夢から覚めたら
長い長い夢の終わり。記憶の旅路の終点はキャプテンの謝罪の言葉だった。
夢は自分の深層心理をそのまま映し出すという話を聞いたことがある。なぜ俺は今、この夢を見たのだろうか。
考えること数秒。俺はすぐに思い出す。眠りに落ちる寸前の記憶を。
そういえば初めての事だったか。味方のいない一人の状況で力尽きてしまったのは。飲酒をしていたとは言え随分と間抜けな幕切れだ。
もしかして俺は死んだのか?
これは走馬灯って奴なのか?
心の中に沸き上がった疑問を直観的に否定する。いや俺はまだ死んでない……気がする。
遥か遠くから聞こえるから。自分の心音と呼吸の音、そして『世界の音』が。
風の音と……後はなんだ? 誰かが俺に話しかけている?
そのどこかで聞き覚えのある鈴なりの様な高い声。強い意志と責任感を感じさせる声は俺に1人の名前を思い出させた。
リューカ……?
直後、疑問は確信へと変わる。間違いない。この声。何を言っているのかはよく分からないけど……間違いなく俺の身体の近くにいる。リューカが。
どこからともなくやって来た温かく柔らかい感触と共に安心感がいっぱいに広がる。まどろみと安らぎに考えるのをやめて全て委ねかけそうになる。
そんな中でも疑問は頭の中をぐるぐると回り続けていた。内に秘めた想いを吐きだしたくて居ても立っても居られなくなった。
『なぁ! そこにいるのはリューカなんだろ!? 教えてくれ! この数か月の間に何があったんだ!? リューカは本当に俺の知っているリューカなのか!? 一体今、何を考えてるんだ!? 』
どうかこの声がリューカに届けと願いながら問いかけた。
だけどここは夢の中。俺の声は現実まで到達することは無い。どれだけ大声を上げてもどこかへ吸い込まれるように音はしぼんでいく。
気づいたら俺の近くにいたリューカの気配は無くなっていた。
絶望が心の中一杯に広がり、膝を付き俺は問いかけた。自分自身に。『なんで俺の夢はまだ終わらないのか』と。
これは仲間を信じきれなかった、新しく作れなかった俺への『戒め』なのか?
一人で戦い続け、ひたすら自分だけを強くしてきた『報い』なのか?
――――それとも今までも一人で戦っている気になっている俺が本当は沢山助けられてきたことへの『罰』なのか?
『迷路の迷宮』では異世界の騎士団と臨時的な共同戦線を組み、無敵に思えたボスを撃破した。
リューカと二人で入ったダンジョンではボスのキメラに危うく物量と回復量で圧し潰されかけたところを彼女の知識と機転で命を繋いだ。
『剣士の迷宮』ではダンジョンのある世界の過酷さの一端を知り、人狩にとどめを刺される寸前に謎のレベル3桁の人物に結果的に助けられた。
『有鱗亜竜の迷宮』では間違えてダンジョン内に取り込んでしまった何の力も無かったはずの木ノ本の勇気に救われた。
台倭区での黒騎士との戦いには迷宮課のサポートが不可欠だった。
そうだ……あの時も俺は……―――――。
意識は跳躍し時間と空間の概念すら超える。
幼少期の頃に戻る俺。ここまではいつも通り。だけど今回は特別だった。今までぼやけて見えていた要素がやけにはっきりと目に飛び込んでくる。
『夏の鬼怒笠村』
『爺ちゃんの家』
『真新しい下山トンネル』
『自分の身に余るほどに大きく重い金属バット』
『古いベンチが置かれた秘密基地』
『壁に描かれたくさび形文字』
『どこかで見覚えのある若い女性』
『色素の薄い髪色の女の子』
そして『真っ赤に染まった――――』
「うわああああああああああああああああああああああああ!! 」
悪夢を見て、自分の声で飛び起きる。最近ではこの最悪極まりない目覚め方が癖になっていたのでもう慣れたと思っていたが今回は中々に強烈だった。
だけど不思議と夢の内容を俺は今この瞬間は詳しく思い出すことが出来ない。何か途轍もなく大事な情報があったはずなのに。そのことを考えれば考えるほど、多くを掬おうとすればするほど記憶は指の隙間から零れ落ちていく。
ダメだ。もう思い出せない。……またこのパターンだ。いい加減うんざりする。
夢を回想することを諦めた俺は手癖で【索敵】を使用。近くには誰一人いないことを確認した後になってようやく周りを確かめ始めた。
「ここは……『首飾り』で最初に来た地下室か……」
ベットと必要最小限の家具が置かれた石造りの薄暗い小部屋。鼻に入ってくる少し埃っぽい臭いは俺の記憶と全く同じだ。
「誰が俺をここまで連れてきてくれたんだ? 」
独り言を言いながらノロノロと部屋の中を物色した。タンスの中には数枚の衣服。小さな机とイスには何も置かれていないが綺麗に掃除されていた。光源は何かの鉱石が中心に入ったランプもどきだけ。
「それで……出口はどこだ? 」
だけど肝心の出口の穴が見つからない。そもそも今俺がいる部屋は以前に『帝国騎士の首飾り』で転移してきたリビングのような場所と明らかに別物。
急に今自分の現在地が本当にあの地下室なのかも不安になってきた俺。無暗にやたらに室内をうろつき回って2,3分。ようやくこの地下室に施されていた『とある仕掛け』を思い出す。
「そうだ! 隠し扉! 」
その数秒後、ペタペタと触った石壁の一部分がボタンの様に押し込めることを発見した俺は無事に密室の小部屋から脱出することに成功する。予想通り、視界に飛び込んできたのは見覚えのある殺風景なリビング。
さっきの部屋と違って照明すらない。その上さっきまで全く聞こえていなかった雑踏の音すらもこのリビングには届いている。どうやら俺が眠っていた寝室とこの部屋じゃ防音性能が段違いなようだ。
そしてあるのは椅子と机と家事台だけ。そう。まさに記憶通りの……ん?
「何か……何か違う? 」
違和感があった。強烈な違和感が。目に入っている家具。机の端に刻まれた傷や椅子の端から漏れ出た綿はこの部屋が以前ワープしてきた地下室であることを証明していた。だけど……何かが違う……何かがおかしい。
「…………わかった! 綺麗すぎるんだ! 」
以前見た時はホコリが降り積もっていた家具が今。過剰なほどにピカピカに磨き上げられている。ただ掃除しただけという線は勿論捨てきれないけど……恐らくは一時的な避難場所として使用するこの場所をわざわざここまで綺麗にする意図が分からなかった。
いや! そうだ! 誰かから逃げるための避難場所と言うならばホコリや汚れは出来るだけそのままにした方が良いはずだ!
掃除されていない家具はこの場所がもう誰にも使われていないアピールになる。そうすれば二重に隠された寝室の小部屋から目を逸らすことが出来るし追跡する者を混乱させることが出来るからだ。
「おかしい……変だ……何で掃除を……」
俺は椅子と机を調べ始めた。掃除されているこれに何かしらのヒントが残っているような気がしたから。
直観は当たっていた。最初は完璧にきれいになっていると思われていた家具には致命的な痕跡がこびりついていた。
「これは………………血か? 」
イスの足の裏に付着していた赤黒い液体。まだそれほど乾いてなく新しいそれは俺には人間の血に見えた。
途轍もなく嫌な予感がした俺は迷わず【鑑定】を使用。その結果は俺から一瞬で冷静さを奪い去るには十分以上の効力を発揮した。
『第13騎士団・副団長 ラウド・イル・エスタの血液』