迷宮(ダンジョン)は面白い
決して揺るがない意思の力を感じた俺は、重苦しい現実を打破するべく無い頭を回し続けた。
何か……何かないのか? 他に手は……?
一度、頭から必要のない全ての情報を追い出す。騎士からの期待も。身体の疲労も。今もなお奮闘する白銀の騎士のことも。未だに回復しない【疾走】スキルのことも、この一瞬は意識の彼方に飛ばす。
メイズ・ロード・デーモンをよく観察するために。
青い悪魔は相変わらず張り付けたような余裕の笑みを浮かべて胡坐をかいて宙に浮いている。
けれど何か違和感がある。胡坐の組み方が緩くなっている気がする。あれ……いま何か足から垂れたか?
ソレは粘度のある黒い液体だった。丁度、白銀の騎士の『団長』の周りと同じように悪魔の足元で水たまるソレの正体を推測すると、答えはすぐに出すことができた。
「血か? 」
つぶやいてから確信する。あれは間違いなく血だ。
となるといつだ? いつ、あの青い悪魔は負傷した? そもそも俺は奴に直接攻撃した記憶が無い。ここに居る人は隙をついて攻撃できるような状態じゃない。全部見ていたわけじゃないけれど、ゴーレムを圧倒する騎士団長も悪魔に傷を負わせる余裕は無いように見えた。
もしかして今までの行動のどれかが何らかの形で悪魔への関節攻撃につながっていたのか? それじゃあ間接的な攻撃で傷を負ったとしたら何が負傷の原因として考えられる?
脳を急激に回転さけた結果、俺は『とある結論』に行きついた。
「『ゴーレム』を倒されると悪魔にもダメージが行く……とか? 」
思考はさらに加速する。
脳裏によぎったのは青い悪魔のこっちを挑発するような行動の数々。思い返すと、少し不自然なところがあった。
「胡坐を崩さないのは負傷を隠すため……ニヤケ面を絶やさないのは痛みをこらえるフリ……休止していたのは魔力を貯めるためだけじゃなく、傷を少しでも癒すため……無尽蔵のゴーレムを召喚できる悪魔は無敵なんかじゃなかった……? 」
口にするたびに疑念は確信へと変わっていく。徐々に興奮が体中から沸き上がっていく。
この時、俺は不謹慎ながらワクワクし始めていた。絶望的な状況。イカれた舞台。絶望的なラスボス。それを自分の鍛え上げた力と観察と即席の仲間たちで打倒する。
今、自分がどんな表情をしてるのか分からない。ただ目の前の悲壮感をまとっていた異界の騎士達は少し慄いたような眼をしていた気がする。
「なあ……命かけるっていうんならさ……ちょっと俺の作戦に乗ってみないか? もしかしたら全部ひっくり返せるかもしれないぞ……? 」
なるべく明るく、軽い口調を意識した。失敗したチームメートを慰めるように。滅多打ちにされた俺に先輩たちが声をかけてくれた時のように。
過剰で重すぎる責任感は必ず失敗を招くから。
……あとこの人たちは勘違いしてそうだけど、俺はなにか高尚な思いで人助けをしようと思ったわけじゃない。俺は聖人君子でもなけりゃあヒーローでもない。ただの其処らへんにいる一般的な感性を持つ日本人だ。折角初めて出会った迷宮探索仲間と仲良くしたいと思っただけだ。
だからラウドさん……それ以上辛そうな顔をしないでくれ。
あんたの顔はよく似てるんだ。馬鹿みたいに明るいヒロ叔父さんとね。
「一旦、退け! 」
出血しすぎてふらふらの『騎士団長』サマに後ろから声をかけて、それぞれの位置を入れ替える。
岩石の拳を振りかぶった巨人に呼応するように、俺はバットを大きく後ろに引き寄せた。ガーディアン・ゴーレムの一番柔らかい部分はもう分かっている。脛の少し下。ちょうど俺の肩口ぐらいの高さ。
「オラァ! 」
