【剣神】と【聖女】 希望と絶望
数日前、薄暮亭にて。
「【剣神】って……」
「【第三次大陸戦争】で【大賢者】様と戦った……? 」
「『虐殺王』……『人間大量破壊兵器』……『史上最もモンスターを殺し、人を殺した人間』……」
ウニロとその仲間たちはとある一報を聞いていた。
「そんな……ずっと表舞台に出てこなかったじゃねえか! 皆も実は死んだんじゃないかって言ってたじゃねえか! 」
「ずっと隠れて……自分を力を蓄えていたってことなのかね……? 」
「帝都と違って『魔よけの結界』の張られていない『境界地帯』では迷宮がいくらでも自然発生する……そこで人知れず経験値を稼いでいたのかもな……」
「だけど……それにしたって……『今』じゃねえだろ! なんで今なんだ! 」
ウニロは吠えた。仲間達も同調してある者は怒りの声を上げ、ある者は項垂れ、ある者は泣き出した。
反応は様々でも全員が考えていることは同じだった。聖女と呼ばれ、慕われ、つい先日【代表騎士】となったリューカのことだ。
共和国に雇われた【剣神】はこのような事項をイヒト帝国にふっかけたようだ。
『両国が保有する人類生存地域を賭けて代表者はそれぞれ1名を選出して【代理戦争】を行いたい。』
共和国側の代表者はもちろん【剣神】であることは誰も疑いようがない。
これを受けて帝国市民たちの間にはとある『噂』が立っていた。『この宣戦布告の申し出が実際に民衆に公布されるよりもずっと前にこの事実を帝国が把握していた』という話。
そしてこの情報が民に発表されるほんの少し前、リューカは国と騎士団を『代表』するずっと空白だった【代表騎士】に任命された。
「これじゃ……こんなんじゃ……――――」
――――『聖女様が生贄みたいじゃないか……! 』
そのことを誰もが察し、誰もが気づいていた。
それでも彼ら帝国市民はわずかな『希望』を抱いていた。
彼らは知っていたからだ。
聖女が今までどれほどの絶望を切り開いてきたのか。
聖女がいかほどに人とかけ離れた実力を持っているのか。
聖女が名実ともに『イヒト帝国最強』の存在であることを。
たとえ伝説にもなっている【剣神】が相手でもあの人なら、彼女ならやってくれる。ずっとそのような逆境を跳ねのけ【聖女】と呼ばれるようになったあの人はもはや帝国の中では伝説の一つとして数えられているのだから。
そして、『その日』はやって来る。
空を模した偽りの天蓋は相変わらずの快晴で、まるで今後の明るい未来を示しているようだと自分に言い聞かせて、帝国市民たちは『闘技場』へ一路向かう。
帝都に存在する全ての店、ありとあらゆる仕事は臨時休業となった。
帝都に住まう者は【大賢者】の『時空間魔法』の力により見た目の何十倍も大きいはずの【闘技場】が限界を迎えるほどの数の人が押し掛けた。
帝都に行けなかった他都市の住人は水晶の魔道具で流される【代理戦争】の模様を食い入るように見つめていた。
イヒト帝国中がかたずを飲んで見守った。イヒト帝国中が聖女を静かに応援していた。イヒト帝国中が聖女の勝ちを願っていた。
そんな異様な雰囲気に包まれた【闘技場】。東の入口から出てきた聖女に大歓声を上げる一方で、西の入口から現れた【剣神】の姿を始めてその目で目撃した帝国市民たちは————
((((え?))))
