非数値化技能
俺は『読心術』や『催眠術』を信じていない。
表向きは小学生のころ一度実際に体験してみたところ上手くかからずに気まずい思いをしたからという理由で通しているけど、単純にそれらの技術に対して胡散臭さを感じているからだ。そんな思考のままこの16年間を生きていた。
だけど今、俺はその考えを改める思いもよらない機会を得ることになった。
「……ん? ……え? ……え!? 」
「もう解けちゃったんですか? かかりにくいという話は本当ですね。こんなに早く目覚められたのは剣太郎が初めてです」
気づけば、鼻先が岩につくほどに洞窟の壁に近づいていることに驚きの声を上げる。間違いなく俺はさっきまでリューカの隣に座っていたはずだ。だけどなぜか全く思い出せない。俺が壁際までいつ、どうやって、どんな速さで移動したのかを。
混乱と興奮に包まれた俺の背中に声をかけるリューカ。振り返ると騎士団の団長も務める彼女は目を見開き驚くような、年相応の表情を見せている。
「今のが……リューカの催眠術なのか? 」
「はい。人にかけるのはあまり得意ではないですけれど」
そう謙遜するリューカは催眠術の類は効かないとずっと自称してきた俺の精神をまんまと操ったのだった。
「すごいな……初めて催眠状態って奴を体感できたよ」
「私こういうのだけ得意なんです。剣術師範のお手本のマネをすることとか、誰かになりきることとか、自己暗示とかの類が。催眠術はそれらの応用です」
実際、兄の振りをしてずっと過ごしてきたリューカが言うと説得力が違う。そういうものなのかと納得した上で俺はさっきほど小耳にはさんだイヒト帝国の情報に関する突っ込んだ質問を口にした。
「……話を戻すけど……【人格調整】っていうのは? 」
「イヒト帝国で要職につく人は全員受ける義務がある『自己暗示』や『催眠術』のことです。投薬、洗脳、刷り込み等のありとあらゆる手段を使って性格や思考を矯正して帝国に逆らわない、忠実な人格を創り出すんです」
衝撃的な事実をまるで他人事のようにポツリポツリと話し出すリューカにどこか痛々しさを感じながらも俺は湧き上がった疑問を問うことを抑えられなかった。
「でも……その『じんかくちょうせい』をするのに【スキル】も【魔法】も使わない……んだよな? 」
「はい。【人格調整】に【スキル】や【魔法】は使用しません」
「それって……伝わるかわからないけど……ようは『オカルトチック』な技術で人間を操作するってことになると思うんだけど、そんな不確かな技術頼りで帝国はやっていけるのか? 」
日本での催眠術や読心術の類の立ち位置は手品や大道芸と同じショービジネスの一種だった。そんな世界で生きていた俺からすると一つの国が臣下を丸ごと洗脳するというのは非現実的で非効率的なように思えた。
「そちらの世界では『催眠術』は不確かな技術で、大体的に使われることはあまりないんですね? 」
「……ああ。俺の知らないところではあるのかもしれないけど。……でも一番分からないのは【スキル】や【魔法】なんて確実性があって便利な代物があるのにそれを使わないことだ」
そう。それこそ違和感を覚える最大の部分。一定量の魔力と条件さえ達成してしまえば確実な結果を得られる【スキル】と【魔法】を差し置いてなぜそんなモノに頼るのかが俺には全く理解できなかった。そんな問いにリューカは一定の理解を見せつつも丁寧に教えてくれた。この異世界でのとある『共通認識』を。
「偽装がいくらでも可能で、【鑑定】スキルでいくらでも情報を抜き取り放題な【スキル】や【魔法】ではなく、あえてステータスが関与しない技術や力を重要視する風潮があるんです」
「ステータスが関与しない……? 」
「それを『非数値化技能』と言います。ある程度の技術体系が確立されている催眠術や読心術。霊的、呪術的側面を持つ占術や交霊術。人から習う剣術や護身術。財力や権力といったものも指します」
「もしかして……さっきヴェノム・ワイバーンを消し飛ばしたあの一撃も? 」
「はい。自己暗示による脳の制限解放と実家で習った剣術の合わせ技です」
驚きのあまり洞窟の地面に倒れ込みそうになったのをギリギリで我慢する。それだけ俺が受けた衝撃は大きなものだった。
『人間とモンスター、人間同士問わず。レベルを保持する生物同士の戦闘においてお互いのステータスの大小と敵がどのようなスキルを持っているかの事実確認は最優先にするべき』というのは俺が数か月モンスターを狩り続けて得た教訓だ。
相手の情報を事前に把握し、時間をかけてよく吟味さえすれば自分が勝てるかどうかが戦う前に分かってしまうほどにホルダー同士の戦闘はシステマチックだ。だけどここに『非数値化技能』という全くの不確定要素が入ってくると話は全て変わってくる。どの場面でも奇襲性を持ち切り札となりうる非公開の力は戦闘の中軸を為すことになるのは想像に難くない。
そしてさらに理解させられてしまった。貴族がなぜあれほどまでの優位性を保てるのかを。
眼で見える力でも勝てないのに、見えない部分でも差をつけられてしまったら何をどうしたって勝てるはずがない。単純な理屈だった。
そんな貴族絶対主義の世界でリューカは貴族の身でありながら虐げられる者のために戦っている。そのことが妙にうれしかった。
「……俺が保持者になってからまだまだ日が浅いのもあるけど……敵わない。この数か月で結構成長できたと思っていた俺よりも遥かに深いところにリューカはいるんだもんな。こっちからしたらこんなに追いかけがいがある人はいないよ」
少しだけ冗談めかした口調でそう言うとリューカはクスリと笑みをこぼした。
「剣太郎は前と変わらず、褒め上手ですね? 」
「なんだよ、いきなり? 俺自身には褒めるところが無いっていう皮肉か? 」
さらに冗談を重ねて返すとさすがのリューカも抗議の声を上げた。
「違います! ただ……少しだけ……羨ましくなりました。剣太郎の元の世界の友達が」
「なに言ってんだよ……俺たちも友達だろ? 」
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ。リューカが思わず泣きそうな顔をした……気がした。でも気がしただけだ。多分俺の錯覚だろう。ここで泣く意味は特にないはずだ。別に俺に罪悪感を覚えるようなことなんて何も……………………………あ。
「そういえば何でさっきは、あんなにタイミングよく暗示が解けたんだ? 」
「!! ……あの……えと……暗示と暗示、催眠と催眠が打ち消し合って……干渉することが……あるんです……。多分それが……原因なんじゃないかと……」
「えらく歯切れが悪いな……そもそも俺の事全く覚えてなかったのってアレって帝国の人格調整の一部ってことってことで良いんだよな? 忘れたフリをしてたわけじゃないんだよな? 」
「そ、そ……それは……」
追及の手をゆるめずズイッと顔を近づける。対してリューカは視線を右往左往して必死に言い訳を探しているように俺には見えた。
何秒、何分、もしかしたら一時間以上たってしまったんだろうか。散々答えるのを引っ張ったリューカの俺への返答は、
顔を真っ赤にして、
銀色の髪を左右に振って、
立ち上がり、目をつぶりながら言った、
「ひ、秘密です! 」
というものだった。
そのまま洞窟の奥の『最果ての養護院』まで走って戻っていっていくリューカの後ろ姿を目で追いながら『そりゃぁないだろ』と声には出さずに呟くと、妙におかしくなった俺は心の底からの笑みを浮かべた。そんな風に笑えたのは本当に、本当に久しぶりの事だった。