嘘
「リューカ! 」
弾き出されるように飛び起きた。同時にあの女騎士の名前を呼んだ。けれどそこにはあの途轍も無く綺麗な銀髪赤目の女の子の気配は一切残っていなかった。
「リューカ……一体どこに……」
その問いに答える人はいない。そう思っていた。
「おっはよう! ケンタロー。よく眠れた? 」
「うわぁ! 驚かせないで下さいよ。イレノアさん……」
考え事をしている間に気配を消して近づき耳元で囁いてきたのは長命種のシスター。これでもこの養護院の院長だ。
「アハハ……相変わらずいい反応するねぇ。おかえり少年」
「ええっと……ただいま? 」
「うむそれでよし。あの子から聞いてるよ。しばらくここで預かってくれって」
思い出した。たしかそんな話だったな。
「それとね、これはリューカからのプレゼント」
「え……これって……」
シスターイレノアの両手には一枚の皿が乗っていた。その皿の上に乗っていたモノを一目見て息をのんだ。
それは食べ物だった。
それは2枚のパンに挟まれていた。
それは肉汁のたれた肉の塊と葉野菜が中央に挟まっていた
それは紛うこと無き『ハンバーガー』だった。
「『はんばーなんちゃら』って名前の料理なんだってさ。どこかで誰かにご馳走になってすごく気に入ったみたいでねー。ここでよく子供たち相手に振る舞ってんだよ。でも今日のリューカは見たことがないほどに真剣でねー。作っているのを傍から見てるこっちがちょっと引いちゃうほどだったよー」
「リューカは……いつからこれを作るようになったんですか? 」
「ここが出来た時からずっとだから丁度2.3ヶ月前だね」
やっぱりそうだ。リューカはさっき嘘をついていた。でも何でだ? ネタバラシをした今、なんでそんな嘘をつく意味があるんだ……?
「まま、些細なことは置いといてさちゃっちゃと食べなよ。お腹減ってるでしょ」
「あ、はい。じゃあ頂きます」
一口噛んで、口いっぱいに広がるソースに絡まった肉とバンズの味に思わず涙が出そうになった。その懐かしい和風で照り焼き風の風味に懐かしさが爆発した
言っておくとこのイヒト帝国の料理は決してマズくない。少し薄味だけど食にそれほどうるさくない俺からしたらむしろ美味しい部類に入ると思う。もちろんウニロさんが俺に飲ませたあの酒は例外として。
けれどやはり日本人の高校生としては慣れ親しんだ味をどうしても求めてしまう。その欲求だけは止まらなかった。
そんな時に現れたのがこのハンバーガー。イヒと帝国で俺の故郷の味をこれほどまでに再現するのにはリューカはどれほどの労力をかけたのか想像すらできない。
だけど、その苦労の裏にある気遣いと厚意の大きさは身に染みてよく分かった。 ありがとうリューカ。最高のプレゼントだ。
「どうだい味は?」
「美味しいです……今までに食べたどのハンバーガーよりも」
「そうかい……それを聞いたら……リューカもさぞ……喜ぶだろうよ」
「いや……これは是非俺の自分の口からお礼を言いたいです! いつここに帰ってくるんですか? リューカは? 」
最後の質問を口にしたその瞬間。俺はイレノアさんが見せる初めての表情をほんの刹那の間だけ目撃した。
それは『苦悩』や
『憤怒』や
『悲哀』や
『諦観』を後ろに隠して作られた、そんな無表情だった。
「リューカは……しばらく戻ってこないよ」
「え? 」
「1ヶ月……いや……それ以上かもしれない。今回はかなり長引くらしいね」
「そんな……そんなこと一度も……! 」
最後に見たリューカの様子を想起した。彼女は別れる直前まで俺を励ましてくれた。その時に言ったはずだ。向こうの世界で――――。
「そうだ! それにリューカは言ったんですよ! 俺に帰った方がいいって! 俺はリューカがいないと帰れないです! 」
「そのことなら問題ない。私が代わりにあんたを元いた世界へ送り出す。召喚魔法の腕なら安心しな。そんじょそこらの使い手よりもよっぽど上手い自信があるよ。なんてったって私の姉は第15代【勇者】を異世界から召喚した元【賢者】だから」
