覚悟
鎧をつけた一人が叫んだ。
『危ない』と。
その声にすぐさま反応した俺は【鑑定】スキルを発動する。
「……なんだこりゃ!? 」
思わず溢す困惑の声。青みがかった視界は『罠』を示す赤い点で埋め尽くされていた。周囲を囲う高い壁。割り砕かれた地面。遥か彼方の天井。迷宮の中の全てが『罠』だった。
考えている暇はない。とにかく宙に跳んだ。こうするのが一番安全という判断を下し、足に渾身の力を込めた。果たして予想は当たっていた。
「……お前、無茶苦茶だな! 」
空へと逃れるのとほぼ同時に、迷路の迷宮は蠢きだす。この広間を囲う壁も天井も地面も、ありとあらゆる全てが意思を持ったように変形し、今にも襲い掛かろうとしているところだった。
「うおぉ!! 」
下を見て声が出た。さっきまで巨人と戦った場所は今や異臭を放つ液体で満たされた大穴へと変わっている。さらに変化はそれだけじゃない。
「今度は天井か! 」
ガラガラと音を立てて落ちてくる大岩と構造物の雨あられ。逃げ場のない宙にいる俺をぶっ飛ばそうとする落下物には[器用]で強化されたバランス感覚と運動神経をもってして避けるのではなく、ソレ自体に"飛び移り続ける"ことで回避。なんとか危機を脱する。
「キキキ……! 」
ところが、青い悪魔はさらなる奥の手を残していた。俺が二つの罠に対応することを予め見越していたのか。トドメとばかりに着地点一帯の迷路を変形させる。立ち並ぶ無数の壁を、こちらに先端を向ける無数の巨大な石柱へと。
「やっば」
危機を察知した時にはもう遅い。四方から、既に目の前にまで殺到した質量の波に、瞬間的な判断を強いられる。凄まじい攻撃だ。まともに食らえば一たまりも無いのは確実。当然、全方位攻撃に対して防御は論外。かといって落ち続ける岩を飛び移り続けても回避し続けることは到底不可能だろう。
だから──直撃寸前。俺は生命線であった土塊を蹴り捨てて宙に身を躍らせた。
「届け! 」
無理やり姿勢を制御して、降り立ったのはこちらに延伸する石柱の一つ。理屈はさっきと同じ。攻撃をいなすために攻撃そのものを利用する。
「想像よりもっ……速いなっ……! 」
水面の餌に我先にと食らいつく魚の群れのような波状攻撃に対して、足を止めず、次々に別の石柱に飛び移ることで回避するのは、ただ落ちる岩に乗るのとはわけが違う。必要なのは正解を引き続けるための判断力と針の穴を通すような精密さ。ワンミスが命にかかわるような状況は着実に俺の体力を削っていく。
でも俺は知っている。スポーツに限らず"勝負事"って言うのは苦しいときこそ、活路を見いだせたりするんだ。
「あ──」
──その時、見えた。土煙舞う最悪の視界の中で。足場となった石柱を伝って、あの青い悪魔へと続く一本の道筋が。
策士が策に溺れるって奴か? なんにせよ防御から攻撃へと転じる絶好のチャンス。逃すわけにはいかない。
音もなく走り出す。【疾走】は使えない。一気に距離を詰めることは出来ないが、悪魔の方も吹き上がった砂塵で俺のことを見失っている。連続攻撃の狭間をぬうように混乱に乗じて、背後を取るのは容易だった。
……ここですぐに攻撃には移らない。今すぐに殴り掛かりたい気持ちを我慢して声に出さず秒読みを開始する。
「……(いくぞ! )」
5秒。荒れる息を殺し、グリップを握る手に力を込める。
4秒。奴は振り返らない。段々自分の両腕の筋肉がきしみだすのが分る。
3秒。巻き上げられた土煙が晴れかけている。奴は振り返らない。
2秒。刹那、息を漏らしそうになるが耐えた。
1秒。―――さあ、一歩踏み出せ。そう心の中で唱えたのと寸分たがわず同時。
「キキキキキ! 」
グルリと悪魔の首が周った。こちらを真っすぐ見つめる目は弧を描き、大きな口の端は過去最高につり上がっていた。
「ッ! 」
やられた! そう思った時には手遅れだ。飛び乗っていた石柱が突如折れ曲がり、先端を俺に向けて伸び始めたのは5秒のカウントが終了した直後のこと。
「『フルスイング』! 」
それでも勝敗を決定づける渾身の不意打ちをくらわすために、ためにためた『フルスイング』を放つことで、その予期せぬ不意打ちは対処できる──そう、思っていた。
[力]が倍加した様子の一切無い『フルスイング』からは程遠い、通常通りのスイングを見るまでは。
「え? 」
口から漏れた疑問の声。体感時間が遅くなるのと反比例するように、思考は加速していく。脳を支配したのはただただ自問自答する声。俺は何を間違えたのかという問い。
なんで……どうして!? 何が悪かった!? 5秒は経過した! バットは手に持っている! 何も不都合は無かったはずだッ!!