大きく高めに外れた直球をしばきあげるように打ち砕き、前に崩れ落ちて当てやすくなった首を、唸り声をあげて刈り取った。油断はもちろんしてないが、心の余裕を保てるぐらいには慣れ親しんだ流れだ。
「あなたは……? 」
ひるがえって白銀の騎士は、突如現れた見知らぬ人間に抱く当然の疑問をなげかけてくる。その男にしては随分高く澄んだ声に下を巻きながら、俺は質問に答える代わりに印のついていない『上級回復薬』を投げ渡した。
「話は、これを飲んでからだ」
「……ありがとう」
意外な素直さを示した団長が、薬を飲んだのを確認してから、俺は説明を開始した。
「作戦がある。青い悪魔を観察した上での不確かな仮説をもとに立てた作戦だ。でも、うまくいきさえすればあのニヤケ面をぶっ飛ばして、全員でここから生きて帰れるかもしれない」
どうだ、乗るか? と聞く俺はもうどんな答えが返ってくるのか分かっていた。あれだけボロボロになりながらなぜ一人逃げずに戦い続けたのか? それは仲間を、部下たちを見捨てたくなかったからに決まっている。
「──ってことだ。理解できたか? 」
「……要は、ゴーレムを倒せば倒すほど、悪魔は消耗するってことですか」
「その通り。取り巻きを叩きのめすのは全部無駄じゃなかったんだ。"勝つ"ためには必要なことだった」
「勝てる……」
「……かもしれないな。こっからは時間との勝負だ。ラウドさんたちに囮役をやってもらう間、俺達であの青い悪魔の魔力も体力も血もすっからかんにしてやろう」
肩を並べてみて驚いた。二人で戦うこと自体初めて。会ったのもついさっき。名前も知らない。顔すら見てない。それなのに驚くほどに息が合った。
俺が砕く。それを騎士団長が斬り刻む。団長が入れた斬れ込みに俺がバットを割り込ませる。目にもとまらぬ速さでガーディアン・ゴーレムを処理していく俺たちに青い悪魔の顔からは笑顔が消え始めていた。大きな歯をむき出しにし、ダメージを取り繕うのも忘れ、全身から黒い血を出血させている。
その時、目にした。ヤツ両目がギラギラと緑の光を放つのを。
「来るぞ! 」
ダンジョンそのものを操作する悪魔の切り札。だけど観察した結果、コレにも穴があることが分かっている。まず一つ。あの魔法は迷宮の全てのモノを『罠』という形に変形させることができるというとんでもない代物だが、言い換えると変えられるのはダンジョンの一部だけ。つまり絶対に罠を食らわない位置がある。
――――術者である『メイズ・ロード・デーモン』のすぐ近くだ。
騎士団長のスピードは『全力疾走』が可能にする俺の最高速度に匹敵する。そんな俺たちにとって、妨害を作ろうにも作れない悪魔との距離を詰めるなんて朝飯前だ。
しかし流石は初見殺しの迷宮の主。悪意の権化。邪悪の化身。世にも悪辣なことを考え出した。
青い悪魔は血反吐を垂らした口をにやりと歪め指を振るう。
『グゴオオオオオオオオオオオオオォォォ-!!! 』
大量のガーディアン・ゴーレムが生み出されたのは、俺たちの目の前ではなく遥か後方の迷路の残骸の近く。そう、それは傷だらけの騎士達が俺たちの負担を少しでも減らすために何体かのゴーレムを引き付けている場所そのものだった。
「あっ! 」
一瞬だけ迷いが生じた。短時間にゴーレムの数を減らされた、今は攻め込む好機だ。けれど、どうする? このままだとラウドさんたちは……。
そんな逡巡、停滞した思考を、一つの咆哮がかき消した。
「振り返るなあああああ! 」
それはラウドさんの絞り出した命令。文字通り命がけの訴えだった。
こうして迷いは打ち払われる。
ただ背中を押された俺たちは、限界を超えて加速した。
もっと。もっと早く。一秒でも早く。
