無敵
『彼』は退屈だった。刺激のない自分の人生にほとほと嫌気が差していた。
レベルの低い公立高校。
脳筋ばかりの同級生。
1ミリも尊敬できない教師。
飲んだくれの両親。
全てが陳腐に写り、滑稽に見える連中に囲まれるのが苦痛で仕方がなかった。
『コイツ等は何のために生きてるんだろう? 』という疑問を心の中だけに留めて日々を漫然と生きていた彼。しかし、そんな灰色の人生にもとある転機が訪れる。
それは日差しの強い夏の日のこと。
なんの気なしにトンネルを通るいつもの散歩ルートを歩いていたその時。
「なんだ……お前? 」
彼は見知らぬ『生き物』に遭遇した。
後に名前を『ダンジョンリザード』だと知るその生物は、見たことも聞いたこともないような大きさの二足歩行のトカゲだった。
「まずいな……」
最初は逃げようとした。
ワニのような大きな口を備えたその巨大な生命体に自分が敵うとは思えなかったから。
たげどその直後、彼は自分のポケットに突っ込まれたある物の存在を思い出す。
「そうだった。父親からコレくすねてたんだ」
直後、人気のないトンネルに木霊する渇いた発砲音。
大トカゲがその巨体を2本の足で支えきれなくなっても尚、彼は引き金を引き続けると弾倉から弾が消え失せた。
そして、彼は退屈を克服する『力』を得た。
レベルと魔法とスキルが支配するゲームの中でしか見たことがないような異世界のダンジョンを攻略するための力を。
退屈を紛らわすために適当な通行人に鉛玉をお見舞いしようとしていた彼だ。殺伐としたダンジョンの世界にのめり込んでいくのは必然でしかなかった。
しかし夢のような幻想は長く続かない。
彼は知ってしまった。トカゲを銃殺した時から備わっている【即死魔法】を使えばどんなモンスターも、どんなホルダーもたちどころに一撃で殺せてしまうということを。
いつからかダンジョン探索はつまらないレベル上げ作業へと変貌し、彼は再び退屈の海に沈められた。
それでも政府組織から接触があった時にはそれなりに心が踊った。しかしその実態を知った後は溜息しか出なかった。
勲章だらけの軍服を着た偉そうな大人たちはただ彼の首輪に鎖を付けようとしただけだったのだ。
『結局退屈なのはこの世界そのものなんだ』。彼がそう結論づけてから一ヶ月ほどたったある日。
何気なく開いた動画投稿サイトで一つの動画を目にする。
それはほんの数日前に上げられた一分にも満たない短い動画なのにも関わらず既に何千万回も再生されていた。
それを彼はなんのきなしに見て、驚愕した。
そこには本来なら機械の目には映らないはずのモンスターとホルダーが戦っている様子が流れていたから。
彼の驚きはそれだけに留まらない。
「速過ぎる! 」
遠景から撮影された映像なためはっきりと姿形を判別することはできない。けれど強力なホルダーである彼の目には『漆黒の鎧を纏った異世界の騎士』と『バットを持った少年』が打ち合う様子がはっきりと見て取れた。
「すごい……」
一瞬で魅了された。
見知らぬ強者たちの戦いに。
その強さの多彩さに。
想像も及ばない程の熱戦に。
「こんな人がいるんだ……」
その日、何度も何度もその動画を繰り返し見続けた彼は心に決めた。いつかこの映像に映っていた日本に行ってこのバットの少年と戦うことを。
そして現在、彼は……ジェイドは大きな大きなため息をつく。
あまりにも呆気ない閉幕に。
拍子抜けの末路に。
憧れのファーストブラッドは想像していた何倍も人の死に対して脆く、支部にあふれた死体の山を前にうずくまってしまっていた。
(さすがに幻滅したよ。ファーストブラッド……)
『死神』は自分に向けられた無防備な背中に手をかざす。
「せめて僕の本気で殺してあげる。……『不可視の処刑人』」
その技の名を口にしたジェイドの身体は濃密な魔力に包まれた。
