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救世主

 血風渦巻く戦場で一人の人間が今、狂気に飲み込まれようとしていた。



(もう……無理だ……せめて……せめて……――様だけでも……)



 男――――10の中隊から構成される≪帝国陸軍第13騎士団≫の≪副長≫は絶望していた。


 悪夢のような現実に。


 今も尚繰り広げられる惨劇に。


 自分たちが陥れられた現実への理不尽に。




 攻略前には500近くいた精鋭達の軍団は見る影もなかった。


『2番中隊』をまとめる頼れる男は仲間を庇って酸のたまった穴に落ちた。


 冷静沈着な『3番中隊長』と陽気な『4番中隊長』の兄弟は『ルイン・スネーク』の死体の血に頭をやられ(・・・・・・・)同士討ちした。


 騎士団の斥候役であった『7番中隊長』は数百本の毒矢に貫かれた。


 常に殿を務めてくれた屈強な『6番中隊長』はルイン・スネークの群れから逃げきれなかった。


 騎士団幹部の紅一点だった『10番中隊長』は落ちる天井につぶされた。



(どこかで……いやもっと早く引き返すべきだったか? )



 上級階層にたどり着くまでに8年以上の苦楽を共にしてきた仲間の殆どを失うことになった男は迷宮に入ってから何度も自分に問いかけた。『これで良かったのか? 』と。『もっと良い方法があったんじゃないか? 』と。



(いや……残された手段は他には無かった……)



 けれど男はその自問を自分自身で否定する。


 それでは迷宮に入った前と変わらない。どちらにせよ第13騎士団(じぶんたち)は遠くない未来、権力(ちから)によって圧し潰されていた。これ(・・)よりももっと酷い謀略が待っていた。団員は一人残らず全て殺されていた。それでは『あの方』を救えない。


 だから、この悪名高き『迷路の迷宮』への挑戦は言わば最後の賭けだった。初めから詰んでいた第13騎士団が生き残るにはこれしかなかった。たとえ"得体のしれない高難度のダンジョンの攻略を成功させ、抵抗するだけの力を手に入れる"という都合のいい筋書きは、単なる理想論であることが分かっていたとしても。


 しかし今この時、最後の希望は失われた。



「うわああああぁぁぁあぁぁあぁあぁぁ!! 」


「ぎゃあああああああぁぁあぁあぁああ!! 」



 過酷な戦場。


 魑魅魍魎はこびるダンジョン。


 厳しい訓練。


 どんな苦難苦痛にも耐え抜いた勇士たちが痛みで、苦しみで、絶望で、恐怖で絶叫する。その地獄の中心で笑みを浮かべるのは青い肌を持つ大悪魔。迷路の主。悪辣の化身。


 その身の毛もよだつ笑い後を耳にした直後、男は直感的に理解させられた。初級と中級はまだ前座であったことを。本当の地獄はここにあることを。この迷宮において最強なのは何者であるのかを。


 そして、その瞬間はすぐに訪れた。



「あれは……」



 青い悪魔の赤い目が緑色に変わる――悪魔が[魔力]を高めている前兆。



「まさか……! 」



 それは彼らにとって事実上の死刑宣告に他ならない。



「退避ぃいいいいいー!! 」



 男は叫ぶ。男は希求する。


 『どうか、これ以上誰も死んでくれるな』と。


 そう願って『避けろ』と叫んだ。しかし青い悪魔が操る【土の大魔法】の前には全て無駄だった。



「……! ……ッッ! 」



 魔力が一帯に迸った直後、もりあがった地面が爆発する。鼓膜を突き破るような爆音とともに現れたのは巨大な石柱(・・)槍衾(やりぶすま)。莫大な質量による恐ろしい速度の突き上げは一人の戦士の命を的確に狩り取った。



「ああ……ああ……! 」



『5番中隊長』。


仕事への高い責任感も持ち、全ての団員から信頼されていた男。



「ああああああああああああああああああああ!! 」



 それは、満身創痍な騎士団の中で唯一軽傷だった彼が、現在生きのこっている全ての者たちの心の支え(・・・・)が文字通りへし折られた(・・・・・・)瞬間だった。





 場面は冒頭に巻き戻る。


 男は絶望する。


 直上へと跳ね上げられた時とは一転して、ゆっくりと落ちてくる中隊長の亡骸を見て。


 男は確信する。自分たちの中にはもう、まともに戦えるものはいないのだと。


 

(あの方―――『団長』を救えるのは誰にも……)



 刹那、男は目をつぶろうとした。今から敬愛する人物へと進言する心の準備をするために。遥か遠くでまだ希望を捨てずに戦っているあの方に『我々を残してお逃げください』という一言を紡ぐために。地面に叩きつけられた仲間の無残な姿をそれ以上見ないために。


 そんな中――



「え? 」



 ――『彼』は現れた。


 突如どこからか飛来する一つの黒い影。それがモンスターではなく人影であることが分かったのは『5番中隊長』の身体が影によって優しく抱き留められた後だった。


 男は彼の正気を疑った。その年若そうな黒髪の青年は余りにも軽装すぎたから。動きやすそうではあるが、見るからに薄い上下の服。両手には手袋。上腕とひじだけを覆う籠手と脛あて。なんとそれらを左側にしかつけていない。それだけでも無謀すぎる出で立ちなのに、あろうことか仲間すらいる様子もない。『一人で迷宮に入らない』なんてどこの国の子供でも知っている常識だ。


 一方、一部始終を見ていた青い悪魔は露骨に嘲笑した。魔法の指先が振るわれて、土から生み出されたのは2体の『ガーディアン・ゴーレム』。その巨体で何十人もの騎士を鎧ごと叩き潰したここにいる全員にとっての恐怖の象徴だった。


