届くはずの無い声/聞こえるはずのない声
とにかく女騎士には時間が残されていなかった。【剣神】との戦いで自分は命を落とす。その想定で行動し、やり残したと思ったことをこなそうとしていた。
時間は流れるように過ぎ去っていく。刻一刻と代理戦争の開始の時間は迫っていた。そんな時、彼女は長い間追っていた奴隷商人の旅団を『とある放棄された街』で目撃したという一報を耳にした。
もちろん向かった。騎士団を引き連れて。道中、聖女は懐かしい魔力の波動が廃墟の街から放出されたことを体感する。
「なんですかね団長……? 今の魔力……」
「…………」
彼女は知っていた。彼女だけが知っていた。ラウドすらも知らない。彼の魔法を。彼の魔力を。
(まさか……! )
自己暗示で心の高ぶりと興奮を抑えるのにとても苦労した。【スキル】で彼のことを迷宮の中にすぐに飛ばしていなければ暗示を超えて思わず『久しぶり! 』と笑顔で返す寸前だったことを考えると本当にギリギリだった。
(それに……久しぶりに見た剣太郎……なんか凄く……かっこよかった……)
そんな浮ついた心中を胸の奥に隠しながらも彼女は冷静だった。久しぶりに見た少年は別れた時から確実に、一回りも二回りも強く、逞しく、精悍になっていた。どんな事情でこの世界に迷い込んでしまったかは分からないけれど、もしもこの帝国で目立つような事態になったら。絶対に、確実に、あの【剣神】が彼のことを逃すとは思えない。
それ故の『迷宮』への強制転移。しかし彼女は少年の身がこれだけで元居た世界へ戻れるとも思えなかった。
これでまだ終わりじゃない。【剣神】の目を盗んで、少年を元居た世界へ返すための計画が必要だった。
(剣太郎をこんな狂った世界の狂ったいざこざに巻き込む訳にはいかない……。剣太郎には沢山助けられたんだ。今度は私が剣太郎を守るんだ……! )
そう決意した女騎士は秘密裏に行動を開始する。
彼女は自覚していた。自分が余りにも目立ちすぎることを。民衆の目の他にも、他騎士団、さらに今は共和国の人間にすら見られていることを。彼女の頭からはすぐに少年と共に行動する選択肢は除外された。副団長のラウドを通して少年を誘導し【勇者の丘】まで誘導しようとした。
けれどその計画はエルダの妨害が入ったことで失敗に終わる。そうして聖女は一時的に少年の姿を見失ってしまうのだった。
(落ち着け……落ち着け。剣太郎は今は帝都にいる。私が絶対に見つける……! )
決意新たに帝都中を飛び回っていた女騎士は発見する。騎士と相対した少年を。彼女は少年を副団長に預けもう一度最初に考えていたラウドに送り返してもらうプランを再始動させた。
これで終わり。一瞬だけ安心したあとに、湧き上がった感情はもう二度と絶対に会えないことに対する『悲しみ』だった。
(これでいいんだ……剣太郎が無事なら。会いたいっていうのは……ただの私のワガママだもん……)
熱を持つ指を包み込み、ただひたすら祈る。どうか彼が無事に元いた場所へ帰れますようにと。
けれど彼女はちゃんとは理解していなかった。知らなかった。他騎士団が13騎士団と聖女という名前に対して持つ執着と怨嗟と嫉妬の『深さ』と『大きさ』を。
ラウドが捕まったという話が耳に飛び込んできたのはそのすぐ後だった。女騎士は走った。駆けた。もはや親代わりだった信頼する副団長の危機へ。そこでまたもや少年との再会を果たすことなど知らぬまま。
難しい状況だった。ラウドと捉えられた市民を解放して少年もこの闘技場から、エルダの目から逃がす。最初は不可能だと思えたことも、仲間の力を借りて何とか乗り越えられた。
(ありがとう。本当にありがとう皆……。でもごめんね。何も言わないままで)
『最果ての孤児院』に辛くもたどり着き、少年と二人きりになったとき。女騎士は彼に何を話せばいいのかわからなくなっていた。ずっと無視し続けて、なるべく顔を合わそうとしなかった自分がどの面下げて少年と話そうというのか。彼女は真剣にそう思っていた。
(剣太郎は……そんな私に話しかけてくれた)
嬉しかった。世界を分かち、短くはない時間が経過した今も彼が自分との間の友情を抱いてくれたこと。体をみれば一目でわかるほどに激しい戦いを超えてもなお、彼が相変わらず優しい人だったこと。
(でも私は……? )
女騎士はよく分からなかった。自分は変わったのか。良い方に成長できたのか。そのことを唯一の友人に確認することは彼女には怖くてできなかった。
二人で話しているうちに聖女は理解した。少年が変わりつつあること。変わろうとしていること。その際に心に引っかかる『何か』があること。彼は口に出しはしなかったが明らかに悩んでいた。