空気中に舞う砂ほこりでさえ止まって見えるような時の流れの中で石柱と焦りの感情だけが恐ろしい勢いで突き進んでいる。
『技』が使えなかった原因を見つけたのはそんな時だった。
「は? 」
視界の端に映る"くさび形の文字列"。まるでパソコンのエラーメッセージのように表示されたそれの意味はこうだった。
【『技』の使用に必要な魔力が不足しています】
おい……そんな説明……【鑑定】で見た時にはどこにも無かったぞッ……!!
心の中で叫ぶのと同時に石柱は、バットごと俺を空高く跳ね上げていた。
「──がッ! 」
少なくとも今は愚直に耐久にもポイントを振っていた自分自身をほめたい。
衝撃を殺し切れず、何枚もの壁に叩きつけられ、血反吐を吐き、骨も何本か折れてるような感覚もあったけど、不思議なことにまだ生きていた俺はそんなことを考えながら、よろよろと身を起こし辛うじで動かせた左手を開く。
そこにあったのは不自然なほど無傷な『上級回復薬』の入った小瓶。『フルスイング』が出来ないと分かった時とっさに腹に抱えて、壊れるのを防いだのはファインプレーだった。散々使っていたのに『技』に[魔力]を消費することに勘付けなかったのは反省しなきゃいけないが。
ビンの蓋を開けて頭から浴びるようにして飲む。効果はてきめんだった。全身から流れていた血は止まり、朦朧としていた意識は徐々にはっきりしていく。
また回復した意識は一人の男が背後にいることを認識した。ふりかえると鎧越しに視線が合い、こちらを見つめていることが分かった。俺は立ち上がりながら、念のために落ちていたバットを引き寄せた。
「大丈夫ですか? 」
「なんとかね」
「……いま、話せますか? 」
「……攻撃がまた飛んでこない内は」
「……」
「……」
言葉の応酬が終わり、しばらく流れる無言の時間。
居心地の悪さを感じ始めるほどの妙な緊張感が漂い始めた空気を破ったのは鎧の男の方だった。男は器用に片手で兜を脱ぐと、疲れ切った両目をまっすぐに向けてきた。
そこでようやく気付く。この素顔を現した壮年の男性の右手が無いということに。
「私は≪帝国陸軍第13騎士団≫の一番中隊長と副団長を務めるラウドと申します。もしよければお名前を伺ってもいいですか? 」
外国人? どこの国の人? 着てる服はコスプレ? それとも演劇の人? な~んて言って茶化すような気分には全くなれなかった。
とっくのとうに察していたがこのダンジョンの先客、この鎧の来た人物は明らかに俺とは違う。別世界の住人――『異世界人』と言えばいいのか。つまりはまあ俺が住んでた平和な世界とは違う、『迷宮』側の人物だ。見た目はそれほど変わりは無いようだが、本物の光を放つ武装や武器、身にまとう厳めしい空気や荒れごとに慣れている雰囲気はどう考えても堅気のソレじゃない。見たことは無いがいわゆる"軍人"っていうのはこんな感じなんだろうか。
色々気にはなるし、質問したいことも山ほどある。だが今最優先なのは互いの自己紹介なんかじゃない。とりあえず向こうに俺と戦う意思は無さそうなこと。そして不自然なほどに攻撃が止まっているということ。
「名前なんてどうでもいいです。今は協力しましょう。あの青いのもいつ動き出すか分かりませんから」
注意を促した俺はメイズ・ロード・デーモンへと視線を移す。青い悪魔は先ほどから宙に浮いたまま瞑想をしているようでピクリとも動かない。不気味だ。あの沈黙っぷりは嵐の前の静けさという言葉がよぎる。
ところが俺がこのダンジョン最後の敵へと意識を向ける一方で。
「いえ……聞いておかなければなりません。窮地を救ってくれた恩人の名を」
異世界の騎士――ラウドは食い下がった。