あの勇敢な彼らの命が潰えてしまう、その前に。
「デカいな……」
真下から見上げるとメイズロードデーモンは想像をはるかに超えて大きかった。それに想定外なのはそれだけじゃない。どうやら俺は目測を見誤ってしまったらしい。
彼我の距離は目測で20m以上ある。足元に滑り込むことには成功したとこまでは良いものの、このままでは奴に攻撃が当てることが出来ないんだ。
でも、焦ることは無い。そこまでは想定内だ。こうなった時の動きは既に考えてある。
「頼む、起きてくれよ」
地面をバットで軽く小突くと、明確な反応が返ってくる。
よし。まだ消えてないな。
こちらの挑発に乗って、地中から現れたのは両足だけ砕かれた『ガーディアン・ゴーレム』。モンスターは死ぬと煙になってしまうが、このように一部破損してるだけじゃその巨大な質量は残り続ける。最初から考えていた。大仰な図体を持つコイツは空高く浮いた青い悪魔への『踏み台』にピッタリだと。この青く染まった視界を通してずっと思考を巡らせていた。
それに計算通り。ここまでの道中で目標の経験値は溜まり切る。
残りの789ポイント全てを迷わずつぎ込むとスキルレベルが5になった俺の鑑定スキルは新たな力──最初の『技』を手に入れた。
『弱点看破:【鑑定】がレベル5になると使用可能。視認したモンスターの弱点部位を1分間赤く示す。(弱点は不定)12時間に一度だけ使用可能。』
分析力が向上した鑑定眼は青い悪魔の右太ももと頭部を真っ赤に染め上げる。当然次の12時間後なんて待つ必要はない。ここまで数えきれないほどのゴーレムを休みなく倒して来た俺たちの体力ももうすぐ限界だ。
そうすなわち。
勝負は今、ここで決める!
「右もも! 」
こちらの号令と同時に白銀の騎士は巨人の背中を蹴り上げ跳びあがる。全身全霊を込めた強撃を弱点に食らわせるために。素晴らしい踏み込みと空中姿勢制御をもってして、白銀の剣の切っ先は狙いすました一点に吸い込まれていった。
そして――――
「グギゃああアアあ嗚呼亜アぁああぁアァああああ阿唖嗚呼アああああ!! 」
青い悪魔は始めて悲鳴を──聞くに堪えない絶叫を上げた。
墜落した。宙に浮かび上がることが出来なくなり、その全身を大地に強く叩きつけた。
だけど、そのまま爆散することはなかった。仕留めきれなかった。白銀の騎士の残り全ての体力を賭した、完璧な一撃でさえも。
直後に思い出す。最初にヤツを鑑定した時の衝撃を。尋常ならざる魔力と耐久力を。
このゲームのような迷宮の世界のゲームのようなモンスターたちはゲームの様にステータスを持ち、レベルがあり、弱点を抱えているが『HP』といった概念がない。いくら弱点を突いたところで仕留められないことだってある。このダンジョンはゲームのようでゲームじゃないんだから。
けれど、ゲームじゃないからこそ、モンスターであっても生き物だからこそ、分かることもある。地に落とされた『メイズ・ロード・デーモン』は浅く短い呼吸を繰り返していた。体中から垂れる血も勢いが止まらなかった。間違いない。もはやコイツに抵抗の余地は無い。次『フルスイング』を叩き込めれたら俺たちの勝ち。さあ、トドメを刺すんだ。
心の中で5秒を数えだす。岩石の巨人の上から、すっかりみすぼらしくなった強敵の末路を見下ろしながら。
だがその時。
「……」
絶体絶命の、死にかけだったはずの青い悪魔は──
「……ケケ」
──小さく嗤った。
「え──? 」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。異変を認識した時には既に、爆音が轟き、周囲は土埃で包まれていた。
