どうして空は『赤い』のか
出発してから、何十分……いや何時間経ったか分からない。俺たちは砂嵐を超え、帝国の終端をなぞり、はるか向こうで鳴り響く雷鳴を聞きながら境界地帯をひたすら突き進んだ。そして事前に示されたルートの中継地点にたどり着く。
『巨大な谷』に。
「これ……本当に自然現象で出来たのか? 」
思わずそんな言葉が出るほどに目の前の光景は非現実的だった。
間違いなく谷ではある。向こう岸まで数十メートルは離れている大きな谷。
けれどサイズが常識の範疇なのは『幅』だけ。その『長さ』と『深さ』はステータスで強化された視力をもってしても見通すことは出来ないほどに、底なしで、地平線の遥か彼方まで不自然なほどに真っすぐ続く。まるで大地を巨大な定規を使って引き裂いたように。
「自然現象ではないよ。この巨大な谷も。空に浮かび上がる岩石も。砂嵐も。酸の雨も。常に滞留する雷雲も。――――そして、この『赤い空』でさえ」
「…………え? 」
「剣太郎は信じる? この空が元は帝都の幻と同じく青かったことを。これら全ての『異常現象」が一晩の間で発生し、それが何十年も続いているって」
「は? 」
谷を見下ろした。深い。まるで地獄の底までつながっているように。
雷雲を遠望した。大きい。まるで大陸を飲み込もうとしているように。
浮かんだ岩石を見た。多い。まるで大地は元々空の上にあったかのように。
空を仰いだ。赤い。まるで世界が作られたその瞬間から赤かったように。
「こんな、こんな規模の世界への影響を……モンスターが……? 」
到底、信じられない。
神社の上空で戦った白の魔王。
木ノ本と共に撃破した蛇の女帝。
上級迷宮に引きずり込み倒した黒騎士。
他にも、凄まじい力を持ったモンスターを知っている。それらの全力と戦い、最後は打倒した今だから分かる。
あり得ない。アイツ等がどれほど手を尽くしたとしてもこれほどの爪痕をたった一夜で世界に残すことは不可能としか思えなかった。
「剣太郎は勘違いしてるよ」
「何をだ? リューカの言う自然現象の定義と俺の考えている自然現象が違うとかか? 」
「多分、言葉の意味は同じだと思う。私が言いたいのはこれを起こしたのが『モンスターではないということ』」
時が止まった。
リューカが今何を言ったのか理解しようとして何度も失敗した。どうにかして、何とかして『モンスターが関係無い』ということを頭に入れて、考えて、俺は到達した。一つの可能性に。
「まさか……人間なのか! 」
「そう。赤い空も、切り裂かれた大地も、砂嵐も、酸性雨も。50年前の人同士の戦争で起きたもの」
数十年前。極西大陸の中には今の10倍の数の国家がひしめき合っていた。
異世界の国が争うのは天然資源でも、豊かな土地でもない。より価値のある『迷宮』だ。力の無い小国に易のある突発型迷宮が生まれるたびに大国に押しつぶされ、無理やり接収されてきたという。
そんな時。極西大陸に一つのダンジョンが現れた。莫大な経験値と山のようなドロップアイテムを生み出すそのダンジョンは大陸間の国家バランスを著しく上下させる力を持っていた。
その利権を争うために起こった戦争を全て【大陸戦争】と人は呼んだ。
「50年前、【第三次大陸戦争】がありました。この戦争は『史上最悪の戦争』と後世で呼ばれることになります」
――――ある二人の直接対決によって。
この世界でレベルが3桁を超えたことが公に確認された者は歴史上5人のみ。その中でここ数十年の歴史がある人間が二人だけいると言う。
法国の宮廷魔術師団・団長にして観測史上最強の魔術師【大賢者】。
そして千を超える戦争に参加し、全ての戦いで勝利した伝説の傭兵【剣神】。
【大賢者】は自分の属する法国を戦火から守るため。そして【剣神】は――――
「――――強者と戦うため……? 」
「特定の国に所属せず、数々の戦場を渡り歩く【剣神】の唯一の行動原理がそれだったんだ」
「それだけのために……それだけの理由で戦争を? 」
「『彼』は以前にも同じ理由で100を超える小国と10近い大国を一人で殲滅しているから……関係ないんでしょうね」
「そんな……そんなことのために……これを……? 」
足元の先に広がる深い谷。今に思えば不自然なほどに真っすぐで、鋭い切り口の地形だ。まるで『剣で切り裂いた』ような。
「【大賢者】様の【時空間魔法】でこの境界地帯の気候は絶えず荒れ、そこに以前あった山脈は空中に座標が固定されたままになりました」
視界の端に重力に逆らった岩の塊が映った。
「【剣神】の放った最後の一撃は大地を切り裂き、森や湖を消し飛ばし、大地に眠っていた有毒の赤熱物質が空に広く舞い上がりました」
真っ赤な空には薄く黒い雲がかかり、今にも酸の雨を降らしそうな雰囲気だ。
俺は唾を飲み込んだ。これからする質問の答えを本当は聞きたくなかった。でもここまで来たら知りたい。いや知る必要がある。俺にはそうしないといけない一つの『理由』がある。
「……ここには、国は無かったのか? 人は住んでいなかったのか? 」
意を決して口を開く。さっき水を飲んだばかりなのに喉は乾ききっていた。
「クレマ王国という極西大陸最大の国があったよ。人口は数千万を超えていて、温厚な国風で多種多様な人種が集まり大陸の中継地点の役割を担ってたそう」
「なら、今は……どこかへ移動したのか? 」
俺のその問いにはリューカは答えなかった。女騎士の視線の先は足元の深い深い谷底へと続いていた。まるで『黄泉の国』がその先にあるとでも言うかのように。