死神の勘違い
(ファーストブラッド……君は最強だ。認めよう。今の僕が戦っていい相手じゃぁなかった! あと少しで……もう少しで越えてはいけないラインを完全に踏み越えるところだった……! )
夜風が、全身に開いた傷口に染み込んだ。惨めさと辛さで涙が浮いた目を拭うこともなく死神は自省し続ける。
(非礼はいつか謝ろう。でも今日のところは……今だけは逃げさせてもらう)
そんな敗走した死神の身体はこの瞬間、中部地方の山麓から200キロ以上離れた東京上空にあった。
死神の大移動のカラクリは【疾走】スキルの技『空間跳躍』にある。
『ジャンプ』は予め決めていた場所にしか移動することができないという制約に目をつむれば、0コンマ以下の時間で数百キロメートルを移動することができる大技だった。
彼の【疾走】は間違いなく城本剣太郎の持つスキルと同じではあるが、細かな技構成などには個人差がどうしても生まれてしまう。
(最初は君と少しでも違う部分が許せなかったけど……その違いで僕はこうして逃げ出すことが出来た。複雑な気持ちだよ。でもね今度は必ず借りを返すよ! 今夜のことは一生忘れない! )
決意新たに空を飛ぶジェイドは【疾走】スキルと【突風魔法】と【念動魔術】の2つの魔法を複合させた超音速移動でさらに距離を稼ぐ。
「これだけ離れていたら……さすがの君も……」
「……も? 」
「追って来れないは―――――!!! 」
「残念だったな? 」
ジェイドは背中から降り掛かる声に応える間も与えられなかった。
「がはっ!! 」
肺に残っていた空気を残らず全て吐き出させる衝撃。
背骨と神経をまるごと粉砕された激痛。
魔力の供給が切れたことによって発生した下方向への凄まじいG(重力)。
全ては同時に死神へ襲いかかった。
「ぐぅ………くっ………痛い……感覚が……! 」
錐揉み回転して落下するジェイド。脳が揺らされることで思考にはノイズがはしり、判断も大きく鈍っていく。
(なんでだ? どうやって彼は……僕に追いついた? まさか僕と同じ技を……? いや彼の【疾走】にはそんな技がないことは【鑑定】ずみ……彼の瞬間移動は咄嗟に使えるけど、そんな長大な距離を飛べる代物じゃない)
そんな中でジェイドは自問自答した。徐々にゆっくりになっていく周囲の景色には目もくれず回らない頭を降って必死に思考を続けた。
(なら……あの超長距離を持ち前の【疾走】と[敏捷力]で駆け抜けたのか……!? 有り得ない!! 何百マイル離れていると思っているんだ!? そんな距離を数秒で? バカバガしい! それに……いくらそれだけ速く動けたとして……僕がトウキョウにワープしたことなんて……彼に知る術は……)
「まさか……【鑑定】! 」
高度数千メートルの上空から落ちていくジェイドは【鑑定】した。
今度は自分自身を。
(やはり、付いていた!! 君の魔力の痕跡が!! )
ジェイドの推測は当たっていた。意識しても分からないほどのごく微量な見知らぬ魔力がまるで発信機のように足首に付着していたのだ。
(いつの間に!? いや……隙はいくらでもあったか……)
付着していた魔力は、城本剣太郎が持つ数多の【スキル】と『技』の内の一つ。
【索敵】スキル『尾行』によるものだった。
『尾行:【索敵】スキルのスキルレベルが10になると使用可能。任意の対象者一名に魔力を紐づけることで1センチ単位の正確な位置を魔力が続く限りいつでも、どこでも知ることが出来る』
(これで僕のいる位置を正確に割り出したわけか。クソッ……僕は君から逃げることもできないのか……!? )
そうしている間にもジェイドの身体は落下し続けている。【自動回復】は『技』の制約で使用できないまま。
そんな乱れに乱れた視界の中で、
「あ!! 」
彼は目撃した。
こちらに向かってまっすぐ伸びている一棟の高層ビルを。
(まずい、まずい、まずい! まずい!! 体勢を立て直せ! でないとアレに当たって……僕は……俺は……! )
