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あの日の記憶

 とある夏の日。下山トンネルで、一人の女の子と出会った。


 彼女は遠い遠いところから鬼怒笠村に避難してきたようで、いつも数人の大人に囲まれていたのを覚えている。


 俺達はお互いに話す言葉も分からないのにすぐに仲良くなった。


 父さんから譲り受けた『秘密の広場』で遊んだことから始まり、野山を駆け巡り、川遊びをして、婆ちゃんの『戦いごっこ』も『まりょく(・・・・)くらべ』も一緒にやったけ? そういえばその子はやたら強かったな。


 でもその子はある日、会った時と同じように、突然いなくなってしまった。名前を聞く前に。トンネルに一つの文字を残して。


 丁度その時、父さんと婆ちゃんは喧嘩をしていた。



『剣太郎は普通の子として育てる。【勇者】の遺志だとか、血筋何て知らん! 』


『あの子はこの世界を救える才能があるんだ。このままじゃ宝の持ち腐れになる。約束する。私が責任をもって育て上げる』


『剣太郎はまだ小学校に上がったばかりなんだぞ! 危険すぎる! 』


『後からじゃ間に合わないかもしれない。今から準備をしないと』


『母さんはいつもそれだ! 世界とか日本とか国とか! 広いことばかりに目を向け続けて! 俺達近くの家族のことなんてどうでもいいんだ! 』


『そんなことは……! 』


『アイツは俺の息子だ! 母さんのじゃない! これ以上は母さんには……』



 こんな風な会話が村のあちこちで繰り広げられていたのを覚えている。意味は分からなかった。ただ自分のことについて喧嘩していることだけは分かっていた。だからどうにか止めたかった。後ろめたい気持ちになった。謝れば喧嘩を辞めてくれるなら謝りたいとも思った。


 どうしたら喧嘩を辞めてくれるか考えて、考え抜いた俺は一つの結論を出した。


 ――そうだ。あの子がどこかへ消えちゃったからだ。俺のせいでいなくなったから二人は喧嘩をするようになってしまったんだ。なら俺がもう一度探し出す。


 あの子にもう一度会いたい気持ちと大好きな二人の喧嘩を何とかしたいという思いがない交ぜになった俺はそんな子供の飛躍しきった考えを本気で信じ込んだ。


 そんな思いを心に秘めて一人家を飛び出して『女の子』を探しに行く俺のことを喧嘩する二人も、二人をなだめる役に回った爺ちゃんも気づかなかった。




 当時、小学校低学年だった俺はすぐに迷子になった。村への帰り方を忘れ野山をひたすら彷徨い続けた。


 鳴るお腹を手で抑えながらとぼとぼ歩いた。


 女の子の手がかりは結局何一つ見つけられなかった。


 家にも帰ることが出来ず心細かった。


 女の子を絶対に見つけて帰ってくると意気込んでいた朝の気持ちは夕方には完全に萎んでいた。


 それでも歩いて、歩いて、歩き続けて俺はたどり着いた。下山トンネルに。


 見慣れた光景が目に入った瞬間、涙が出そうになった。声をあげて走りかけた。


 ――その時だった。



『グガァアァアアアー!! 』



 怪物(・・)が現れたのは。


 ソイツと目があった瞬間。終わった、と思った。


 5mを超える熊の真っ黒な巨躯は幼い俺に直接的な死を連想させた。


 口から飛び出した4本の牙は幼い恐怖心をかき立たせた。


 額に大きく開いた第3の紫の眼は俺を一歩たりとも動けなくさせた。



『……あ……あっ……あぁ……』


『グルゥ! ……ガルル……! 』



 腰が抜けて尻餅をついた時には怪物は俺の目と鼻の先に迫っていた。



『たっ……たすっ……』


『グガアアアアァァァァァァ!! 』


『助けてぇえええ!! 』



 目をつぶって叫んだその時。


『何か』に抱きしめられた俺に

 温い(・・)

 少しぬめり(・・・)気のある

 何かの液体(・・)が降りかかった。


 閉じた目をゆっくりと開けた。そこには



『お父……さん? 』



 熊を背にして俺を抱きかかえた父親がいた。顔には汗をにじませて必死に俺を探していたようだった。



『良かった。無事か? 剣太郎? 』


 そう言う父さんの口の端からは血が流れ落ち、青いシャツは真っ赤な血で滲み始めていた。コクコクと無言で頷く俺に微笑んだ後、父さんはボロボロの身体で俺を抱いたまま走り始めた。けれど熊の化け物がその隙を見逃すはずがない。



『ぐわぁ……! 』



 父さんは絶叫と共にもんどりうって正面に転び、抱えられた俺は地面に投げ出された。何度も地面を転がりやっとのとこで止まった時には俺と父さんの身体はかなりの距離が開いていた。バケモノは父さんのすぐ後ろにいたのに。