聖女は思った。『力になりたい』と。でも友人の相談に乗った経験のない自分が上手くやれるのか不安だった。そんなときに思い出した。今は院長をしている昔からの顔なじみのエルフの言葉を。
『アンタさ、ケンタローにいつまでそのよそよそしい口調なんだい? 』
『……え? 』
『アンタ達、友達なんだろ? もっと砕けた話し方しないと向こうも心を開いてくれないよ? 』
『いや……でも……ケンタローとは友達になってからまだ日が浅いし……』
『まあ試してみなって! 多分ケンタローはそっちの方が喜ぶ人だよ! 』
『ひゃっ! 』
叩かれた背中をさすりながらエルフの言葉を反芻する聖女。
(よ、よし……! )
その策がうまく行ったのかどうかは女騎士にはよく分からなかった。緊張と動揺でこの世界の戦いの歴史やら余計なことを色々口走った気がするものの、その内容を彼女はほとんど覚えてなかった。
ただその直後に変に入ってた力が抜けて、少年と仲良く、色々な話を出来たことだけはしっかりと覚えていた。少年の家族の話や『ガッコウ』という場所の話。そこでの友達の話。彼女も剣技や自己暗示の方法なんて話をした。それは女騎士にとってこの数ヶ月で最も幸福だった時間になった。しかし幸せはいつまでも長続きはしない。別れの時間はすぐそこまで迫っていた。
(……大丈夫! 最後まで絶対に泣かない! )
そうやって頬を張り、気合を入れ直す。少年を後腐れなく送り出すために。
しかし事態は急変する。少年は胸を抑え、頭を抱えて苦しみだした。まるで『昔のトラウマを思い出してしまったように』そのまま気絶した少年を守りながら養護院まで帰るのに女騎士は2日を要した。時間はもうあまり残されていなかった。
『逃げたかった』と少年は言った。
女騎士は驚いた。まさかこの真面目で、優しく、強い心を持っていると思っていた少年の目から『涙が流れる』ことがあるなんて思わなかったからだ。
彼は自分を卑下した。彼は自身を喪失していた。彼は心の底から苦しんでいた。過去の自分自身に。
(同じだ……。剣太郎に出会う前の私と……)
女騎士は励ましたいと思った。少年の思い込みを『そんなことない』と否定して『少年が言ってくれた言葉』が自分の力になると言って勇気づけようとした。
聖女は少年を優しく抱きしめようとした。ずっと自分に言ってほしかった『辛ければ逃げてもいい』という言葉をかけて、ささくれた心を癒やしたかった。
すぐにでも帝都に出発しなければならない『彼女』は両方を選んだ。
『なっ何を! 』
少年は激しく動揺して赤面した。彼女も顔が真赤だった。これが落ち込む友人に対して行う適切な行動なのかは友人がいたことのなかった彼女にはわからないが、ただただ『どうにかしたい』という気持ちだけは抑えきれなかった。
それに少年の顔をこれ以上見てるとこぼれ落ちてしまいそうだった。ずっと我慢していた『想い』が瞳から。
(ごめんね。これ以上はここにはいれない。じゃあね剣太郎。どうか元気で……)
女騎士が立ち上がると少年は糸の切れた人形のようにパタリとベットに倒れ込んだ。それを確認してすぐに後ろから聞き覚えのある美しい声が聞こえてきた。
『ケンタローとはもういいのかい? 』
『はい』
『アレはどうする? 』
『もう時間もないんで、イレノアが好きに処理して欲しい。食べちゃってもいいよ。今までお世話になりました』
『…………ばか! 』
『……? 』
『アンタは馬鹿な子だよ! もうちょっと要領よく生きれないのかい!? 』
聖女が振り返ると、修道服をまとった背中を小刻みに震わせるエルフがいた。女騎士は呟くように『ごめん』と一言だけ言ったあとに出発した。
もう後ろは振り返らなかった。
帝都に行く途中。彼女は騎士団長として贔屓にしている武器商人からあるものを受け取った。それは今までほんの少しずつ貯めて来た帝国からの報奨金をギリギリ合わせてやっと買えるという代物だった。
商人は一つ忠告した。
『これを使うときは絶対に1km以上離れてください』と。
彼女は心のなかでこっそりと頭を下げた。その約束は守れそうにないからだ。
「――――お主。まだ目が死んでおらんな? なにかまだ狙いがあるのか? 」
「……ッッ!! 」
彼女は焦った。最後の最後のための秘めた奥の手。それを【剣神】はあっさりと看破した。
「いいじゃろう! 」
「…………? 」
「聖女殿の用意していた手というのに興味がある。……さあ来い。どこからでも」
「!! 」
驚愕する女騎士を置いといて【剣神】は両手を大きく広げる。
(今だ……今! やるしかない! )
「『動くな』! 」
「ほお……? 」
