恐怖の炎
俺達2人は互角だった。
レベル163とレベル199。その差を俺は≪称号≫≪巨人殺し≫の力で埋め、【スキル】と【魔法】の力でさらに追い縋った。
結果到達する。奴の待つ高みへと。
総合的には[力]はわずかに向こうの方が上。けれど[敏捷力]はほんの少しだけ俺が勝る。[耐久力]と[器用]はあちらの方が高そうだ。けれど[魔力]では圧倒的に俺が勝っている。武器は魔剣と金属バットと違いはあるものの間違いなく向こうがこっちの性能を超えていた。
もう一度言う。両者の力は間違いなく拮抗していた。
だから最後に勝敗を分けた物それは――――
「『回復力』だよ。俺とアンタの違いは。……アンタは傷ついただけ傷ついて一度も回復の手段が無かった。何か用意は無かったのか? 」
深い深い谷。それを塗りつぶすかのような直径数百キロメートルにもなる巨大なクレータの中心で。横たわっている一人の男。
誰もが言うだろう。『この人はもう長くない』と。けれどソイツは俺の挑発に対してしぶとく、息を切らしながらも言葉を紡いだ。
「は、はは……は……かい、ふく……? そんなこと……一度も考えたことが無い……。斬られる前に、斬れば良かったからな……」
「そうかよ……」
さすがは俺の人生で見た中で一番の脳筋野郎。期待を裏切らない解答だ。
少し感心していた俺をよそに【剣神】は焼きただれた喉を痛みをこらえて振るわせる。まるで遺言を話そうとするように。
「……城本……お前は本当にその生き方で良いのか? 」
「ああ?」
「その生き方だけはおすすめしないぞ……大衆の奴隷になるような生き方は……」
「元からそんなつもりはねえよ……。ただ考えただけだ。俺の暴走を止められる力を持つのが俺自身しかいないんだったら……せめて『自分の良心』に従った行動の評価だけは周りに託そうってな」
【剣神】は俺の発言を聞いて一度目を丸くした。その直後弾けるように笑い出す。笑みをこぼし、震えるたびに男の身体からは血が流れ出ていった。
「フハハハハハ……同じだ。まるっきり……ほぼ同じ内容をあの日、この場所でアイツは言ったぞ……! 」
「アイツって……? 」
「人から【大賢者】と呼ばれていた哀れな魔術師の女さ。あの女は……民衆の『声』に潰された。単独で民を一人残らず皆殺しにする力があったというのにだ……。耳を傾け過ぎたんだよ。……雑踏の小さな声というものに……」
「声に……潰される? 」
「奴が最後は何と呼ばれたか……お前に教えてやろう。…………『滅びの魔女』……どうだ? 救国の英雄にしては随分と皮肉が効いた名前じゃあないか? 」
「何があってそんな……」
「『何も無かった』んだよ……ただひたすらに平穏な時間が流れ続け……いつしかそのことが当たり前になった……。一体誰がその平和を守っていたか理解することも無く……停滞は人に不満と不安を呼び起こし、誰かがその責任を取らされることになった」
驚いた。この男が他人のことを話しながらこのような複雑な感情のこもった表情をすることがあるなんて思いもよらなかった。
「他人に同情することなんて人間らしい真似……アンタにできたんだな? 」
「強者は好きさ。城本。お前のような本物の、な。なあ城本……俺と組まないか? 俺はそのような不幸な強者を見たくないのだよ。分かるだろう? この世界の惨状を。弱者が支配した世界の末路を」
【剣神】は笑みを消した真剣な表情で俺を見つめた。冗談は言っていない。全て本気だ。こいつは本気で自分以外が皆殺しになって良いと思っている。
「なあ……【剣神】……『ヤクシュリ酒』って飲んだことあるか? 」
だからその質問を投げかけた。男は俺の予想通り怪訝な顔をした。
「……何だ? ……それは? 」
「知らねえか? 俺が生まれて初めて飲んだ酒でな。すげえマズいんだ。聞いた話じゃあれを作るのでさえ二ヶ月はかかるって話だぜ? 」
「…………? 」
【剣神】は明らかに混乱していた。けれど俺は構わず話し続ける。
「お前も俺もろくに知らないよな。あのマズイ酒をつくるためにどれだけの努力と労力がかかっているか。どれだけ強かろうが、どれだけ力をもっていようが俺たちはマズイ酒の一本すらも作れはしないんだよ」
「…………」
「出来ることなら上手い物を食って、飲んで、笑って生きていたい。そう思ってる俺に一つ目標が出来た。今はなかなか手に入らない、イヒト帝国で作られる『ル・チェリー』って酒をいつかこの世界でたった一人の友達、そして新たに出会った人たち……皆で飲みたいってな」
「…………」
「なあ【剣神】? お前が求めるその世界には笑顔があるのか? 喜びを誰かと分かち合うことが出来るのか? 上手い料理と酒はあるのか? もし……お前が切り捨てる弱者とやらに俺の大切な人たちが入っているというならそれだけで理由としては十分だ」
バットの先端の照準を男の顔に合わせて、心に決めた揺るぎない意思を突き付けた。
「俺がお前の存在を許さないためのな」
【剣神】は俺の宣言を聞いて
「クク……フフフフ……ハハハハハ! ……アハハハハハハハハハ!! 」
過去最大の笑い声をあげた。
「そうか……! 初めから、我々は同じ高い山を登りながらも全く別の景色を見ていたのだな! 道理で……道理で話が通じないと思った……」
笑い出した【剣神】を見て俺はバットを握る力を強めた。
もしも、もしもだ。仮に俺がコイツを野放しにしたまま元の世界に戻ったとして、どうにかして怪我を治したコイツはその後に何をするだろうか?