そしてちょうど3秒のカウントが終えた頃。
煙は晴れ渡り、俺は何があったのかをすべて知った。
「……──」
視界に飛び込んできたのは激しく吐血しながら口の端を歪める悪魔と──白銀の鎧を血で染め、横たわる騎士の姿。死にかけの二つの存在を目にした途端、ようやく理解が追いついた。
浮き上がる気力すら無かった悪魔は放ったのだ。魔力を振り絞って生成した石柱を。体力の限界を迎えて動けなくなっていた騎士団長に向かって。
「ぁ……っ……」
上級回復薬を飲んでいたのが功を奏したのか。息はまだあった。ただ今すぐにでも誰かの助けが必要だった。
ここまでで4秒。濃密な時間を静止し続けた俺をあざ笑うように。悪魔は震える手を振るい、まるで銃口を突き付けるように、次弾の石柱を白銀の騎士の直上に置く。
究極の選択を迫られる、長い長い1秒間が始まった。
この1秒間、このまま動かなければメイズ・ロード・デーモンにトドメを刺すことが出来る。そして、そうすれば2発目の石柱の落下を避けることが出来ない団長は100%死に至る。
選択できるのはどちらか一方だけ。目の前の助けが必要な人を見捨てるか。すぐそこにある勝利を諦めるか。
引き延ばされた時間の中で息が荒くなる。心臓の音がうるさい。喉が渇く。呼吸ができない。どうする? どうすればいい? 他に何か……? 1秒の10分の1にも満たない時間熟考した。
『フルスイング』という『技』のことを。『5秒間の溜め』……それの真意を。もう一度考え直した結果。屁理屈をこね上げて創り出した『第3の答え』を導き出す。
残された手段はこれだ。やるしかない。この希望的観測に全てを賭ける。
「──ッ! 」
決心した俺は岩の巨人の背中から飛び上がった。
青い悪魔は嗤った。『そうか、お前は仲間を見捨てるのか』とでも言うように。しかし狡猾で目ざといコイツは気づく。俺が5秒経つ前に飛び出したということに。俺の飛んだ先が自分ではなく、仲間をつけ狙う石柱であることに。
目測通り。俺は石柱に飛び乗ると、足で割り砕いた勢いでより高く飛び上がった。メイズ・ロード・デーモンの遥か高くの直上に。
再び始まるのは、5秒のカウント。バットを振り上げたまま徐々に引き戻されていく両腕には『技』による力の集中が始まっていた。
やはり自由落下での移動ならば静止のルールには抵触しない。上から下に落ちるだけなら『溜め』は継続する。
かくして全てを駆けた大きな選択はこの戦いの趨勢を決定づけるものとなった。
1秒経過。青い悪魔はこちらを見上げる目を吊り上げると、かき集めた魔力で新たな石柱を生成しようとした。しかし俺は知っている。新たに作れば作るほど、石柱の完成が遅くなっていること。もはや5秒間だけでは迎撃は間に合わない。
2秒経過。悪魔が裂けるほど口を開き何かを叫んだようだが、風切り音で何も聞こえなくなる。
3秒経過。悪魔はようやく防御も威嚇も無意味だと悟ったみたいだ。細い身をよじり、必死に落下点から逃げようとしていた。けどそれも無駄だ。お前は血を流し過ぎた。もう立ちあがることさえできないだろう。
4秒経過。目と鼻の先まで迫った角の生えた青い顔。その中心についた真っ赤な目はまるで泣きはらした後の子供のようだった。
「『フル』……『スイング』ッッッッ!!! 」
ジャスト5秒後。空中で溜められてきた力は解放される。青い悪魔の弱点、顔面の中心に。迷宮の中の端から端まで轟いた金切声が終わると、目の前は黒い煙で一杯になった。
「はは……はははは」
20000ポイントと新たなスキルがステータスに刻まれたのを確認した後に俺は心の中でつぶやく。
ああ、やっぱり……。
……迷宮っておもしれぇ。