鬼怒笠村へようこそ
裏山に来てからしばらくたった。
シートに横たえられた騎士団長は身じろぎし始める。見ているとさらに動きは大きくなり、最終的には体を起き上がらせるまでに至った。
「んっ」
声を上げて伸びをする女の子。何度か瞬きをする目を見て驚いた。目が真っ赤だ。髪の色を合わせてどこかウサギのような印象を受ける。
「……アレ……ここは……? 」
まだ頭が完全に覚醒しきってないようで、目を半開きのまま周囲をキョロキョロする騎士団長。そして彼女は見つけた。自分から20mほど離れた場所にある木の幹に座る俺のことを。
「アナタは……」
「気が付いたか……」
こっちを見てちょっと驚いたような表情を見せる騎士団長。そして彼女は何の気なしに自分の付けている筈の兜を触ろうとする。もちろんそこには何もない。さっき俺がとってしまったから(戻し方は分からなかった)。
騎士団長は頬に直接触れる自分の右手の感触に目を大きく見開き、一気に青ざめる。
そして――――
「きゃーっ! 」
――短く悲鳴を上げて顔を両手で覆った。
不覚にもちょっとだけカワイイと思ってしまった。
「ゴホン……さっきは取り乱してすまない。……ボクはラインハルト家の長子。名前はリューノ。とある騎士団の団長をやらせてもらっている。君には随分助けられたよ。本当にありがとう! 」
悲鳴をあげてからの開口一番。まさかまさかの反応だった。
この目の前の人物は本当にさっき声を上げた女の子と同一人物か? それほどまでに見事な変貌だった。表情も凛々しくなり言葉使いも声の出し方もまるで男みたいだ。一人称がボクなのも大いに驚いた。
あと今『ちょうし』って言ったか? 長子って長男って意味でもあるよな……。え? もしかして……この人男のフリをしている? そういう複雑な家庭の事情か何かか? いやーでもリューノ……君でしたっけ? 確かにギリギリ、本当にギリギリすごい中世的な美少年と言ってもまあ一応は納得できる顔してるけどさ……。さっきのアレ見させられたら今更とても男子には見えねえよ……。
怖くなった俺はそこには触れないことにした。それに男子だと自認しているなら俺も男として扱うべきだ。今はそういう時代だしな……。
「いえいえ俺も騎士団の人達には随分助けられましたよ。こういうのはお互いさまってやつです。改めてリューノさん俺は剣太郎と言います。ダンジョンでは助けてくれてありがとうございました。短い間にはなると思いますが、よろしくお願いします」
「……ケン、タロー……」
「……どうかしました? 」
俺の名前を呟いて何故か急に押し黙る、騎士団長改めリューノさん。じっと俺の顔を見つめて何か複雑な表情を浮かべていた。
……いや流石に見すぎだろ。なんかちょっと恥ずかしくなってきた。
「あのー? 」
「っ!……あーすまない……ちょっと懐かしい記憶を思い出してしまってね」
「まあまあ、気にしてないですよ。全然。それより体はもう大丈夫ですか? あんなに大ケガした上に睡眠薬入りの上級回復薬を飲んだんですからね。身体のどこかに何か異常が出てるかもしれませんよ? 」
「う~ん? どうかな? 自分の感覚だともう大分健康だね。だから多分大丈夫。心配してくれてありがとう。……そんなことよりケンタロー」
「……なんですか? 」
「さっきからやけに余所余所しくないかい? 」
バレた。こういう大きな秘密があるタイプの人と話すの怖いんだよなあ。どこにデカい地雷があるのか分からないし……。それに一回一緒に戦ったけれども、まだ全然知らない人だ。すごく社交的な性格をしているわけでもない俺は異世界の綺麗な女(?)騎士への適切な距離感何て知らない。
「え~別にそんなことないですよ……。俺は人見知りなので初対面に近い人には大体こんな感じです」
「そうかな? ラウドとは随分、仲良さそうに話してた気がするけどなあ」
「ああ! ……いやラウドさんはもう戦友っていうか、チームメイトっていうか、仲間っていうか……まあそういう感じですから……」
痛いところを突かれてしどろもどろな言い訳を吐いた。どうにかこれで引いてくれないか。と願っていたがどうやら逆効果らしかった。
「ふーん。そうかそうか。ボクは仲間じゃ無いのか……そうだよね。たった一回一緒に戦っただけだもんね……ラウドは特別だもんね……」
なんだと。この異世界女子。意外とめんどくさいぞ! スネだしたリューノに頭を掻きながら叫んだ。
「ああーもう分かった分かった! こうするよ。これでいいんだろ? リューノさん! 」
「リューノでいいよ。ケンタロー」
そう言って静観な表情で笑いかけてくるリューノ。
だけどやっぱり俺には女の子にしか見えなかった。
「うわーすごーく綺麗な場所なんだね! ここ! あんな花みたことないや。空気もきれいだし草の香りもいい匂いだね~」
現在、俺とリューノの二人は鬼怒笠村のあぜ道をもう一度戻っていっていた。重い鎧を脱ぎ去って軽装になり子供みたいにはしゃぐリューノを見て思わず顔の筋肉が緩む。
「草の青臭さは慣れるとちょっと嫌になってくるぞ」
「そういうものなのかなー? ボクの世界だとこんな自然ほとんど残ってないからなあ」
俺がひねくれた言葉を吐くと、リューノは意味深なことをしみじみと話しだす。
『なんだ? 』と思った俺は思わず突っ込んでしまう。
「でも、よく一回の説明で納得できたな? ここが『迷宮』のある世界とは多分別だってさ」