しかし魔力は何かを形作ることも、色づくことも、生み出すこともない。
ただ広く、深く拡散していく。
壁も。
人体も。
結界も。
アミュレットも。
ドロップアイテムの加護も。
ありとあらゆる障害を突き抜けて。
(この技は最も広範囲かつ効率的に死を相手に与える魔法……。時には病死。時には突然死。時には出血死。時には事故死……)
実現する形態は人の数だけ多種多様。ただ結果は同じ。すべての人に平等に降りかかる様はまさに現実の死そのもの。
「まあいいや。…………死ね」
死神の鎌は振るわれた。
ジェイドの脳裏に浮かぶ心臓が動きを止める明確なイメージ。その瞬間、彼の作戦は全て終了する。
『終わった? 』
タイミングを見計らったように届くその『声』に彼はにこやかにほほ笑んだ。
「ああ、終わったよ。アリス」
『あっそ。【一番目】も案外弱っちいのね』
「かもね……」
『なに? 珍しく大人しいわね? 』
「敬愛する人をこの手で直接殺したんだ。少し黄昏れたってバチは当たらないだろう? 」
『はっ! あんたがそんなタマじゃないことはこっちは重々承知してるわよ。回収地点は端末に送っておくわ』
「ありがとう」
手慣れた対応に、スムーズな会話。頭の中に直接響いたテレパシーの声に一言礼を言うとジェイドは死体から視線を外した。
これが今の『彼』の日常。世界中を飛び回っては『本国』から指定されたホルダーを秘密裏に殺すこと。
退屈しのぎにはうってつけの仕事。しかし退屈を嫌う死神は既にその務めすらも見限り始めていた。
(たしかに僕の力は暗殺向きだけど……こんなに一方的な戦いばかりだとやる気なくしちゃうよ。全然、張り合いがない)
心は絶望と失望に覆われ始めていた。ファーストブラッドを自らの手にかけたことでまた退屈な時間が戻ってきてしまったのだから。
(あのファーストブラッドでもダメだったことは計算違いだったな。所詮モンスター専門ってことなのか? )
「さあ帰るか」
「……どこにだ? 」
「? ……まずは東京かな」
「わざわざ日本の首都を経由するのか」
「……ッッ!! 」
ジェイドはその『異変』に即座に反応することが出来なかった。
「誰だ!? 」
それだけ今起こっていることは信じがたい事態だった。
「わかってんだろ? それとも分かってて聞いてるのか? 」
「ありえない! 君は……僕がさっき殺したはずだ!! 」
速まる心臓の鼓動。
乱れて荒れる呼吸。
こめかみから流れ落ちる冷や汗。
ジェイドの動揺は余りにも分かりやすく表出した。
死んだはずの少年はそんな死神を嘲笑った。
「随分と余裕がなくなったな? 」
「どうやって僕の魔法を!? 何をした!? 」
少年の分かりやすい挑発を無視し、死神は詰問する。指摘された通り、襲撃者が持っていた心理的優位性は一切ないままに。
少年はその問いに答えることなく、片手に持った金属バットを突き付けた。
「奇遇だな? こっちもたっぷりと聞きたいことがあるんだ」
「……ひっ……! 」
死神は膝をつく。
漏れ出た悲鳴を隠そうともせずにズリズリと後ろに下がっていく。
けれど怒りに震える『鬼神』は逃走を許そうとしなかった。
「くっ……」
「なんだ俺が怖いのか? 」
「違うッ!! ただ動揺したっ……それだけだっ」
「そうだよな? そんなこと言ってる場合じゃないよな。お前は今から俺を起き上がらなくなるまで何度も何度も殺さなきゃいけないんだから。でもさ、その前にお前は知らなくちゃいけない――」
彼は致命的な勘違いをしていた。
そこにいるのは『最恐の死神』が憧れた『最強の少年』ではない。
地球上で最も速くレベルを獲得し、
数多のダンジョンを超え、
人類の天敵である魔王をも打ち倒し、
格上をひたすら殺し続けて、
異世界の並みいる最強達をも討ち滅ぼし、
遂に完成した。
「――自分がしたことの『重さ』をッッ!! 」
ただの『無敵』だった。