侍の独白
(嘘だろ? なんで……こんなことが……)
侍の思考は加速する。
(見附トンネル……間違いなく『アレ』はとっくの昔に終わったはずだ)
つられるように目に映る世界も変化する。より遅く。ゆっくりに。反比例するように。
(だっていうのに……こりゃぁなんだ? この揺れと歪みは明らかにダンジョンに飛ばされる前じゃねーか……! )
彼も成長限界を自力で超えた、近距離戦を得意とするホルダーの一人。成功率は低いものの、一度や二度ならずこの集中の極地によって実現するスローモーションの世界を体感してはいる。
(だめだ。速すぎる。まったく動かねぇ……)
しかし身体は別だ。侍の敏捷力は現在4万。ホルダーの平均を大きく上回る数値ではある。だがダンジョンの転送から逃れ得る速度を出すことは不可能な値。
(結局、俺はそうなのか? いつも、あと一歩が間に合わねぇっていうのか!? )
マサヒラの悩み。改善しようと必死に努力している部分。それは全ホルダーに共通する『課題』でもある。
どれだけ早く動けても
どれだけ力が強くても
どれだけ強力な魔法を持っていたとしても
どれだけ希少なスキルを発現させていたとしても
使う前に死んでしまっては、殺されては、なんの意味も無い。
理論は銃の早撃ちと同じ。居合の達人同士の立ち会いと同じ。 戦闘のほぼ全ては先出し有利。先に刃を届かせ、弾丸を打ち込んだほうが基本的には勝つ。
スキルや魔法を使うには頭の中でスキルの名に対応する【文字】をイメージし、時には名前を発声して魔力を適切に練り上げる必要がある。
ただ体を動かすにも、反射神経を鋭敏に鍛え上げより早く動かそうとするためには他ならぬ自分自身の力が必要だ。
致命的なまでの始動の遅さ。それこそ最近のマサヒラの悩みのタネの正体。そして今、彼は自分の弱点をまさまざと突きつけられた。
(動け! 動け! 動け! 動けぇ! せめて剣太郎は……俺が! )
しかし思いは届かない。現実は非情だ。マサヒラが動くには何もかもが遅い。彼には視界の中の光景をどうすることもできない。
(……え? )
そう。マサヒラには。
(なんだ……? 誰かが……動いて……あれ? あの人影は……)
サムライは気づく。瞬き一回ですら数十秒の時間を要する世界の中で誰かが『目にも止まらぬ速さ』で動き回っていることを。その誰かは何度も何度もマサヒラの目の前を往復していた。何かを運んで。
(運んでるのは……人だ。それも鬼川が連れてきた……奴隷達……)
人影は動く。動ける。マサヒラがギリギリ認識できる時間の流れの中。自由に。流麗に。まるで時間そのものを支配しているように。
侍が一度まばたきをする度、彼の周りの人数は加速度的に減っていった。
(もしかして……ダンジョンから逃そうとしているのか? )
さらにマサヒラは人影の意図を察してみせた。その認識しようとするだけで頭がおかしくなるような『速さ』を以てして行われているのは救助活動であると。
(『取り込み現象』がそのまま起こっちまってるのならこの行為にも多分意味がない……だけどもし迷宮側の異常事態なら希望はある……)
そこまで考えついたマサヒラには疑問が一つだけ残された。
(でもなんでだ? なんで逃げねーんだ? アンタ自身は? )
そんなことを考えるマサヒラは異常者でも、ひねくれ者でもない。今に生きる人にとって自然な思考の成り行き。いつ、いかなる場所でも『迷宮の悪意』に襲われるかもしれない現在の日本では『自己責任』の考えと『自助』の精神が基本。
もし仮に得体のしれないダンジョンに飲み込まれそうになり、他の何よりも速く走れる能力があるのならば仮にその行いに意味がなかったとしても、まずは一目散に逃げるべきだ。
自分のためだけに。
(だけどアンタは走る。人のために。必死で走ってる)
そうその様はまるで一月前、
家庭の事情によって離れ離れになってしまったマサヒラの弟が住んでいた大和町の上空で、
『漆黒の騎士』と街を守るために戦い、消えた『金属バット』と呼ばれる伝説のホルダーのようで……
(……まさか)
マサヒラは人影を凝視する。頭の血管が切れそうになりながらも、目にも止まらぬ速さで動く影の一端を捉えようとした。