 男はたしかに耳にした。突如現れた人物への衝撃で言葉を放つのも忘れていた傷だらけの戦士達の口から小さな悲鳴が漏れたのを。


 そんな自分たちの様子はお構いなしにゴーレムの前に立つ『彼』は背中の袋から一本の武器を取り出す。



(なんだ? あの貧相な棒切れは? ゴブリンの方がもっとまともな得物を持ってるぞ……)



 差し迫った危機的状況を頭からすっかり追い出し、目の前の光景だけを冷静に分析した男は"一抹の呆れ"と共に"憐みの心"を抱き、こう結論づけた。



『そうか。彼もまた我々と同じなのだ』──と。



(ああこの未来ある青年も国や貴族同士の謀略や戯れに巻き込まれて、見世物の様にこの迷宮に送り込まれたのだろう……。あんな軽装で、たった一人で……ここまで罠に出くわさず……その強運を持ってしてここまで進んできたのだろう……。だけど言わざるを得ない。そもそもここに来ることになったこと。それこそが最大の不運だと……)



 不幸で無謀な青年と二体の巨人は正面からぶつかった。


 その場にいた誰もが思い描いた。青年がなすすべもなく吹き飛ばされる光景を。床に叩きつけられた柔らかい果実のように人体の中身がはじけ飛ぶ様を。


 しかし男が目の当たりにした現実は、さらに信じられないものだった。



「……は?」



 思わず口から出たのは自分の正気を疑うときに発する言葉。


 それも無理はない。


 男は生まれて始めて見たのだから。貧相な棒切れ(・・・・・・)の一振りで『ガーディアン・ゴーレム』の巨木の様な足が粉々に砕けたところを。


 片足を失い、倒れ伏せた巨人は強かに地面を頭にぶつける。1秒にも満たない時間、巨体の動きが停止した。


 そして青年は、その頭が地面に叩きつけられた場所で当然のように待ち構えていた。



「ッッ──!? 」



 爆音。衝撃。


 とてもあの細い棒きれから出たと思えない音がダンジョン最上階に轟いた。


 土煙が晴れた時には巨人の形跡はどこにも無い。それはあの(・・)ガーディアン・ゴーレムがたったの二撃だけで討伐されたことを意味している。



「オオオォォォ──!! 」



 もちろん相方が目の前で粉砕されたもう一体が黙っていない。討伐直後、息を吐く青年に向かって覆いかぶさるようにして腕を振り上げた。



「まずい! 」



 衝撃は地面を伝って、思わず声を上げた男の方まで届いた。自重を利用した拳の振り下ろしはガーディアン・ゴーレムによる最強の一撃。それを正面からまともに食らったら無事に済むはずがない。


 それが散々苦しめられてきた男の持つ確固たる認識だった。



「……」



 今度は、声すらも出てこなかった。


 青年は何故か地面に突き刺さった巨大な腕の上を上っていた。


 挑発するように。まるで『その攻撃は遅すぎる』とでも言うように。



(まさか……。そのまま一気に!? )



 そのまさかだった。


 肩の上まで登り切った黒髪の青年はその場所に立ったまま棒を振りかぶると――。



「グゴオオオオオオオオオオオオオォォォオオオォォォ!! 」



 ゴーレムの特大の断末魔を鳴り響かせながら、『側頭部』を強く打ち据えた。


 巨大な頭部は打撃で身体から引きちぎられて宙を舞う。


 再びの衝撃が男の背中を駆け抜ける。



「……ッッッ!! 」



 瞬殺だった。青年が棒を振ったのはたったの3回。瞬く間に二体の巨人を煙へと変えた。その間に傷一つ負うこともなかった。



「ギャハハハハハ……! 」



 そんな様を見て、下品な笑い声をあげた青い悪魔は再び腕を振るった。


 地面を割って現れるのはやはりガーディアン・ゴーレム。それも今度は5体。一斉に飛び掛かってくる5つの質量の塊に対して青年(かれ)がとった行動は全く同じだった。


 跳ぶ。走る。近づく。叩きつける。割り砕く。また走る。攻撃を跳んで避ける。また棒を振る。たった一人の人間に巨人が翻弄される。たった一人の人間に触れることすらできずに巨人だけが砕けて崩れ落ちる。


『彼』が目で追うのがやっとの速さで地面を蹴り上げて巨人の身体の周囲を動き回る度に『空気を引き裂く巨大な腕』が、『巨木と見まがう脚』が、『岩山のように硬く、分厚い胴体』が、『鋼鉄の様に硬い頭部』が『一本の細い棒切れ』を前にして砕け散った。


 倒す度により早く、より少ない手数で。まるで戦いの中でゴーレムを狩る動きを最適化しているかのように。


 男は思った。黒髪で巨人を叩きのめすその姿はまさに伝え聞いた"東洋の鬼神"のようだと。そんな存在が今、心が折れて端でうずくまっている自分たちを―――――助けを求めたわけでもない騎士達を背に守るように戦っている。


 その姿はまさしく救世主そのもので。



(ああ……神は……あの方を……最後まで見捨てることは……無かったのか……)



 男の目には自然と涙があふれていた。こみあげてきた感情は傷ついた身体を熱いもので満たしていった。



「ん? 」



 しかしそんな中でも戦闘を生業とする集団の二番手を張る男は気づき、目を見張る。もはや笑みを浮かべなくなった青い悪魔のその目が、怪しい緑色(・・)に染まっていることを。逡巡する暇は無かった。先ほど見た"絶望の景色"が脳裏をよぎった男は土煙と血でひび割れた喉を枯らして叫ぶ。



「ッッ!! ……危ッ……ないッ!! 」



 最後の一体の倒し終えた青年がこちらを見る。


 眼と眼があったその直後。


 悪魔の魔力は上級層の大広間全体に迸った。


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