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城本剣太郎の夢・中編

 その日の記憶を俺は詳しく思い出せない。


 何となく親に部活をやめることを伝え、妹が急に家を飛び出したことだけは覚えている。どうやって病院から家に帰ったのか。何を考えながら眠りについたのか。全く思い出せなかった。


 ただ迷いはなかった。野球部を、野球をやめることを。俺は自分で思ったよりも傷つきやすい奴で、もう二度とピッチャーはできないと言われた瞬間に心は完全に折れていた。


 次の日、部活をやめることを伝えるために顧問とチームメートの元に向かった俺に対して彼らは口をそろえていってくれた。『辞めないでくれ』と。



「悪いな。こんな中途半端なところで辞めてさ……でもお前らはまだ先があるんだからさ。頑張ってくれよ? 俺の分まで」


「何をッ……何、言ってんだよ! 剣太郎! 」


「やろうぜ! ここまで来たんだから! 最期まで! 」


「……ピッチャーができない俺じゃあ皆の足引っ張るだけだ……これでいい。この方が良いんだ」



 嘘だった。


 これで良いわけが無かった。悔しかった。最後までやり遂げたかった。



「そんなこと言わないで下さいよ! 」


「城本先輩がいない野球部なんて考えられません! 」


「剣太郎……俺たちを……見捨てる(・・・・)のかよ! 」



『見捨てる』。3年間ずっと俺の球を受け続けてくれたキャプテンの口からでたその言葉にため込んで必死に押さえつけていた感情が少しだけ、ほんの少しだけ溢れだした。



「ごめん……ちょっと……しばらく無理だ……誰かが野球やっているのを見るの……耐えられない……本当にスマン……。これは俺のワガママだ……ごめん。本当にごめん」



 逃げる様に。顔を伏せて帰った。残されたチームメートを振り返りはしなかった。『辞めることを伝えつつ、笑顔で激励する』。その筈だったのに……。


 その日、誰もいない家の庭でがむしゃらに腕を振った。


 いつものように。


 感覚を取り戻すように。


 まるでケガなんて最初からしていなかったように。


 1日ぶりに全力で動かした右肩はまるで何十年も使っていない部品の様に軋み、錆びついていた。それから始まった痛みは寝る直前まで俺を苛んだ。短い人生の中で最も寝苦しい夜だった。




 日を追うごとに野球から心が離れていく俺をよそに、準決勝の日はやってきた。




 その日は電話の音で目が覚めた。スマホの画面をノロノロとした動きで確認するとそこにはキャプテンの名前が表示されていた。



「……試合開始直前だぞ……俺なんかに構わなくても……」



 そう独り言をつぶやくが、俺の中の浅ましい部分が未だに電話をかけてくれるかつての女房役の優しさにほんの少しの嬉しさも感じていた。


 けれど気持ちは変わらない。



「悪ぃな……キャプテン 」



 ベットの上で放置したスマホの音が止んだのはそれから数分経った後だった。




「馬鹿じゃねのか……俺……結局来ちゃうのかよ……」



 自嘲しようとして失敗した。そのことがますます自分の無様さと惨めさを増幅させる。


 あれから部屋で何もせずにじっと天井を眺めていた俺は気づけば家を飛び出していた。電車に乗り込み、駅をいくつも通り過ぎ降りた場所はつい先日にも来た県内でも有数の大きな公園がある最寄駅。すっかり道を覚えていた身体は自然ととある方向へ向かって足を動かした。


 部活も野球もきっぱり未練はないですよって顔でかっこつけて飛び出していったのにこれじゃあ形無しだ。ダッセェな。今の俺。


 でも、そのことを自覚しても尚、ここまでやって来た足を止めることは出来なかった。


 今日の相手校は3年ぶりの全国大会出場を目指している紛れもない強豪校。歴史も部員数も間違いなく向こうが格上。これだけ聞いたら皆が皆思うだろう。勝てるはずないって。


 でも、俺は違う。


 俺は思っている。勝ち目があるって。



 セカンドとショートの息の合った同学年コンビ。


 堅実でミスが少ないファースト。


 対してダイナミックな守備が持ち味のサード。


 守備範囲はイマイチだけど勝負強いバッターが集まった外野陣。


 キャプテンも任されている冷静なキャッチャー。


 そしてマウンドに立つのは今大会未だに一点も取られていない一年生エース。


 皆が皆どれだけ努力して、どれだけ凄い選手なのか俺はよく分かっている。そんな彼らの今年の夏の活躍ぶりは目を見張るものがあった。


 可能性はあると思った。低いかもしれないけれど勝てないこともないって。でも、始まってから……もう結構時間経っちゃったな。どんな試合展開になってるんだろう……?


