帝城へ
この異世界に来てからずっと感じていた。自分が世界の『本質』から、『真実』から意図的に遠ざけられているような感覚を。ただただ表面的な情報だけをなぞらされて、はぐらかされているような気がしていた。
特にそう感じたのはとある騎士の男との会話。彼は俺のことを助けてくれる意思を表しつつも、余り多くを語ることはなく姿を消した。
あの騎士が好き好んでいなくなったとは勿論思っていない。だけど俺は気づかないうちに漠然としたほんの少しの不信感を抱いていたんだ。本当にこの人を信用していいんだろうかと。本当にこれで俺は帰れるんだろうかと。俺のずる賢く、心の弱い部分がそう囁いていた。
だから俺は地下室で何もせずに待つことなく、外へ出た。ウニロさん達と出会い、この世界の過酷さの一端を知り、『貴族』という存在を知った。
高価な装備品で身を包み、圧倒的なステータスの差で民衆を苦しめる支配者層。相対して初めてその凶悪さと実態を知った俺は思い出していた。
あの女騎士も人の良さそうな副団長の二人はどちらも貴族であることを。
俺の知るあの二人とウニロさん達の語る傲岸不遜な貴族たちで何が決定的に違うのかを俺は知らない。
ただ確信はあった。あの二人が誰かを意図的に、享楽的に、不用意に他者を傷つけることは絶対に無いってことだけは。そして俺は二人に持った不信感の何倍もの恩を受け取っている。
だから俺は迷わなかった。もう一度この地下室から外へ飛び出すことを。
「【索敵】スキル……『追跡』! 」
『追跡:【索敵】スキルのスキルレベルが5になった時に使用可能。魔力を消費して追跡対象の生体情報から数時間前までの足跡を把握することが出来る。』
「方向は……街の真ん中か! 」
石畳の路面に浮き上がる黄色い足跡。それは無理やり引きずられていくように出口で荒れ回った後に一直線に進んでいった。まるで途中でいきなり大人しくなったように。
「なんで……なんで俺に助けを求めてくれなかったんですか! ……ラウドさん!! 」
いまさら何を言っても仕方が無いことは分かっている。それでも叫ばずにはいられなかった。
あの副団長が何をしたのか、何をされたのかはもう察しはついている。あの俺が寝かされた小部屋を隠し通しながらも、彼は一人どこかへ無理やり連れていかれたんだ。
そしてラウドさんのことを力づくで動かすことが出来る存在はただ一つ。
残虐外道な『貴族』達だ。
「……『全力疾走』! 」
鈍って上手く動かない体を押して俺は走った。関節がミシミシと音を立てて悲鳴を上げるけれど、気にしない。俺は知っている。貴族がいかに手段を選ばないかを。急ぐんだ。今は……何も考えずに……走れ!!
道中、俺はパレードを見た大通りの方へ繰り出した。今日は何の特別な催しも開かれていないようだったけど人通りは昨日に負けず劣らず多い。人の海にあっという間に飲まれて俺は動けなくなった。昨日はそのことを甘んじて受け入れた。だけど今日は特別な事情がある。
「……【念動魔術】!! 」
前は人目を気にして使わなかった魔法を行使。街中では基本的に魔法の使用禁止という話をいつかの夜にリューカに聞いた気がするが今だけは許して欲しい。
「行け! 」
重力を無視してフワリと浮き上がる体。狙い通り十数メートル先の赤茶色の屋根の上に身を躍らせる。
見下ろして足跡がここからでも追えることを確認した俺はこっちに集まる数百の視線を振り切って再び走り始めた。屋根をぶち抜かない様に細心の注意を払いながら一歩、また一歩と踏み出していく。ルートは最短距離。屋根が途切れる大通りは【疾走】と【念動魔術】の合わせ技で飛び越えた。
「やっぱり……あそこか……」
足跡の向かう方向は俺が予想していた場所へと続いていく。建物が密集している地域から道幅が広く、建物が大きくなっていく構造の帝都。すり鉢状に盛り上がった地形を持つ帝都の中心で純白の巨大な構造物が青い空を突き刺すような勢いで伸びていた。
『天帝城:イヒト帝国の首都である《帝都》の中央に位置する城。第19代皇帝の居城にして帝国の政治・経済・軍事をも司る帝国の心臓部。築城されてからの二百年の間、一度の侵攻も許していない。』
「邪魔だ!」
そんな説明が親切にも目の前に表示されるが今はどうでもいい。ただ前へ。ひたすら進め。どこだ……? ラウドさんはどこにいる……!?
逸る気持ちを必死に抑えながら走る。冷静さを保ったお陰で俺は城までの目測1キロメートルほどまで誰にも出くわすことなく近づくことに成功した。だけどあることだけは予想していた妨害は予想もしていなかった方法で前触れもなく襲い掛かってきた。
「ッ!……【索敵】が……無効化!? 」
叫んでも、スキルを再使用しても結果は変わらない。魔法他、多数のスキルは使用できるのに【鑑定】と【索敵】だけが突如として使えなくなった。
「じゃあ……スキル無しでこの広さを? 」
魔法で登った塔の上から城の付近を見下ろす。半径1キロメートルの円の中には中心にどっしりと構えた城の他にも無数の建物と広場がある。どう考えてもこの大空間からたった一人を探すのは無謀だった。
「手詰まりなのか? ……俺には……出来ないのか?」
眠りから覚めてすぐに実感した個人の限界。無力感に打ちひしがれて崩れ落ちそうになる膝を強く叩いた。
情けないことを言うな……俺。思い出せ。ラウドさんはあの部屋で出血していたんだ。早く行かないと……『取り返しがつかないことになる』かもしれない……。
塔から飛び降り、路面に着地した俺はあてもなく彷徨い始めた。焦りからか高く保っていたはずの[持久力]を貫通して息が荒れに荒れるが足を止めることはしなかった。民衆も、貴族らしき人も、巡回する騎士もこっちを奇妙な者を見るような目で見てきたが気にしない。ただラウドさんの影を追い求めて進み続けた。
そうして走ること数十分。少しだけ、ほんの少しだけ諦めかけていたその時。俺は思っても見ない人物と再会した。
彼女は必死な様子で道に膝を付け騎士に頼み込んでいた。
「どうか……どうか! お願いです! 絶対何かの間違いなんです! あの子を返してください……! 」
「職務の邪魔だぞ! しつこいと斬るぞ! 」
「どうか……どうかお願いです! 私はどうなっても構いません……あの子だけは……あの子だけは! 」
「ええぃ! ……誰か! この女を引きはがせ!! 」
そうして道に粗雑に投げ出された一人の女性の元へ急いで駆け寄った。
「『薄暮亭』の女将さん……俺の事、覚えていますか? 」
「あ、あんた……ケンタロー? どこいってたの!? 突然いなくなるから皆心配してたのよ!? 」
素面だと中々にハイテンションな女店主を助け起こしながら俺は質問した。貴族を嫌う一人のはずの彼女がなぜこんな貴族だらけの場所にいるのかを。
「……実は――――」
そこから耳に入って来た話は俺の思考を一瞬だけど完全に停止させた。
直後に理解する。女店主の事情とラウドさんが連れていかれた理由の二つは密接に関わっており、その原因の一端が俺にあることを。