女騎士が持つただ一つの精神感応系統スキル【真言】。【戦意向上】を使っているうちに派生して獲得したこのスキルは彼女の持つ催眠術の技術との相乗効果で凄まじい拘束力を発揮する。
「届け! 」
女騎士は走る。ただひたすらに前へ。【剣神】のもとへ。そして彼女の左手の指は目に突き刺さるほどにまばゆい『赤い光』を放った。
「爆ぜろ! 」
聖女が使用したのは空を赤く染め上げる赤熱物質の最も高純度な『クリムゾン』と呼称される部分をさらに純度を高く抽出した一粒。指輪の宝石サイズに収まったそれの威力は魔石鉱山の入り口を作るための爆薬数十万個に相当する。
つまり。
「―――――――――ッッ!!!!!! 」
結界内部の生命体は『塵一つ残らず』に焼き尽くされる――そのはずだった。
「お主のような人間は何人も過去におった……。捨て身でこちらに向かってきながら『仲間のため』だの。『お国のため』だの。『家族の仇』だの。闘争に不純物を混ぜる小うるさいコバエがの」
【剣神】は女騎士の左手を握りしめた。『爆風と熱を手の中に閉じ込めながら』。
「お主らには芸が無いのう。なぜその程度の力でワシをどうこうできると考えたんじゃ? ……まあその純度の【赤熱物質】を持ち込んできたのはおぬしがはじめてじゃがな……? 」
女騎士は過去最大級に混乱していた。自分の目の前で起きている光景が信じられなかった。あの威力の爆発を簡単に抑えられたのもそう。そして何よりも……
「なんで……なんで……動いて……? 」
聖女の問に対して【剣神】はまず握手をより強くすることで答えた。
「……ッ! 」
「この程度で音を上げる小娘の冥土の土産にはちょうどよいかの? 見たらわかる通りワシは『呪い』にかけられておる。外から受けるすべてのバフも回復魔法も撥ね退ける呪いじゃ。最初はワシもこの力に苦労した。しかしな……殺し合いをしているうちにわかったことがあった……」
―――『デバフすらもワシには効かんと』
「――――! 」
「それに気づいた瞬間、呪いは福音へと変わった。ワシは人の身でありながら『神』と称されるようになった! 」
その瞬間、手を離した【剣神】から闘気としか思えないオーラが立ち上り聖女に直撃する。風に逆らった人形のようになすすべもなく吹き飛ばされた彼女の体は【結界】に激突し、白銀の鎧が剥がれ落ち、中身が顕になる。
「ふむ…………お主、存外美しいの? 」
「…………………ぇ……え? 」
「好きなんじゃ。『若いおなごの柔肌を切り刻む』のが」
その心の臓の底から怖気が走る嗤い顔を見た瞬間。リューカはついに右手に握りしめていた剣を手放した。それを、待っていたように役目を終えた白銀の剣は柄だけを残して粉々に砕け散る。
(ごめん、無理させすぎちゃった。今までもってくれてありがとう)
虚ろな目で謝るリューカの元へ【剣神】は恐怖を煽るように異形の大剣を引きずりながら、音を立てながらジリジリと近づいてくる。
「……楽しみじゃな。お主がどれほどの経験値となってくれるのか」
「……はぁ……はぁ……」
(結局、手も足も出なかった。でも私を殺すだけで満足してくれるならそれでいい)
「……手ずから殺すと決めたものは名前を覚えておきたいんじゃ。なあお主名前をなんと言うじゃったかの? 」
「はぁ……はぁ……」
(それに、剣太郎……。何とかなった……かな? イレノアがうまくやってくれてるといいけど。ちょっと心配だな。でもよかった。消える寸前のこの命で少しでも剣太郎に恩返しできたなら)
「恐怖でまともに声も出せぬかそれも、またよし」
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
(剣太郎はダメだよ? 私みたいになっちゃ。私と違って愛してくれる家族がいるんだから。私と違って…………友達もたくさんいるんだから)
「この剣はの。何人もの王族の処刑に使われた【魔剣】と呼ばれる一振りじゃ。これに斬られた者は老戦士だろうと聖職者だろうと発狂して死ぬこと請け合いのなかなかの逸品じゃ」
「……………はぁ……………はぁ……………」
(ラウドは私が本当のことを言わなかったことを最後まで心配してたな。……だけどこれでいいんだ。これがいいんだ。剣太郎との最後の思い出は出来るだけ楽しいものにしたかったんだもん)
「どんな声でお主は『啼く』のかな? 」
(やれることはやったから、もう後悔はない……)
「――――でも」
「ん? 」
「もし『食べてくれた』んだったら……」
「…………? 」
「味の感想くらいは……聞いときたかったな……」
『世界』に残した最後の願い。リューカの指に熱が灯る。
その声は誰にも届かない――――
「すげえ美味かった。ありがとな……リューカ」
――――はずだった。