表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/558

幽霊トンネルの噂

本日3話投稿

 父親である城本和也(しろもとかずや)の実家がある鬼怒笠(きぬがさ)村は厳つい名前とは裏腹に自然豊かでのどかな山村だ。歴史は古く、沿革をたどれば江戸時代にまで遡るが、数年前から総人口100人を切るいわゆる限界集落でもあり、数少ない住人同士はほぼ全員が顔見知り。事件や事故なんて無縁の何の変哲もない平和な日本の集落の一つである。



「あ~~……」



 そんな小さな村に毎年お盆になると帰省する城本家の通例は、今年も例外じゃなかった。



「あっちい……」



 出さないようにしていた心の声がついうっかり漏れ出てしまう。『暑い』と言ったら余計に暑く感じるという話は事実なのか。それとも迷信なのか。ただ空調が壊れている爺ちゃんの家においては何をしたってこの暑さが大して変わらない気がするのは気のせいじゃないだろう。


 人里離れた山奥にある鬼怒笠村は、夜はかなり涼しくなるけれど。山間に熱がこもるせいか、昼間は余裕で暑い。マジで暑すぎる。そこにエアコンが2週間前から壊れているというおまけつきだと、冷房のある生活にすっかり慣れ親しんだ身体には中々に耐えがたい。



「……たくっ……なんで俺だけ……」



 堪えようとしてもついつい愚痴が出る。それは、この4日間、心の中で何度もこぼした一言だった。


 誰が見ても分かる通り、今回の城本家の帰省は不本意ながら、長男の俺一人だけで強行(・・)された。俺以外の城本家の面々は今年のお盆は大忙しだったからだ。父親は急な海外出張。母親は母方の実家に用事があり、妹は部活の合宿。そんな中、家族4人のうち一人だけ予定が空いていた俺を城本家は派遣することに決めたのが丁度1週間前。最初は爺ちゃんの家の冷房が壊れていたことを知って難色を示した俺の意思は、残念なことに無視されたのだった。


 しかし実際に帰省してみて改めて実感する。


 予想以上に暇だ。暇すぎる。小学生の頃は無邪気に近くの野山の中を走り回ったりしていたが、高校生の今となったらそれも厳しい。一応持ってきた夏休みの宿題も正直、手をつける気が一切しない。



「……にしても暇だなぁ」



 こうして昼間から畳の部屋でゴロゴロする日々は始まった。暑さを耐え忍び、居間のテレビから流れるニュース番組のアナウンサーの声を聞き流し、時々風鈴の音に耳を傾けながらぼーっと板張りの天井を見つめる。平穏ではあるけれど退屈な時間。



「……」



 日常生活における起伏が無さすぎるあまり、時間感覚すら無くなって、蒸し暑い部屋で意識を失いかけていたその時。



「お? 」



 スライド式の玄関ドアが開く音が耳に入る。



「あぁ」



 突然の訪問者の来訪に一瞬、思案した後にすぐに納得した。このタイミングでこの家を訪ねてくる人物を俺は一人しか思い浮かばない。村役場の仕事とか言って、今日の朝早くから外出していたこの家の家主である爺ちゃんその人だ。



「やっと帰ってきたのか」



 言い訳のようだけど俺が家から出ずに寝こけているのは留守番を頼まれたからでもある。そもそも鬼怒笠村に来たのだって一人暮らしの爺ちゃんの様子を確認するためなんだ。託された役目を果たしている以上、どう過ごしたって文句を言われる筋合いは無いはずだ。


 ……ほら。気を抜くと心の中で意味の分からない自己弁護まで始める始末。完全におかしくなっている。そろそろ暑い部屋で一人待つのも限界だ。


 さっと起き上がり玄関へ向かうと、モワッとたちぼのった熱気が頬に当たる。今日はここ数日と比べても特に暑い。横になりながら小耳にはさんだニュース番組でも『今年の最高気温』だとか『熱中症の恐れ』だとか言う話をしていた。正直言うと少し心配だった。帰りがあまりにも遅かったらこっちから探しに行こうかと思っていたくらいには。いやいや安心した。無事に帰ってきてくれてよかった。胸をなでおろしながら廊下を進み玄関まで進むと。



「え? 」



 そこには……予期せぬ人物が待っていた。



「よお! 剣太郎! でっかくなったもんだなあ~。暇してるかと思って来てやったぞ~」


「……ヒロ叔父さん?」



 久しぶりに会ったはずなのに。


 最後に会ってから何年も経っているはずなのに。


 叔父さんの笑顔は相変わらず記憶の中と違わず、日に焼けて健康的だった。





 風鈴のかすかな音がうるさく感じるほど静かだった爺ちゃんの家はたった一人の登場で一気に騒がしくなる。こうして数年ぶりに目の当たりにした顔見知りはそれだけ精力的で空気を換えてしまうような独特の雰囲気があった。