「【念動…………魔術】!! 」
苦し紛れに放ったサイコキネシスの力場。激突の衝撃を少しでも和らげようと体にバリアを纏おうとした。
しかし彼は見誤った。
(ああ……魔力が……足りない……)
自分のエネルギーの限界を。
無尽蔵にも思えた魔力は【即死魔法】の連発でとうに限界を超えていた。
(くそ……こんなところで。こんな風に終わるなんて)
始めて経験する命の危険に晒され、集中の極致に至っていたジェイド。
そんな彼の脳裏では数秒が何分にも、何十分にも感じられていた。そのゆったりと流れる世界の中でジェイドは無力だった。
もはや『パワーウォール』を貼る余力も無ければ、腕で頭を守る力も無い。
死神は少しずつ迫りくるビルの屋上をただただ見続けた。
(……激突する! )
高層ビルと正面衝突をする覚悟をした、その時。
「こっちの世界の3桁は残存魔力の管理もできないのか? 」
「……え? 」
果てしないと思われた数秒間は他ならぬ叩き落とした張本人……城本剣太郎の手によって終わりを迎える。
「危ないだろ。そのままビルを突っ切ったらどうするんだ? 」
ビルの屋上にフワリと着地し、ジェイドの首を衝突寸前に掴んでみせた剣太郎。
ジェイドは首から伝わる暖かく、力強い魔力の感覚に困惑した。
「僕を……助けてくれるのか……? 」
「……どうだろうな? 」
剣太郎は死神への答えを首を傾げてはぐらかした。
「君が僕を助ける意味は……」
「そんだけペラペラ口が回るなら大丈夫そうだな? 」
ジェイドはその瞬間、安堵した。城本剣太郎が、ファーストブラッドが自分の思った通りの人物であったことに。
「……本当に……噂通りなんだね? 君が凄く優しいって話は……君が今まで一人たりとも人間を殺したことが無いって話は……」
(ああ噂通りだ。CIAの分析どうりだ。君はヒーロー気取りのイタイ奴だ)
「ああそんなところも僕は好きなんだ。僕のような勘違いされやすい、人から恨まれやすい人間にも救いの手を差し伸べてくれるところが」
(本当に甘いなぁファーストブラッド……。その多様な強さには憧れるけど……君のその精神性だけは全く理解できないよ……殺そうとしてきた僕を君は許そうとしているのかい? )
死神は嗤った。少年の優しさを。敵に非常になりきれないその甘さを。
そんなジェイドの内心を知ってか知らずか剣太郎は軽い口調で話しかけた。
「なあ? 」
「んん? なんだい? 」
「助けた礼にあと2つ聞きたいことがある」
「……今なら何だって話すよ」
「そうか? なら1つ目だ。お前は誰から頼まれて俺を殺しに来たんだ? 『組織』か? 迷宮庁か? はたまた見た目通り外国のどこかか? 」
首を掴まれたままジェイドは神妙な表情をつくった後に『用意』していた答えを口にした。
「ああ、そんなことか。僕は……個人的に君と戦いたかったんだ」
「個人的に? 」
「ああそうさ。言っただろ? 僕は君のファンなんだよ。特に君の強さのね。一度是非、戦って見たかったんだ! 」
(まあ嘘は行ってないよ? でもクライアントを言うのは、さすがに『守秘義務』に抵触しちゃうよ……でもさ、正直に全部答えろなんて君は言ってないよね? )
ジェイドは余裕をこいていた。
「さあこれでまず1つ! もう一つは? 」
口調は軽く。
態度も気安く。
まるで剣太郎の友達になったような口調で話した。
「ああ今度の質問は答えやすいはずだ。なんてったって答えは『はい』か『いいえ』かの二択だ」
「いいね。ありがたいよ。それで質問はなんだい? 」
話に聞いていたから。城本剣太郎は優等生の様な性格で、穏やかで、友人や知り合いを大切にする人間であると。近づいてきた人間に無下に接することは出来ない人間であると。
「じゃあ前置きなしに聞こう。ジェイド」
「うん」
剣太郎に助けられた自分は、もう知り合いの範疇だと勝手にそう解釈していた。
「お前……自分がさっき『何人殺したのか』……わかってるのか? 」
――――全てが勘違いだった。