えば狙撃手を並べ、爆弾処理班を呼び、肉の壁を配備しただけ。笑っちまうぜ。上層部はまだ『何』を相手にしているのかちゃんとわかっちゃいねぇんだ」
「何を……相手に? 」
「『銃弾の一発や二発なら躱せる奴』『弾き返せる奴』『止められる奴』『わざわざ爆薬を持ち込まずとも何でもかんでも燃やせる奴』『見たモノを全て爆弾に変えられる奴』……そんな連中を相手にスナイパーだ? 爆弾処理だ? 完全にお笑いだ! 」
「……そ、それは俺達もホルダーになれば! 」
「んなことしても意味ねえよ。無駄だよ。今のままホルダーの警察官を認めて増やしたところで迷宮庁と管制官に逆立ちしたって勝てやしねえよ。警察という組織の頭がまるごと挿げ替わらない限り。トップがホルダーという存在を軽視し続ける限り。いくら歴史が長かろうが、どれだけ頭数で勝ろうが。俺達警察はホルダーが行う犯罪行為への対処は不可能だ」
「……」
「それにな、迷宮庁のトップである赤岩が未来予知ができるって噂はどうやら本当らしいぞ」
「ど、どうして……そう思うんですか? 」
「気付かねえか? 羽田に漂っているこの異様な空気を。『懐かしい匂い』だ。抗争が始まる前のな」
「抗争……」
「わざわざ警察も動員した厳戒態勢の甲斐もあって今日この場所は戦場になる。どんな能力を持ったホルダーが襲ってくるのか、それは一切わからない。ただ一つこれだけは確実だ。非ホルダーのこの三人の中で今日を生き残れるのはせいぜい1人だろうよ」