(あの光は! )
その時、侍はハッキリと目撃した。人影が脇に抱える細長い光源。金属の照り返しを放つ細い棒を。
それはまさしく3日間ずっと行動をともにしつつも、意図的に視界には入れてこなかった城本剣太郎の金属バットの反射光。
それこそ人影が誰なのかを示す確かな証拠。
――さておき迷宮はやはり非情だった。
(視界の風景が……切り替わった……! )
――必死に走ったある人物の尽力虚しく十人近くのホルダーがダンジョンに取り込まれてしまう。
マサヒラ、鬼川を含んだGCAの6人と彼の連れてきた4人の奴隷達が放り込まれたのは、真っ白な壁が四方八方を囲う体育館サイズの立方体の空間。
「ここは……!? 」
その叫ぶような問いにダンジョンは即答した。
『限定ダンジョン:最終処刑室
突破条件:出現する全モンスターの時間以内の討伐。
備考:制限時間60分 。出口は無し。一切の魔力使用禁止』
「はぁ!? 」
絶叫する鬼川。
その突破条件の理不尽さを細かく吟味する間もなく
自分たちの置かれた状況を整理する間もなく
『ソレ』は虚空を引き裂くように出現する。
「――――……ヶ齖蠃ァ? 」
「……あ」
空間にギリギリ収まる身の丈。
どす黒い血の色の皺くちゃの肌。
細い枝の様な手足。
その両腕に握られる不釣り合いな大きさの歯のついた片刃の剣。
餓鬼のように膨れた腹。
白い床に垂れるほどにのびた真っ白な長髪。
耳まで裂け開いた口から覗く鋭い牙。
両方のこめかみから伸びる捻じ曲がった角。
『Lv.100 カニバルデーモン』
白目の無い、黒一色の3つの眼球が迷い込んだ者達の姿を捉えた瞬間から、彼らは食人鬼の哀れな獲物の顔へ変貌する。全員の心中は一つ。『自分は今日ここでコレに食われて終わるんだ』というもの。
武器を手に持っていた者は全員が取り落とした。
涙も、悲鳴すらも出せずに膝から崩れ落ちる者もいた。
「う……あ……」
サムライの集中の極致はいつの間にか終了していた。通常通りに流れる時間をたっぷりと使って赤鬼は最初の獲物をマサヒラに定める。
鬼は右腕を振り上げた。ノコギリのような刃をサムライの身体に満身の力を込めて叩きつけるために。
いくらマサヒラの始動が遅いっと言っても動くタイミングはいくらでもあった。だというのに動かない。いや、動けない。恐怖と混乱と絶望が彼の心と体を完全に支配していた。
(ああ……死ぬ前に……もう一度……弟に会いたかった……)
「屍ィ? 」
振り下ろされた刃の風切り音。
そんな耳をつんざく高音に隠れるように
「……【大車輪】」
その少年の声は小さくポツリと呟かれた。
「饜䵷饜嗚ァ翹亜ァ屙氬翹ぁ䵷嗚ぁ亜ァ颺亞!! 」
今度は無音。サムライは音も光の動きも認識できない。
マサヒラが瞬きを一度する間に、
食人鬼は何百箇所もの骨折で崩れ去り、
目の前には金属バットを正眼に構えたこの3日間で見慣れた背中があった。
「これから俺が良いって言うまで絶対に動かないでください」
その声は力強かった。
その背中から闘気は満ちあふれていた。
(でっかい背中だな……)
目の前に立つのは弟と同い年のまだ16歳の少年のはずだ。だろいうのに侍の目にはその姿が他の何よりも頼もしく映っていた。
(そうか……やっぱり……)
ただの強者は地球上にいくらでもいる。
現在世界には8人のレベル100を超えた超A級ホルダー、また日本には11人のA級ホルダーが存在する。
だけれども彼らの中で何人が見ず知らずの人間を助けてくれるだろうか。
何人が自分を強化すること以外のことに興味を示しているのだろうか。
何人が鍛え上げたその力を弱者のためにも使ってくれるのだろうか。
(剣太郎……お前が……)
A級ホルダーを一日ボディーガードに雇うのに1000万円が最低価格と言われているこの世界。貧富の格差は前よりもむしろ増え、そこからさらにホルダーとしての能力も加味されるようになったそんな激動の時代。
人々は求めていた。常に。どこかで。救世主の存在を。
そして今
(俺の……俺たちの……ヒーローだったのか……)
世界は【ヒーロー】を取り戻す。