血の温度
『魔力が封印されていた』のはモンスターの遅効性の【スキル】や『技』に気付かないうちに食らったから。
『魔王の鍵』はたまたま贈られてきた段ボールに紛れ込んだから。
夢で見る『小さい頃の謎の記憶』はよく似た別の場所と錯覚したから。
こんな風に無理やりでも納得できる理由を想像で、でっちあげた。理性も思考も間違いないと言っているのに、心は否定した。
――鬼怒笠村と爺ちゃんに何かしらの『裏』があることを。――
見えないふりをした。
心の奥底に疑問の声を押し込んだ。
電話をすればいつでも聞けるはずなのにしなかった。
それをすることで決定的に俺と爺ちゃんの関係性が変わってしまうと思ったから。俺のことを応援してると言ってくれた爺ちゃんを疑いたくなかったから。
けれど今この瞬間。俺は突きつけられた。もう絶対に言い逃れができない証拠を目の前に。
凄まじい量の能力向上が成された『金属バット』を。
ずっとずっと爺ちゃんの家にあったはずのそれが何故【スキル】や【魔法】やまだ俺も知らない手練手管で強化されているのか。
一番粗雑に使っていたはずの最初のバットに傷一つ付かなかったのはこういうわけだった。
思えば分からなかった。
なぜ俺はあの時
あのトンネルの中で
ろくに鍛えもせず
ホルダーでもなかった俺が
いくらあの部位が弱点だったとしても
たったの一撃で
ステータスを遥かに上回られた【ブラッド・ハウンド】を倒せたのか。
「……………」
ちょっと考える時間をくれ。その一言がリューカに言えなかった。声が出なかった。さっきから動悸が激しい。心臓が耳元にあるみたいだ。全身から冷や汗が止まらない。そして頭は割れそうなほどに痛かった。
そんな中でも淡々と粛々と世界の垣根を飛び越える作業は進んでいった。
「もうすぐだから、ちょっと待ってね。あと少しで戻れるよ」
すぐそばにいるはずのリューカの声が恐ろしく遠くの方から聞こえるような気がした。五感がぼやけている。
何でだ? 爺ちゃんに何かがあるってことは前から知ってはいたじゃないか。なのに何でこんなにも寒気がするんだ……。何だ? 何かがおかしい。
何かを忘れている。――そんな気がしてならなかった。
「剣太郎。戻ったらご家族のところへすぐに行ってあげて。今頃、凄く心配していると思うから。梨沙さんと。和也さんと。あと…………」
最後の挨拶をしようしたのだろうか。リューカは途中で言葉を詰まらせた。そういえば言ってなかったっけ。母さんの名前を。
「俺の……母さんの……名前は……」
その時、全てが止まったと思った。
時間も。
風も。
呼吸も。
心臓の拍動さえ。
思い出せない? 違う。
今まではどうしてた?
聞かれたらはぐらかしてきた?
俺は聞いたこともない。
俺は知らない。
16年を共に過ごしたはずの母さんの名前を。
「…………」
「あ! でもお父さんはまだ家に帰ってこないんだったね」
いつだ?
「帰ったら久しぶりに会えるといいね? 」
いつからだ?
「…………剣太郎? 」
海外出張が始まったのは?
家にいるはずの父さんが急な仕事で会う前にいなくなるようになったのは?
俺が最後に父さんの顔を見たのは?
家族4人がそろったのは?
父さんが家に帰って来たのは?
俺が家に父さんがいないことに一切疑問を持たなくなったのは。
「あぁ……」
「剣太郎」
「あぁ……ぁあああ……ああああ……」
「どうしたの? 剣太郎」
「あああぁぁあぁあぁあああああああぁぁぁあぁああああ!! 」
「剣太郎!? 」
ここの名前は【勇者】の丘。
「あああああああああああぁあぁ……! 」
「大丈夫!? 顔、真っ青だよ!? 落ち着いて深呼吸して! 」
俺は母さんの名前を知らない。
「ああああぁあぁあぁぁ……」
「……ちょっと触るよ? 熱っ! 凄い熱! 」
父さんの顔も上手く思い出せない。
「あぁぁあああああああ」
「ほら、お水! 飲める? ゆっくりね? 」
そして昔の夢、子供の頃の記憶のことも。
「……あ」
何故か今、思い出した。
村本に成りすまし俺に近づいてきたスーツの男。奴が持っていた“見た人間全ての『ステータスの無効化』、『全能力向上バフの無効化』、『全状態異常デバフの無効化』する”『真美眼のネックレス』を。
ネックレスのお陰で魔力の封印を解かれたということ。あの時、確かに俺は全てのデバフから解き放たれたということ。
「……あぁ」
何故か、今思い出した。
催眠術は【スキル】や【魔法】ではなくステータスが関与しない技術や力であることを。実際に使っていたリューカを【鑑定】しても俺はその存在に気付けなかったということ。
この世界の催眠術は人から『特定の記憶』を消せるほどに発達していること。
「……あああ」
何故か、今思い出した。
俺が催眠術にかかりにくい事と、既に催眠術にかかっている人間を催眠術にかけることは難しいということ。
「……剣太郎……だよね? 」
ガンガン響く頭の中。
思考だけは続いていた。
点と点が線でつながる。
一つの結論に向かって。
「俺はずっと催眠術にかかっている」
声に出した瞬間。頭の中で何かが弾けた。
記憶があふれ出した。
全て思い出した。
夢の中で見た鬼怒笠村。
引っ込み思案の『女の子』。
遊びの延長で俺に訓練を施してくれた恐ろしく若々しい『婆ちゃん』。
そして――――
「………ぅおえぇぇぇ…………」
小さい俺を庇った『父さん』の全身から流れ出る血の温度も。