「そして──恥知らずにも、私たちは『お願い』申し上げなければならないのです。こうして初めてお会いし、ただでさえお返しできない恩のある貴方に」
『私たち? 』『お願いって? 』と聞き返そうとしたその時、ラウドの背後に、彼と同じ鎧を来た集団がいつの間にか集っていたことに気づく。まあ集団と言っても数はそれほど多くは無い。精々30人ほどであり、気配に気づくことが出来なかったぐらいには生気を感じない。それでも侮ることも出来ない。油断したところを囲まれでもしたら……。
一瞬、バットを握る力を強めようとしたが。
「──ッ!? 」
集まってきた人間たちの詳細を見た俺は警戒心をもがれ、ただただ絶句した。
言葉一つすら発することが出来ず、互いを庇いあうように肩を貸して立つ彼らの様を、説明するのにボロボロなんて表現じゃ全く足りない。戦うなんて言ってられる状況じゃない。なんで全員が流れ出る血を止めようともしないのか。なんでその傷で立っていられるのか。何でいまだに生きていられていているのか。全く理解できないほどに酷い。
固まる俺の前で、集団の代表者であるラウドは膝をついて地面に顔を擦り付けた。ドラマでしか見たことが無い上にまさか自分がされる側に立つことになるとは思っても見なかった。
間違いなくそれはこっちの世界で、土下座と呼ばれているものだった。
「どうかっ……どうか! お願い致します! 団長を連れてここから逃げてくださいッ! 」
男から発せられた予想外の言葉、『お願い』の内容に思考が停止する。
こんな子供に対して大袈裟すぎじゃないか? 逃げるってどこに? ていうか『団長』って誰だよ? 湧いた疑問のすべてを投げかけようとしたその矢先。
「……キキキキ──! 」
停滞した戦場は一気に動き出す。
「これは……!? 」
「この[魔力]は【魔法】使用時の……! 」
瞑想を終えた両手を広げる悪魔からあふれ出した"『力』としか言いようのない波動"。空気をビリビリと震えさせ、体の芯にまで伝わるエネルギーのうねりは、ラウドの言葉を借りるなら[魔力]って奴らしい。
なるほど。これが[魔力]。気づいてなかったけど自分の中にも微かに同じものを感じる。
「──」
思考が巡り始めた。
『上級回復薬』の効果は凄まじい。あれだけボロボロだった身体はもうかなり動けるようになっている。ただしさっきで残りは全て使い果たした。ここからは一発ももらえない。
こっちの考えていることを見透かしたように『迷路の主』はため込んだ魔力を解放させ、大量の『ガーディアン・ゴーレム』を生み出した。
5体じゃ足りないとみて、物量で押してきやがったか。上等だ。[魔力]と[持久力]に500突っ込んで真向勝負だ。今度こそ魔力が切れるまで、お前が音を上げるまで、とことんまで付き合ってやるよ。
そんな決意を固め、岩の巨人の大群を睨む俺の視界の端に"キラリと光る何か"が映った。
「? 」
それは広間の外の迷路から飛来してきた。
それは白銀一色で包まれていた。
それは宝石のような輝きを放っていた。
一瞬時が止まったように錯覚しかける。
それほどに視界に飛び込んで来たソレは迷宮とは不釣り合いなほどに綺麗だった。直後、白銀の正体が真っ白の全身鎧であることに気付く。その純白の端々が"赤く"血塗られていることにも。
「騎士団長――リューノ様!! もういいのです! 退いて下さい! そのお身体ではッ……!! 」
ラウドはうずくまったまま叫んだ。その白銀の鎧に身を包んだ『騎士団長』に。だが白銀の騎士は止まらない。通った場所に血の道を残しながら岩の巨人に突貫する。
「すご」
口からは自然と称賛の言葉が漏れ出ていた。
白銀の騎士の戦いっぷりは壮絶だった。