 逃げ出した気恥ずかしさと期待を込めてたどり着いた準決勝の舞台。



「……え? 」



 そこで目の当たりにした光景は俺から言葉と感情を奪い去った。スコアボードに付いた数字を見て思わず目をこするがそれは間違いなく現実のものだった。


 3回裏、向こうの攻撃。ノーアウト満塁のピンチ。それも6点差で負けている状況で迎えるバッターは中学日本代表にも選ばれる県内最強の実力を持つ主砲。


 3回時点で10点差がついたらコールド負けの中学野球においてはとんでもないピンチ。ボコボコだった。でもそんな点差よりも何よりも俺はある一点に目を奪われていた。



「……失策(エラー)……10!? 」



 プレーしているのが俺と同じ中学生であることを加味してもとんでもない数字。3回が終わらないうちに10回失策? そんな! まさか! アイツ等が!? 


 何かの間違いだと思った。スタンドに走った。そこでとうとう目にした。数日ぶりに見た頼れるチームメートの姿を。


 内野手は絶望的な表情で立ち尽くしていた。


 外野手は膝に手をつき俯いていた。


 そしてピッチャーは――――聖佐和は――――



「うぉら!! 」



 全身で呼吸をしながらボールを放った。無情にも白球の行く末はキャプテンの構えたミットの遥か彼方、頭上の上へと吸い込まれていった。



「うおお! 」



 必死でボールに飛びつき何とか暴投を阻止するキャプテン。しかし、一目見ればわかった。バッテリーのどちらもがもう満身創痍であることを。



「おいおい相手のピッチャーやべえな……まーた暴投しかけてるじゃねえか」


「これで3ボールだから……今度もストライクゾーンに入らなかったら……押し出し? 」


「あの子一年生だっけ? 野手にもあんなにエラーされたから仕方がなくない? もう見てられない……かわいそう……」


「いや最初から投げてる球が全部ボール球だ。あれじゃあ野手だけの責任とは言い切れんよ。球は早いけど全く制球が出来てないね」


「向こうの監督も鬼だな。替えてやればいいのに……」



 耳に入ってくる観客の声。この異常事態が試合開始から始まっていることを理解した俺はいてもたってもいられなくなった。


 なんとかして――――誰でもいい。誰か聖佐和に声をかけてやってくれ……これじゃあ……あんまりだ……。

 


 「どうしたんだ! 聖佐和! それに皆も! なんで誰も……!! 」

 

 

 駆けだしたネット裏の方に。どうにか。誰でもいい。誰かに伝えたかった。


 お前らは大丈夫だ。


 これは野球だ。


 逆転のチャンスはある。


 まだ3回裏だ。


 まだ勝てる。


 諦めるな。


 俺は知っているんだ。


 お前らがどれだけ努力してきたかを!


 だから『自信を持ってくれ』!!



 俺が目的地へと到達する直前、口を開こうとしたその一瞬だけ前。肩で息を吐き、止め止めなく汗を流した聖佐和は全力の一球を投じた。



「「あぁっ!! 」」



 俺と聖佐和の声が重なった。聖佐和の今、投げた一球はキャッチャーミットの左上へと突っ込んでいく。その位置は丁度バッターの顔面(・・)の位置だった。



 思えばこの時もゆっくりと時間が流れていた。 


 落ちることなく一直線に向かう直球。


『立っていれば点が入るだろう』という顔で完全に油断していたバッター。彼が自分に迫るボールに気付いたのとほぼ同時。


 何か(・・)が潰れるような鈍い、耳を塞ぎたくなるような音が球場にこだました。


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