エルダの末路
気づいた時には遅すぎた。
「なんだ……? 」
何十層も用意していた対魔法攻勢防壁は無理やり引きちぎられた。
「なんだこれは……? 」
帝都の守護陣営は闘技場周辺の部隊を除いて壊滅していた。
「なんなんだお前はあああ!? 」
エルダは絶叫した。腰から代々受け継がれた家宝の剣を惜しげもなく抜き放ち、振り返りざまに斬撃を背後の少年にお見舞いした。
魔力が込められた宝剣は刃から火を噴き出しながら延伸し、少年の首を焼き切ろうと迫る。
むざむざと後ろを取られた恥辱と怒りがこめられたエルダの一撃。対して少年は冷静だった。
「【火炎魔術】……『火炎吸収』」
降りかかる炎の斬撃に少年がまっすぐに掌をかざすと見る見るうちに宝剣の火力は弱まっていき、最後はわずかな火の粉の残滓だけが宙をまった。
「この『技』を使う機会があるとは思わなかった」
「貴様……あの時の……? 」
自らの一撃を傷一つなくかき消されたエルダは僅かばかりの冷静さを取り戻す。
エルダは覚えていた。あのにっくき聖女の生命線である副団長のラウドを陥れ、今までの屈辱を全て清算するあと一歩手前まで行きかけた【闘技場】での一幕を。
あの日、あの時、あの場所でエルダは確かに見ていた。一人の少年が計画の途中で乱入し全ての段取りと予定を破壊していく様を。
エルダは知っていた。最後はまんまと聖女とどこかへ逃げおおせた少年の顔を。
当時の怒りと現在の怒りが重なり合い、エルダは口髭を撃ち震わせた。
「よくも……! よくもノコノコと! 私の前に顔をだせたな! 小僧! 」
「……それで……? 戦争は始まってるのか? 」
「ギリアン! 」
まともに相手をしようとしない少年を見てエルダは部下の名前を大声で呼ぶ。
ギリアンはいつの間にか気絶していたルムトをどかして、慌てて上司の声に応じた。
「行ってこい! あのガキの首を私の前に差し出せ! 」
「いや……しかし……」
ギリアンは明らかに怯えていた。彼も蝶よ花よと両親、従者、家来の全てから可愛がられ、甘やかされて育てられてきた貴族の嫡子の一人。
まだ騎士団に入って日も浅く、このような緊急事態を経験したことが無いギリアンはエルダの異常な剣幕にただただ困惑した。
そんな部下の髪の毛をむんずとわし掴み引き寄せた後、エルダは耳元で囁いた。
「上官の命令に逆らうつもりか? ……忘れたわけではあるまいな? 私がレドヴァンをどうしたのか? 」
ギリアンは一瞬で顔を青くした。彼の脳裏にはまざまざと浮かび上がった。レドヴァンの血まみれの身体が。
「さあ……行け! 」
「う……うわああああああああああ!! 」
ギリアンは剣を抜き放ち飛び掛かった。
貴族としての高いステータスとそれなりに鍛え上げられたスキルレベル、そこに火事場の馬鹿力と補正値の高い高価な装備品が重なりその一連の一撃はエルダが思わず目を見張るほどの速度に到達した。
当のギリアンも口の端を持ち上げる。自分が会心の一撃を行えたことに加えて、斬りかかった少年がこちらを見ずに、何かを探すように宙を必死で見つめていたからだ。
(もらった! )
ギリアンとエルダの心の声が重なったその瞬間。少年はつぶやいた。
「……やっと見つけた。リューカに……ウニロさん達も……」
一番近くでその一言を聞いたギリアンが言葉の意味を知る前に
『全ては終わっていた』。
「……んなっ! 」
叩きつけられた。
ギリアンが路面に。結果だけ言えばその一言だけだった。けれどその過程は何一つ分からない。
『いつ』少年がギリアンの背後に回りこんだのか。
『いつ』少年がギリアンの首根っこをつかんだのか。
『いつ』ギリアンは広大な範囲の路面を破壊しつくす勢いで衝突したのか。
ほのかに上下するギリアンの身体を見なければエルダはギリアンの死を確信していただろう。
「【鑑定】も【索敵】も使えないのはやっぱり面倒だな。位置を特定するのにこんなに時間がかかっちまった」
「おい! 」
「出来るだけ被害を抑えながら【結界】を壊すためには……アレか? 」
「聞いているのか!? 」
ブツブツと独り言を言っていた少年はやっとその声に気付いたというように顔をあげた。少年の瞳には自分をぐるりと囲んだ完全武装の騎士の大群と、その少し外れた場所で忙しなく髭を触るエルダの姿が映り込んでいた。