同じだ。暴れるだろう。今度は世界中の生き物を皆殺しにする勢いで。
だから今なんだ。今こいつの息の根を止める必要がある。誰かがやらないといけない。
俺以外にできないんだったら俺が殺す。躊躇いはいらない。たった一つの躊躇で俺は危うく目の前で一人の女の子の死をみすみす見逃すところだったんだ。
「交渉は決裂だな? 」
「ああ、そうだ」
「俺を殺すか? 」
「そのつもりだ……」
「お前に殺せるかな? 」
「殺せはするさ。あとはやるかやらないか……それだけだ」
「果たして……本当にそうかな!? 」
刹那の隙をつくように【剣神】の右手が目にも止まらぬ速さで動く。
一度瞬きをした後には【剣神】の身体は遥か遠くの上空にいた。右手には見覚えのある一本の剣が握られている。
「『時空剣』か」
「甘いんだよ! お前は何もかも! そんなお前に免じて今は見逃してやろう! けれどお前が守ろうとしたものは必ずこの世から消してやる! 俺は……」
急激な速度でトーンダウンする【剣神】。
気づいたんだろう。自分の身体が空中で止まったまま、指の一本たりとも動けなくなっていることを。
「お前が……こうやって逃げることは全部予想通りだ。最後に俺を侮ることもな」
だから言ってやる。最後の完全勝利宣言を。
「気づかなかったか? 俺の身体が辛うじて筋肉と骨が繋がった状態だったことを? 気づかなかったんだろうな。お前は禄に俺のことを見ていなかった。いかにして生き残るかそれだけを考えていた」
「な……! 」
「恐らくお前が決死の覚悟で俺につかみかかってくればもしかしたら俺は負けていたかもしれない。だけどお前は選んだ。俺から離れて、逃げるという選択を。そうなったら使える。俺の【魔法】をな」
「馬鹿な……! お前の魔力は確かに………………!? 」
「そう。0だった。すっからかんだった。とっておいたなけなしの『1000の経験値を魔力にぶち込む』前の、ついさっきまでは」
ホルダー同士の戦闘において。【鑑定】を使わずとも『分かる』項目はレベルと名前以外に実はもう一つ存在する。
残存[魔力]の有無と大まかな大小だ。特に達人や強者はこれらを克明に認識することが可能になる。
奴は思ったはずだ。確信したはずだ。魔力の無い俺からなら逃げられると。驕りたかぶったはずだ。その瞬間奴の勝機は消えた。
「これが弱者の戦い方だ。強者を倒すためにどんな手段も使う。それが卑怯なだまし討ちだとしても勝つためなら厭わない」
「クソ……! クソ……! 動け! 動け! 」
「逃げられないよ。今のお前の力じゃ。まあ俺もあんたを握りつぶせるほどの出力は出せないんだけど……」
呟きながら、ゆっくりと、着実に。浮かせた【剣神】の身体をある地点まで移動していく。異変にいち早く気づいた名無しの男は小さく声を上げた。
「城本……一体何を……? 」
「今からアンタを叩き落とすのさ。アンタ自身が刻み付けた奈落の底にね」
「は……!? 」
「身をもって体験してくれ。自分がどれだけ世界を深く傷つけたか」
意外や意外。人から『剣の神』とまで恐れられた男は最後の最期まで抗った。
「じゃあな。【剣神】」
「待て! 城本! 城本ォォォォォおオオオオオオオオオオオオ!!! 」
凄まじく長く響き、耳に強く残り続けた俺の名前を呼ぶその断末魔。一生忘れることは出来無いだろう。その時は本当にそう思っていた。
「『ステータス』……」
体感5分ほどの時間が経ったころ。保有経験値を確認すると未だに数値が増えていない。
おかしい。長すぎる。いい加減俺もアイツも楽にしてほしい。
そんなことを考えた丁度その時。狙いすましたようなタイミングだった。眼前に表示された数値は急劇な変化し始める。
「うぉ……! 」
経験値があり得ない桁の数字を刻み始め、レベルの欄には『163→192』とはっきりとそう書かれていた。
思っていたほどに手ごたえは感じなかった。
けれど間違いない。俺以外にヤツの死には関与できるはずがない。
そうか。
とうとうやったんだな。
俺は。
遂にこの手で人を……。
「ん? 」
感傷に浸ろうとしたその時。何かに気が付いた。
それは太陽が明るい様に当たり前で、この世界の空が赤い事の様に常識的だった。
住まう人全員がステータスと魔力を持つこの世界には魔力が把握しきれないほど満ち溢れていた。
帝都にいた時には気づかなかった。
モンスターがあふれかえっていた場所では気づかなかった。
砂嵐の中だと気づかなかった。
他のことに気を取られていた時には考えもしなかった。
今立っている地面の遥か下。地盤の底。底なしの谷の奥底でにマグマ溜まりのように凝縮された魔力。
それが、どこか『懐かしい気配』を纏って蠢いていることを。
「え? 」
手が震えていた。
抑えようとしても止まらないそれは根源的な恐怖だった。言ってしまえばトラウマに近い恐れ。
なんだ? これ以上俺は何を怖がるっていうんだ……?
その瞬間……
「あ」
一体のモンスターが谷底から躍り出た。
爬虫類のような頭。コウモリの翼。鱗で覆われた皮膚。大きさは10mほどのその生き物は何かに追い立てられるように空の彼方へと、眼前を飛び立っていく。
「あれって……ドラゴンか? 」
『ドラゴン』と口に出した直後、頭の片隅に残った記憶が強く刺激された。
見覚えがあった。ドラゴンが何かから逃げる姿が。
それがいつだったかを思い出そうとした――――
――――その時。
――――世界は『炎』で包まれた。