イレノアさんが何か衝撃的な事実を言った気がする。だけど、どうでもいい。今はリューカだ。なんだこの感情は。なんだこの胸のざわつきは。何か……絶対に何かがおかしい。
確信は無い。だけどそうである気がして仕方が無かった。俺が何か致命的な見落としをしているんじゃないかって。
同時に一つの確信があった。リューカもイレノアさんも何かを隠している。
「教えてくださいリューカはどこに行ったんですか? 」
「……帝都だよ」
「何をしにですか? 」
「……怪我の治療だね」
「他には何の用もないんですか? 」
「知らないね」
「帝都で何かあるんですか? 」
「それを聞いてどうするんだい? 」
「わかりません。でも知りたいんです。……友達として」
俺が『友達』という単語を使った瞬間、イレノアさんはほんの一瞬だけ泣くのを堪えるような顔をした……気がした。けどすぐに思いなおしたのかいつもの澄ました顔で、飄々とした口調で語り出した。リューカの事情を。ため息をつきながら。
「言ってしまったらリューカの実家のラインハルト家の事情だね。元々あのお家は帝国の中でも超名門。皇帝の傍にいることを許された近衛騎士団長を家長が代々努めるようなお家柄なのさ。ただでさえ動きにくいラインハルト家のご息女があの【代表騎士】になったからにはそりゃあもう大変だよ。色々と面倒くさい政務が盛りだくさん。特に外向きの仕事がね。リューカはしばらく周辺諸国にグルグル回って顔合わせをしなくちゃいけないのさ」
「そういう……理由だったんですか……」
「そうさ……納得したかい? 悪いね。黙ってて。リューカからケンタローに『聞かれなければ言うな』って言い含められていたもんで。余計な心配をかけない様にと思った気遣いで逆に心配にさせちゃったみたいだねえ」
「いえ、早とちりした俺が悪いんです。……興奮してすいませんでした」
「まあ少年はゆっくり考えな。自分の今後の身の振り方をね」
そのイレノアの一言は俺に思い出させた。日本で解決しなければならない問題の数々を。
そうだ。この間にも向こうの時間はこっちと同じペースで経過していってるんだ。俺が元の世界に戻るのは出来るだけ早い方が良いに決まっている。
リューカは俺に言ってくれた。逃げてもいいって。だけど逃げるだけじゃ何も手に入らない。
「どうしたんだい? ケンタロー。こっちをそんなに見つめて」
「いや……何でも……」
言え! 今、言えよ! 元の世界に戻るって。シスターイレノアに。
まだ怖気づいているのか? まだ逃げようとしているのか? 城本家から。
それともこの世界に未練でも? 何を言っているんだ俺は。心配しなくてもこっちにはリューカがいるじゃないか。大衆からも、仲間からも、恐らくは皇帝からも信頼されているリューカが。
理性は帰らないといけないと言っていた。なのに心はそれを押し止めた。考えれば考えるほどに頭の中でフラッシュバックした。リューカが見せた全ての表情を。
頭が沸騰しかけるほどに思考が煮詰まり出したその時。
「あ! やっぱり! ケンタローだ! 」
「帰って来てたんだ! 」
見覚えのある3人組が姿を現した。
「お……おう。お前ら元気だったか? 」
「うん。なんか『ぎょーしゃ』の人が【スキル】で壁を綺麗にしちゃったけど……問題ないよ! 」
「オイオイ。子供目線だと改修工事は残念だったのかよ」
「あのオンボロの雰囲気が味が合って……気に入ってた」
「そんなこと言うなって。リューカ姉が悲しむぞ? 」
俺が3人に『リューカ』の名前を出した瞬間、それまで黙って俺たちの様子を静観していたイレノアさんは血相を変えて声を張り上げた。
「ねえ……そういえばさ」
「マーシィ! 」
シスターイレノアの恐ろしい剣幕での必死の制止は
「さっきケンタローがリューカ姉のことで話してたことなんだけどさ」
「ダメ!! 」
養護院での日が浅い3人には通じなかった。
「なんでシスターは――――
――――ケンタローに嘘ついたの? 」