「ほんとにデッカくなったなぁ剣太郎。もう酒も飲めるようになったんだっけか? 」


「まだ高校一年生だから無理だよ」


「あれ? 法律が変わって成人の年齢が引き下げられたとかなんとか見た気がしたんだがな」


「それは18歳。まだ俺は2年以上かかるし、そもそもタバコと酒はハタチからのまんまだよ」


「そういえばぁ、そうだったな! すまんすまん! 」



 本当に懐かしい。この適当っぷりと溢れんばかりのエネルギー。爺ちゃん譲りの豪快さ。


 冷蔵庫からボトルを取り出しつつ"変わらないなあ"とつぶやく俺を背に、叔父さんは慣れた様子でリビングの一角に座りこむと、ここに来た目的を丁度いま思い出したかのように口を開いた。



「それにしても、今日は暑いなあ~? 冷房も無い中大丈夫か? 」


「心配してきてくれたの? 」


「まあな! ひっさしぶりに顔を見たかったってのもちろんある」


「一応、平気かな。扇風機はあるし、日陰に入れば多少はしのげるよ。ハイ、どうぞ」


「お、サンキュー。……くぅ~生き返る~。いやあここまで長くってよ。もう汗ダラダラ」


「叔父さんってまだ奥前市に住んでたよね? ここまであんまりかかんないんじゃないの? 」



 差しだした麦茶を一気に飲み干し、色黒の顔をくしゃりと綻ばせるヒロ叔父さん。特に機嫌が良さそうなその笑顔に、俺は浮かび上がった疑問を投げかけた。


 引っかかったのは叔父さんが言った"ここまで長くって(・・・・)"という一言。たしか奥前市は県内でもそこそこの都市で鬼怒笠村の北側に接する位置にあるはずだ。行ったことは無いけれど直線距離は割と近い印象で、行き来に苦労するってほど遠くは無い……はず。



「いやなぁ剣太郎。確かに直線距離じゃあんま遠くないんだが、この山道だぜ? それも道が狭すぎて車も使えないんだよ。歩きだと40分は余裕でかかっちまう」


「え? でも10年ぐらい前に奥前市との間にトンネルができたよね? 」



 どうやら俺と叔父さんの"認識の食い違い"は記憶の曖昧さが引き起こしているようだった。叔父さんは忘れてしまったようだけど、俺は確かに覚えている。


 幼いころに見た工事の様子。


 新しくトンネルが出来ると話していた大人たちの会話。


 トンネルの名前は確か……。



下山(くだりやま)トンネルか……。そうか、剣太郎は子供だったしな。知らないのも無理ないかな? 」



 思い違いなんかじゃない。その時、明らかに叔父さんの口調が変わった。何かを躊躇っているような重々しい口ぶりに、随分と深刻な事情がありそうだと察する。


 沸き上がったのは聞き出すことへの躊躇い半分。好奇心半分。もう半分の気持ちを抑えきれなかった俺は思い切って核心に踏み込む。



「何があったの? 」


「いやぁ、剣太郎にはまだ早いんじゃないか? 」


「叔父さん。いつまでも子ども扱いしないでよ。俺が今、何歳か知ってる? 」


「そうか。もう剣太郎も高1なんだもんな。もう話しても大丈夫か……」


「うん」


「8年前だったかお前がまだ小学校低学年だな、その時にあのトンネルで"行方不明事件"が起きたんだ」


「行方不明? そんなことが……」



 のどかで平和な鬼怒笠村にはあまり似合わない言葉に、思わず息をのんだ。


 それにどうしてだ? 結構な大事件だっていうのに、全く聞き覚えが無いぞ。



「事件が起きたのは剣太郎たちが帰って来る夏じゃなく冬だったからなあ。それにお前の両親もなるべく隠していたんだろうよ」


「……なるほど」


「話を戻すと、消えたのは奥前市に住んでいた配達員でな。鬼怒笠への荷物を届けに行ったっきり戻ってこないっていうんで村と市の総出で探したんだ。それで分かったことは一つだけ……。最後に配達員の姿を確認できたのは『下山トンネル』に入る直前。つまり配達員はトンネルの中で消えちまったってわけだ」



 声のトーンを落とした叔父さんの語り口にすっかり聞き入った俺は唾をゴクリと飲み込む。


 思いもよらなかった。かけらも気づきもしなかった。


 平和な鬼怒笠村でまさかそんな事件が起きていたなんて……。



「それで? どうなったの? 」



 正直に言おう。俺はちょっとビビっていた。その恐ろしいストーリーの結末を聞くことを。



「……? いやそれだけだが? 」



 だからキョトンとした顔の叔父さんに、腰砕けになる勢いでずっこけた。


 何だそれ? 