さっきまで戦っていた俺には分かる。あの『ガーディアン・ゴーレム』の硬さは異常だ。普通に叩いてもこっちの手を痛めるし、当たり所が悪ければ砕くどころか弾かれて、脆い部分に狙いを定めて打っても腕全体に強烈なしびれが発生する。
そんな事実を知っているからこそ、宝石がハンマーで"割る"ことは出来ても、切れ味のいいナイフで"切断する"ことできないのと同じように、あの頑健な身体に刃の類が通るとはとても思えなかった。
「一撃で真っ二つかよ……」
こうして、この目で『可能であること』を見せられるまでは。
岩山と見まがう巨体を粉々に斬り刻む鎧と同色のか細い剣。刃が振るわれるたび、巨人の悲痛な声がこだましていた。素人の俺からでも分かる達人の動き。踊るように剣を操り、目にもとまらぬ速さで切り刻んでいく。一見すると一方的な蹂躙劇。なんの心配もいらないように見える。
なのにラウドは、鎧をまとった彼らは、その様子をまるで痛々しいものであるかのように見つめている。間違いない。白銀の騎士の身体は明らかに万全じゃない。あの赤い血は返り血じゃなく、自身の体から流れ出たものだ。
激しく動けば動くほどに『騎士団長』の足元の血だまりはどんどん広がっていた。他方、悪魔は変わらず余裕の表情だ。片手間にゴーレムを生成し続けて、手ごわい人間が息切れするのをはるか遠くから今か今かと待っている。
これじゃぁ倒れるのも時間の問題だ。
「加勢しに行きます! 」
「お待ちください! 」
走り出そうとする寸前、何故か後ろから静止をうける。他でもない『騎士団長』の仲間であるはずのラウドから。
当然、俺は理由を問いただした。
「何でだよ!? あの人がアンタらの言う『騎士団長』なんだろッ? 早く助けに行かないと! 」
「どうか、行く前にこれを……! 」
困惑と焦燥にかられ、口調が荒くなる俺に差し出されたのは、2本の『上級回復薬』。混乱はより一層大きくなった。
「ソレを持ってるんなら、どうして自分たちに使わなかったんだッ!? 」
こんなにボロボロなのに?
ボロボロなんて言葉じゃ足りないのに?
今にも倒れそうで、死にかけているっていうのに?
この人達以上に回復薬が必要な人なんてこの場のどこにもいないのに?
「それが……私たちの持っている最後の回復薬だからです。"赤い印"のついてる方は眠り薬が入れてあります。そちらは『団長』に、一本は貴方に」
だからこそ、自身を副団長と名乗った男の言葉に、頭が真っ白になった。そして俺は死の瀬戸際にいるはずの彼らが妙に落ち着き払っていた意味を知った。
察しが悪すぎた。
なんでこんなに簡単なことが分からなかったんだ。
この人たちの覚悟の深さを。
「さっき貴方は『団長を連れてここから逃げろ』って言いましたね? また貴方はこうも言いました。睡眠薬入りの回復薬を団長に使えと」
「……」
「それってつまり……俺に、無理やり眠らせた『団長』を担いで逃げろってことですか? あなたたちのことは切り捨てて……」
「"奴"のことは我々のこの消えかけの命に代えて引きつけます。その隙にこのダンジョンから二人で脱出してほしいのです」
「それって……」
「心配はいりません。生き残ってさえいれば……いずれ誰かが救出しにくる可能性はありますから」
俺は見た。
死にかけだと思っていた人々の真意を。
疲労困憊の表情の裏側の、目の奥に宿った決死の思いを。
「だからお願いします。どうか……どうか……団長だけでも! 」
はっきり言おう。
俺はただの、普通の、平和な世界からダンジョンにのこのこやって来ただけの高校生だ。
軍隊の規則も、戦場の常識なんて知るよしもない、ずぶの素人野郎だ。他人が何を考え、何を最も大切に思っているかなんてわかりっこない。
なのに。それなのに。世界は違えど、年齢は違えど、すぐに悟ることが出来た。
これ以上の説得は無駄だということを。