2人は走る
今でも思い出す。
ひと目見たモンスターと戦うこともせずに、逃走を選んだ日のことを。
あの日見た竜王の炎を。その熱さを。破壊を。殺戮を。
その時はひたすら強さを求めていたこともあって俺は竜の力に恐怖すると共に一瞬で魅せられた。
その日からだろうか。俺が真剣に【火炎魔術】と向き合うようになったのは。
認めよう。火の魔法を振るうとき、常に頭の中にあったイメージは、全てを根源に帰す力をもった龍の炎であったことを。
けれど同時に考えてもいた。
俺がこの竜王に並び立つことは今後も永久にないんじゃないかと。俺ごときがあの力に勝とうとするなんて恐れ多いと。
結局、俺はあの日からずっと心の奥底で抱いた敗北感を拭い去れないでいたんだ。畏敬の念という言葉で自分を誤魔化し続けてた。
けれど俺は決めた。もう逃げないと。
だから今も立ち向かう。
例えそれが俺の人生の中での最大の恐怖が相手だとしても……。
「『来い』!! 」
荒れ果てた帝都を駆け抜けながら、手を後ろに伸ばす。
魔力に引かれて、手のひらに飛び込んできたのは握り慣れたラバーの感触、傷一つない金属バット。
バットを掴んだ勢いに乗って、さらに加速。建物が崩れ去る音も、火がパチパチと燃える音も全て、風切り音と自身の呼吸の音に塗りつぶされていく。
走れ。
速く。早く。疾く。
もっとだ。もっと速く。
街路を踏み砕きながらも、前へ。
反発力で前へ。ひたすら前ヘ。
無心に、一心に、走った末にたどり着く。爆炎の中心。黒煙の発生源。破壊の爆心地。龍の懐まで。
「――――――――!!! 」
龍は吼えていた。怒っていた。理由はわからない。ただわかるのはたった一つ。
その怒りが収まる頃には地上にある『全て』は焼き払われてしまうだろうこと。
もちろんタダでやらせる訳がない。
「こっちを見ろ!! 【竜王】ッ!! 」
叫ぶ。声が枯れる寸前まで。
恐らくあの逃げた日の俺が呼んでも竜は応えなかっただろう。ハエのように飛び回っていた飛龍と同じように一緒くたに焼かれていたはずだ。
けれど今
「…………―――――? 」
龍の王とまで称される存在は確かに首を傾げて俺を睨みつけた。その巨大な眼の視界に入れた。頭で認識した。煩わしい一匹の小さな敵として。
その事実に恐怖で震え上がると共に、闘争心も燃え上がる。
遂に俺はここまで来た。ここまでたどり着いた。絶対に勝てないと心に刻まれた存在を振り向かせるまでになった。
なら次は……? 次はどうする?
「そんなこと……決まってるよな? 」
呟いた自問に心のなかで自答する。
「【棍棒術】!! ……【疾走】!! 」
俺は超える! 今日帝都で! 竜の王……俺の恐怖と力の象徴を!
長い長い一日の終わり。世界の終末。帝国の終焉の全てを掛けた戦いが今幕を開けた。
リューカも走っていた。
剣太郎に託された思いと言葉を胸に秘めて。溢れ出しそうになる感情は使命感で押し込めようとした。
(なんなんだろう? この気持ち……? )
けれど彼女がどれだけ自己暗示に精通してても、責任感が強くても心は『自由』だった。
リューカは戸惑っていた。困惑していた。
初めて抱く、その名前すらわからない感情に。
それでも冷静さを保った頭と思考は、与えられた作戦をシミュレーションして、検討して、穴がないかを考えている。
けれども心は想起していた。こびりついてはなれなかった。
彼の笑顔、言葉、体温。その全て。
思い出す度に心は温かくなった。戦い続けた数か月の間に一度も感じることの無かった心強さと自信が湧いてきた。自分が彼に頼られているという事実。それに応えようとするたびにどこからともなく【剣神】との戦いで使いつくしたはずの力が湧き上がっていった。
しかしリューカはその自分に起きた異変を認めない。浮ついた心にできた隙。切り捨てるか、忘れるべき気持ちだと断定し続ける。無知であるが故に。
(だめ……考えないようすればするほど余計に……)
もし、ここにシスターイレノアがいたとしたら呆れ顔でリューカの問に応えただろう。ラウドでもやんわりと教えてくれただろう。
けれど、その場に現れたのは13騎士団の平団員、男二人と女一人で構成された三人組だった。
「団長! こんなところに! 」
「見つかったぞ! 13番街区だ! 皆、すぐに集まってくれ! 」
「随分探しましたよ……!? 」
「ごめん! 遅れた! 今の状況は!? 」
「はい! 訓練どおり……もぬけの殻となった帝城に今は市民を避難誘導させている最中です! ついさきほどの報告で進捗は想定の半分を越したとのことです! 」
「都市に侵入して、散発的に現れたワイバーンや中級ドラゴンもその数を加速度的に減らしています」
「ですから……あとは『アレ』だけです……」
彼ら彼女の視線は一点に向けられる。宙でトグロを巻き、火を吹かずとも、その体表から発せられる熱だけで街を焼き尽くす赤き巨竜の方向へ。
騎士たちは三者三様の反応を示していた。
怒りと無力感に拳を握りしめる。
唇を悔しそうに噛む。
足元を見つめてうつむく。
そんな彼らに対して
「大丈夫」
リューカは明るい声を出して微笑んだ。
「皆はラウドの指示に従って自分の仕事に集中してて欲しいな」
「で、ですが……団長? 」
「それでは……」
困惑する彼らにリューカは再び口を開く。そして3人は目撃した。
「竜王は剣太郎が……『彼 』が向かってくれている」
自分たちの敬愛し、尊敬する年下の騎士団長の威厳に溢れた表情が
「私達は目の前の自分ができることをしよう。彼が周りを気にせずに戦えるようにするためにもね? 」
年相応の少女のものになる瞬間を。
リューカがどこかへ走り去った後も3人はしばらくその場を動けなかった。
「おい、まさか……」
「あのお顔は……間違いないと思う……」
「そ、そんな……嘘だろ! 」
剣太郎は知らない。知る由もない。自分が人知れず全世界数十万人にも及ぶ男女を敵に回しつつあることを。