 急いで駆け寄ろうとする俺を父さんは『来るな! 』と一喝した。



『剣太郎! 婆ちゃ達達を呼んできてくれ! 俺のことは良いから! 』


『で、でも……! 』


『剣太郎にしか頼めな――――』



 父さんが何かを言い終わる前に化け物は目の前で横たわる獲物に食らいついた。一心不乱に。メキメキと骨を砕く音がここまで届き、血しぶきが視界を横切った。



『お父さん! お父さん! 』



 我慢しきれずに近づく俺に父さんは最後に笑いかけた。



『剣太郎お前は自由に生きて良いんだ。何にだってなっていいんだ。ただ一つだけ頼みがある……』



 まるで学校の帰り道で話すような穏やかさで父さんは語った。痛みで顔を歪めることなく最期の瞬間まで父さんは笑っていた。



『梨沙を頼む』



 何かが。致命的な何かが切れた音が父さんの身体と俺の心からした。周囲を全く気にせずに獲物にがっつく化け物。それを呆然と何もできずに見つめ続ける俺。婆ちゃんたちは思ったよりも早くやって来た。一撃で熊を仕留めた後、婆ちゃんは何度も俺に何度も謝りながら強く強く抱きしめた。謝らなければいけないのは俺の方なのに。俺に触れて真っ赤に染まった婆ちゃんの服を見たその時やっと気づいたんだ。自分が一切の怪我を負ってないことを。俺が父さんに完璧に守られたことを。父さんは俺を庇ってくれたこと。俺の全身にかかっているのが父さんの血だっていうことを。俺はその時からの記憶をうっすらとしか覚えていない。暴れたのか。吐いたのか。ただ何をしても何をやっても記憶にはこびりついていた。父さんの最期に俺に見せた顔。父さんの血の温度。父さんがどんどんと声が小さく、か細くなっていく様子。生気の無い虚ろな父さんの目に映る俺の顔。婆ちゃんは言った。『このままだと剣太郎は壊れてしまう』。爺ちゃんは言った『いいのか? アレを使ったらここ数日あったことを全て忘れる代わりに、剣太郎はお前のことも和也と過ごした記憶も忘れてしまう(・・・・・・)んだぞ』。婆ちゃんは言った。『それでもかまわないし、その方が良い。剣太郎には普通の暮らしをさせるのがあの子が私たちに言った最後のお願いなんだから』。婆ちゃんは何かを呟いた後、俺の額に手をかざした。その瞬間冴え切っていた俺の目がだんだんと閉じていき、瞼は重くなりそして…… 




「剣太郎!! 」



 リューカの十何度目の呼びかけは例に漏れず届かなかった。ブツブツと何かを呟き続ける剣太郎に。世界を超える儀式の途中で様子がおかしくなった彼は虚ろに虚空を見つめたまま一向に正気を取り戻す様子は無い。何の『状態異常』もかかっていないはずなのに。



「く……! このままでは! 」



 苦しそうな声を上げてリューカは剣を薙いだ。飛翔する斬撃は先ほどまでには一匹たりともいなかったモンスターを何十体も巻き込みながら虚空へ消えた。


 2つの世界をつなげる儀式の際に大量に流れでる魔力に惹かれてきたモンスター達。剣神が大地に刻み付けた跡に恐れて普段は一切のモンスターがいないはずのこの勇者の丘は今やモンスターの海の中に沈みかけていた。ただ、ここまではリューカも織り込み済みだった。一つ誤算はあったことを除いて。それは――――



「……ごめん……ごめんなさい……ごめん……なさい……」



 剣太朗が元居た世界に帰れず、このような状態になってしまったこと。こんな風にうわ言を呟いたままの状態の剣太郎をリューカは見たことが無かった。


 1人ではどうにでもなる事態も、たった一人の守るべき者がいると対処するための難易度は跳ね上がる。リューカは感じていた。このままではじり貧であると。


 そんな緩やかに停滞していた事態は思わぬ形で急変する。



「がぁ! ……はぁ……はぁ……はぁ! ……はぁ! 」


「剣太郎!? 」



 何の前触れもなく過呼吸の発作を起こした剣太郎。戦闘を中断して走り寄るリューカ。糸が切れたように意識を失った剣太郎を地面とぶつかる、すんでのところで抱きかかえた。



「気絶した? それとも眠っただけ? どちらにせよ、ここで治療は……」

 


 目の前にはモンスターの群れ。腕の中には高熱を発して呻く剣太郎。


 判断するための時間がほとんど残されていない中でリューカは決意した。この時空がねじ曲がった【境界地帯】を『瞬間移動』で超えることを。





 例え自分の身が砕け散ったとしても。


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