 人が一人消えて終わり? オチもなし? 原因不明?


 嘘だろ? 


 はっきり言って拍子抜けだった。



「いや怪談とか殺人事件とかさ、そんな風に話が転んでいくと思ったからちょっと……期待しすぎたのかなって」


「剣太郎ぉ、お前そりゃぁないだろ~! 不謹慎だぞぉ!? 人一人消えてるんだぞ~? 噂だと『下山トンネル』は幽霊トンネルとか言われてて実際に見た(・・)って人もいるぐらいなんだぞ~? 都会育ちはこれだから……昔はあーんなに可愛かったのになあ! 」


「……不謹慎なのは叔父さんも同じじゃん……」



 思わずため息が出た。そこで思い出す。なんでこんな話をすることになったのかを。結局のところ下山トンネルは今でもある。察するに多分今でも普通に使われてもいるんだろう。俺は沸き上がった疑問の答えを聞いた。今もぶつくさ文句を言う叔父さんに。



「じゃあ結局トンネルは今もあるんでしょ? なんでヒロ叔父さんはトンネルを使わないの? 」


「剣太郎……どんな理由でも笑わないって約束できるか? 」


「うんうん。笑わない笑わない。約束するする」


「いや……普通に考えて怖いだろ? 消えるのは」



 出来ようのない約束なんて簡単にするもんじゃない。久しぶりに会った親戚のあまりにも純粋で真剣そのものなその顔に噴き出すのを我慢することは、まだ16歳の俺には到底不可能だった。


 その後すっかり不貞腐れてしまった叔父さんを何とかなだめてからは、互いの近況や思い出話に長々と花を咲かせた叔父さんと俺。さっきまでの物騒な話はどこへやら、時間も忘れて夢中で話し込むと無限なようにも感じられた時間はあっという間に過ぎ去っていく。


 だから日が落ちかけて叔父さんが帰ってしまうまでは、思い出しもしなかった。意識しないうちに、心の奥底ではずっと引っかかり続けていた『下山トンネル』のことを。





 夜も中盤にさしかかってきた頃。かかって来た電話を取った直後の第一声は自分でも驚くほど大きかった。



「えぇ!? 爺ちゃん今日帰ってこないの!? 」


『悪いなあ剣太郎。今日は懐かしい顔が多くてよ。ちょっとこっちで急に飲もうってことになっちまってよお。本当にスマン! 夕飯はそっちで適当に食べてくれ。出前とかテキトーに頼んでもいいぞ! 』


「……ったく 冷房が壊れたからって孫が心配してこっちまで来たのに……放ったらかしかよ……」


『スマン、スマン。お土産なりなんなり。埋め合わせは明日にな! 』



 電話越しに聞こえる酔っぱらいの軽い謝罪に大きくため息をついた。叔父さんを見送った後、心配して役場まで探しに行ったこっちの気も知らないで呑気なもんだ。まあでも、そんなところも破天荒な爺ちゃんらしい。



「わかったよ。あんまり飲み過ぎないでね? ぶっ潰れた爺ちゃんを運ぶのは俺なんだぜ? 」



『はいよお~』という信用しきれない返事を残して電話は切れた。手に持った固定電話は午後7:00を表示している。丁度夕飯時だがお腹はあまり空いてない。


 これからどうしようか? ひとまず心配だった爺ちゃんについては解決したんだが……。


 後の事を考えているとつい昼に聞いた話を思い出す。ヒロ叔父さんが俺に語った『下山(くだりやま)トンネル』の話だ。


 何でだろう? さっきからそこが妙に気になってしょうがない。


 何か気持ち悪い。


 何かが引っかかる。


 いてもたってもいられなくなった俺は検索エンジンを開き、呟いた。



「『下山トンネル……行き方』」



 青い線を辿って地図上に表示された目的地は思ったよりも大分近い。ここから徒歩10分もない距離だ。



「よし」



 せっかくだから行ってみるかと決心するまで十秒未満。スマホともしもの時のための"護身用のバット"を持って家を出た俺の心は、すっかり奇妙な興奮に支配されていた。



「行ってみるか……! 」



 ――後から考えるとこの時の俺は明らかに正気じゃなかった。まるでトンネルに魅入られたように。


 まさか、思ってもみなかった。俺はこの後想像もできなかったようなモノと出くわすことになる何て――。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 自分の実家に所属するってのはおかしいのでは?
[一言] 「せっかくだから行ってみるか。思い立つとスマホともしもの時の護身用のバットを持って家を出た」 暗いトンネルにわざわざ夜の七時から行かないでも、行くんだったら、明るい昼間に行くでしょう。それ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