「もう好き勝手は出来んぞ! ガキが! 逃げられるとも思うな! 」
「ああ、ここでやらないといけないことはもう済んだ」
「余裕綽々というわけか!? あまり大人を舐めるなよ! 」
エルダの号令と共に騎士たちが徐々に円を狭めていく。中心に立つ少年に向かって何本もの剣の切っ先が伸びていった。
そんな様子を見て少年は
「余裕……? そんなの……あるわけがないだろ」
ふっと力が抜けたように静かに嗤った。
その自嘲の成分が多大に含まれた笑顔に騎士たちは凍り付いた。
ゆっくりと
徐々に
少しずつ
少年の身体から
魔力が湧き出ていた。
「歩みを止めるな! 最高の一撃を食らわせてやれ! 」
エルダは自らの恐怖を塗りつぶすように叫ぶと、騎士たちも思い思いの【魔法】と【スキル】を使用し、闘技場前広場は魔力の坩堝と化す。
(それぞれがレベル90代のモンスターを消し飛ばす力を持った一撃だ……さすがにこれを全て食らえば人間ならチリの一つも残らない……。名前も無いガキが……手こずらせやがって……! お前は俺達を怒らせ過ぎた! )
そんなことを考えていたエルダは足元を見て俯く少年を凝視した。未だに心に残る不安を押し殺そうとするように。
少年は足元を見つめたままポツリと小さく囁いた。
「俺はもう逃げない……約束は必ず守る。例え誰かを――――としても」
騎士達の『技』の大合唱に交じった小さな声が何故かその場にいた全員に届く。
魔力の輪の中心で全てを塗りつぶす『力』が解き放たれた。
ただの魔力の解放だ。
そこに何の技術も【スキル】も【魔法】の介在も無い。
それなのに。
そのはずなのに。
1人の魔力の放出は
騎士達のありとあらゆる奥義を――――
「……ッッ!! 」
――――かき消した。
そしてたった一人から流れでる魔力はさらなる高みを見せる。
余りの強度に圧力を持ち始めた魔力は空気を支配し、騎士たちを一人一人窒息で気絶させていった。
そんな中で少年はある一方向を見つめていた。
一人の髭面の貴族のいる方を。
「なあ……アンタ……エルダって言ったか? 」
「…………はぁ……はぁ……」
「何が言いたいのか、分かってるだろ? 出してくれよ。【結界】の鍵を」
部下にも言っていない事実を看破され、エルダの呼吸はさらに荒ぶる。もし機会があれば聖女のトドメを自分が刺してやろうと無理を言って用意させた胸元に隠されたその『代物』を握りしめながらエルダは少年を見つめ続けた。蛇に睨まれて目が逸らせなくなった獲物のように。
だがしかし、一人また一人と倒れていく騎士の中でエルダは只一人、足を震わせながらも武器を持ち続けている。
ただ彼を未だに立ち上がらせているのは騎士としての義務感などといった高潔な精神ではなくただひたすらにどす黒い『貴族の執念』だった。
「……すか……」
「ん? 」
「誰が……! 渡すか……! お前なんかに……! これ以上……! 貴族の……騎士の誇りを……! 」
「………………」
「汚されてたまるかあああああああああ!!! 」
突撃を敢行するエルダの意識はこの瞬間、数か月前にあった。
舞台は【侵災】の最中の帝都西方。灰塵と化した隣国の街の中を転げるように、貴族の義務も果たさずに、逃げ回っていたエルダははっきりとその目で見た。
遥か遥か遠くで宙に舞い上がる一体の巨大な【龍】の威容を。
赤い空を炎でさらに赤く染め上げる巨大すぎて感じ取るだけで圧し潰されそうになる莫大な魔力の『炎』を。
そして今、エルダの目にはあの日見た龍の威容と少年の姿が重なり始めた。少年が垂れ流す魔力がどんどん大きくなるにつれて、その錯覚の像は濃くなる。
それでも足は止まらない。止められない。エルダの目にはもはや何もうつらなくなり始めていた。
「今の俺は手加減ができない……」
少年がつぶやく間にもエルダは声をからして火力を上げる。
「認めるよ。これが『私怨』だって」
エルダの剣の切っ先が少年の武器の間合いに入った瞬間。
眼を眇め、
右手に持った武器を引き絞り
低い低い声で
少年は言った。
「そしてこれが……俺の殺意だ」
金属の放つ光が刹那の間に数百回瞬いた。
肉を引き裂き、
骨を砕き、
血が噴き出す音が何重にも木霊した。
「逃げないって決めていても……まだ割り切れないか……」
全てを終わらせた少年の足元には……
人の原形を辛うじて押しとどめた『何か』が浅く息をしながら転がっていた。