――――全員が全員、心の中でそう呟いた。
聞いていた通りの年齢不詳の男だ。
すらりと伸びた浅黒く日焼けした手足に見合ったかなり高い身長。しかし筋骨隆々というわけではない。どちらかと言えば細い体。
土で汚れたボロボロの衣服。どこかの国の民族衣装なのか。色は地味だが前が大きくはだけている。
ボサボサの灰色の髪が邪魔をして、顔は遠目からは確認できない。
そして肝心の武器は…………
「「「素手……!? 」」」
観衆の誰もが抱いたその衝撃は客席全てを包み込む大きな騒めきとなり、その時誰もが口には出さずとも考えたという。
――――もしかしたら
『聖女様ならこの男に勝てるのではないか』と————
ほんの僅かに抱いていた希望の火がどんどんと強くなっていく。騒めきはそのまま熱狂へと変わっていく。応援に力が入る。
絶望と静寂に支配されていたはずの闘技場は興奮の渦に包まれた。
「『結界』の構成は安定しています! 」
「『次元幽閉』も問題なく機能しています! 」
「代表者の二人が別次元に【転移】したことを確認しました! 」
「いつでも行けます! 」
闘技場に詰めている魔導技術者のその声を受け、この【代理戦争】を取り仕切る役目を担う中立国から来た男がその場の興奮を最高潮にする『宣言』を口にした。
「大変長らくお待たせしました! これよりイヒト帝国 対 ラフタ共和国の【代理戦争】開始の宣言をさせて頂きます! 代表者の両名は開始の位置まで移動してください! 」
過去の伝説と現在の英雄。
二つの人影が一定の距離を取り、戦闘態勢を取った。
白銀の鎧を纏った女騎士は腰の剣を抜き放ち、対するボロボロの衣服の男は何の力も、気負いも無いようにただ直立していた。
「試合開始ィ!!! 」
男の宣言と同時に動いたのは
「『紫電一閃』」
【聖女】リューカの方だった。
その強烈な一撃は巨大な円柱状の【結界】内部の砂を空高く巻き上げ、一瞬だけ内部の様子が客席から見えなくなる。
それでも尚、歓声を上げる帝国市民。彼らのステータスでも粉塵が巻き上がる直前の光景は目視できていた。聖女の一撃が抵抗する様子を一切見せない【剣神】を捉えた瞬間を。
「やったか……!! 」
ウニロが叫ぶ。
ウニロだけじゃない。帝国に住まうほぼ全員がその一言を口にした。
煙が徐々に晴れていく。
段々とその一瞬の攻防の結果が露わになっていく。
聖女の一撃は
「「「……ッッッ!!!! 」」」
【剣神】の指一本に押しとどめられていた。
「そんな……! 」
リューカは今の攻撃が通じないことが分かるや否や一気に距離を取り、再び剣を構え直した。冷静な表情は崩さないまま。
その様子を一歩も動くことなく、鷹揚に見つめる【剣神】。攻撃する意思を一切見せないままその場に立ち尽くしていた。
聖女の怒涛の波状攻撃が始まった。
客席と同じく見た目の数十倍の広さを誇る闘技場の中を最大限に、使い絶えず動き回るリューカ。その速さは観衆の誰一人として追うことが出来ない速度に到達しても尚、加速し続ける。そして【剣神】の視界に入るや否や
「『白氷刃』!! 」
「『エッジ・スラスト』!! 」
「『斬鬼一刀』!! 」
もちうる『技』を惜しげもなく繰り出し始める。魔力やその威力は【結界】に阻まれてそれを肌で感じることは観衆にはできない。
ただ分かっていた。知っていた。【聖女】の『献身』によって今の今まで生きてこられた帝国市民たちは眼前で繰り出されている一撃の数々が何千、何万もの魔を打ち払って来た無双の一撃であることを。知っていたはずだった……。
だが、【剣神】は悠々とその力を超えて来た。
ステータスが低く、目まぐるしく動く戦闘を目で追うのもやっとの民衆達にはっきりと分かる形で。
「おい……アイツ……始まってから一歩も動いてねえぞ!! 」
「そんな……馬鹿な……」
「それで……無傷なのか……」
着々と
確実に
観衆たちの心に『絶望』が広がっていった。
そんな中でウニロは未だに希望の火を絶やしていなかった。ウニロは知っていた。【聖女】にはとある『奥の手』があることを。
「あ……アレは!! 」
ウニロの記憶の中の聖女の姿と今のリューカの姿が重なった。
一切の魔力を纏わず、
ただ見ているこちらが呼吸が出来なくなるほどに、張り詰めた集中の後に放つ『技術』のみで構成された究極の一撃。
ウニロはこの何の【スキル】も【魔法】も関与しないこの一撃で帝都を焼き払いかけた【飛竜】の大群を一瞬で塵にしたのをその目で見ていた。
「はああ―――――っ!!!! 」
裂帛の気合の声と共に振りぬかれた白刃の剣。それは重力を感じさせること無い恐ろしい速度で真っすぐに【剣神】の元へと到達する。
「これなら――――!! 」
ウニロが叫んだ。
帝都が絶叫した。
帝国が歓喜した。
「――――――え? 」
ウニロは信じられなかった。今の声が自分の口から漏れ出たものであることが。
現実は余りにも、想像を絶するほどに『残酷』だった。
肩で息をする【聖女】の正面には
肩で刃を直接受ける【剣神】が
微動だにせず、
傷一つ受けることなく、
眉一つ動かさずに
立っていた。
――その時、その瞬間、イヒト帝国は思い知った。
『抱いてしまった希望を後から摘み取られる絶望の深さ』を――