「う~ん。納得っていうかね……よくあることなんだ。ウチの世界だと。どこか"別の世界"と繋がってしまうことは」
「へ、へえー……そうなんだ……」
咄嗟のことで気持ちが入ってない相槌をしてしまったが俺は結構驚いていた。そういう答えが返ってくるとは思ってなかった。まさかこの異常な現象が当たり前だとは。でもステータスやレベルがある世界なんだからこれぐらい当たり前なのかもな……。
「そっか慣れてるんだったらそうだよな。もしかして異世界人っていうのも俺が初めてじゃない? 」
「うんそうだね。厳密にはそうなるかな? あ~でも異世界からの生き物っていうんだったら一杯経験あるよ。迷宮とモンスターは『異世界出身』だからね……」
開いた口がふさがらない。まさかあのバケモノたちにそんな裏事情があったなんて……。でも言われてみたらハウンドドッグなんて特にエイリアン感が凄いしむしろちょっと納得した。
「じゃあ大変なんだな……そっちの世界」
「そう……だね。大変かな……? 」
何かを誤魔化すように小さく笑うリューノ。とても儚い表情をする騎士団長に俺はこれ以上何も突っ込んだ話は聞けなかった。
「……あぁーそうだ! 今向かってるのは俺の祖父の家なんだけど……」
「え!? ケンタローのお爺さん? ご存命なんだね! 凄いなあ。今から会うのか~楽しみだな」
「あぁ~言い忘れてたんだけど……リューノ実はアンタのこと見えてるの俺だけなんだ……」
「え? 」
さてさて問題はここからだ……。
「帰ったよー爺ちゃん~」
力加減を間違いないように慎重に扉をガラガラと開ける。
帰宅の報告をすると爺ちゃんはすぐさま玄関まで来てくれた。
「おお、お帰り剣太郎。結構長かったな。『探し物』は見つかったか?」
「うん、ちょっと手間取ったけどね……ねね爺ちゃんちょっと来てくれない? 」
「お、どうした剣太郎? 」
爺ちゃんは新聞でも読んでたようで老眼鏡をかけている。よし、これで目が悪くて見えなかったという線はなくなったな。
「ねえちょっと見てよ……ほらここ! ここに何か見えない? 」
隣のスペースを指し示す。俺の目にはちょっと恥ずかしそうにする騎士団長が立っているんだけど……。
「う~んスマンな剣太郎。爺ちゃんにはよく分からんな。最近そういうのが流行ってるのか?」
「いや~ごめんごめん、何でもないから忘れて……? 」
その場はそこで終わりのはずだった。けれどうつむいていたリューノが急に俺の手を取る。
「うわぁ! "どうしたんだ? 急に?" 」
思わず叫んだあと後半は声を落として聞く。するとリューノからも小声で返答がきた。
「……よかった。ケンタローはちゃんと見れてるし、触れる」
そう言って悪戯っぽくニコっと笑った。いきなりは本当にやめてくれ。心臓に悪い。
爺ちゃんは『何を一人でやってるんだ? 』という表情を俺に向けていた。
「うわーここがケンタローの部屋かあ……見たことないものばっかりだ」
「まあ正確には元は父さんの部屋なんだけどな……その椅子勝手に使って良いぞ」
そうやって椅子の上に座ったリューノを見るとやっぱりかなり汚れている。そのゆったりとしたデザインの服だと女子か男子かは一見すると分からない。いや、仮に女子であっても共同生活をするかもしれない以上この説明からは逃げられない。
俺は覚悟を決めた。
「なあ、リューノ。今からお前に"トイレと風呂"の使い方を教える。ついでに今から風呂入ってこい」
「はぁー……なんとかなったなあ~」
イスに倒れこんで大きく深いため息をつく。性別がはっきりとしない人への水回りの説明はかなり神経を使ったが何とかなったと思う。城本家のルールを導入し『トイレは便座に座ってするものだ』で押し通したのは何気にファインプレーだったかもしれん。シャワーと簡単に出てくるお湯にかなりはしゃいでたのは微笑ましかったが本当に大丈夫だろうか。
与えられた自室で思い悩むこと30分。
ドアが開かれた時のガチャリという音で振り返る俺。
「お、お待たせー」
「おおー結構早か……――――――」
言葉を失うとはまさにこのことだ。本当にアレは俺が中学のころに来ていたトレーニングングウェアとハーフパンツなのか? とても信じられない。着る人が違うとこうも違うのかよ。風呂上がりのリューノは比喩とかじゃなく……天使のようだった。
「……どうしたの? ケンタロー」
「あ、ああ! いや何でもない! どうだ? ちゃんと使えたか? 」
「うん! 多分もう大丈夫。でも凄いなー。『ぼでぃーそーぷ』だっけ? 液体の石鹸なんて始めて見たよ。あんなに泡立ちがいいんだってね……」
思わず想像しかける。いや止めろ剣太郎。目の前のコイツは男だ。そうに違いない!
「あとこの貸してくれた服、随分肌触りがいいんだね! ケンタロ―は有名な服飾職人の子供なのかい? 」
そんな俺をよそに何か愉快な想像を始めだしたリューノ。俺は笑うのをこらえながら否定した。
「いやウチの親は確かその手の業種じゃなかったはずだ……なあ、そんなにソレが気に入ったんだったらやるよ。使ってたのも2年前とかだし……」
「え? イイの!? うれしいなあ。ありがとうケンタロー」
素直な感謝を言ってくるリューノ。それに対して、おうとかなんとか曖昧な返事しかできなかった。俺が中2の時に使ってた服はリューノには少しだけ大きいようだった。下種の勘繰りだけど、この状態では男女を確定できるような何かは分からない。
俺は既に不安になってきた。
これからいつまでこれが続くんだろうと。