第27話 キスがしたいと思った
「…………」
こんな幸福なことがあるのか、と僕は驚愕していた。
朝目覚めると、リーゼの可愛く美しい顔が目の前にある。
彼女はどうやら寝ぼけて僕の布団に入り込んでいたようだ。
当然、嬉しい。
幸福だし、幸運だし、好運。
果報は寝て待てと言うが、寝てたら本当に幸せになっちゃった。
このまま死んでしまってもいいと思えるほどの幸福感。
だが僕はまだ死ねない。
リーゼをまだ幸せにしていないから。
僕だけが幸せになってもダメだ。
リーゼも幸せになってもらわないと。
彼女の桃色の唇が僕の眼前にあり、ゴクリと息を呑む。
このままキスをしたい……いや、しかし。
彼女の柔らかそうで細い身体を抱きしめたい……でも、我慢!
こんな時にリーゼを襲ったら、ただのクズじゃないか!
ってか、いまだに手しか繋いでないのも、ヘタレとしか言いようがないのだけれど……
僕はドキドキしながらも、布団から起き上がる。
起き上がり、彼女の綺麗な顔を見る為にしゃがみ込む。
「……可愛い」
いや、本当に可愛い。
この寝顔だけで一ヶ月ぐらい断食してもいいぐらい満足感がある。
「…………」
リーゼともっと仲良くなりたいし、もっと色んなことがしたい。
手を繋ぐだけじゃなくて、キスとか……
サラサラの髪に長いまつ毛。
シャンプーの香りだろうか、以前とはまた違ったいい匂いがする。
奥さんなんだから手を出してもいい……のかな?
うん。もう一歩、勇気を出してみよう。
とりあえず目標をここで一つ。
リーゼとキスをする。
キスがしたい。
キスがしてみたい。
そうと決まればできることを頑張っておこう。
とりあえずは……歯磨きだ!
僕は渾身の力を込めて、歯を磨く。
ゴシゴシゴシゴシ歯を磨く。
リーゼとのキスを想像しながら歯を磨く。
「おはよ…って、おい」
「へ……?」
「お前……どうしたんだ、それ?」
寝起きのリーゼが真っ青な顔で、僕の口元を指さしている。
なんのことだろうと、僕は自分の口に手を当ててみた。
すると……とてつもない量の血が口の中からあふれ出しているようだ。
「え、えええっ!?」
歯磨きに力を入れ過ぎていたようだ。
リーゼとのキスのことを考え過ぎて、正気を失っていた。
恥ずかしい。
僕はボトボト落ちる血をゆすぎ、なんとか血と止める。
「ご、ごめん……なんてことないんだよ」
「本当に大丈夫か、耕太?」
リーゼが心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
彼女の鼻先が、僕の鼻に当たり、僕は変に興奮してしまい、今度は鼻血が溢れ出した。
「お、おい……病院行くか?」
「だ、大丈夫です! 僕の問題は欲望なので! お医者さんに治療できる問題じゃないのです!」
「そ、そうなのか? よく分からないが、無茶はするなよ」
リーゼが眉を寄せて僕を見ている。
奥さんにこんな悲しい顔をさせるなんて、旦那失格だ!
しっかりしろ、僕!
リーゼのこんな顔を見たくないだろ!
「ご、ごめん……本当になんでもないんだよ。僕が下らないことを想像しててさ……」
「想像……?」
キョトンとしたリーゼは、今度は意地悪そうな顔で僕に言う。
「どんな想像してたんだ? 聞かせてくれよ」
「あいや……」
いきなり攻めに転ずるリーゼ。
こうなっては、僕はたじたじ。
彼女の攻める力は強く、今にも屈服してしまいそうな勢い。
いや、最初から屈服してるようなものだけれど。
僕は汗をかきながら、リーゼと距離を取る。
しかしリーゼは、一歩前に出て距離を詰めた。
「あはは……情けない想像だから、聞かせるのも恥ずかしくて……」
「その恥ずかしい想像を聞かせてくれよ。どんな内容だったんだ?」
壁を右手でドンッとされ、僕は彼女の強気な表情にドキッとする。
ああ……凛々しいリーゼもまた可愛い。
これはもう話すしかないようだ。
僕は顔を赤くして、俯きながら彼女に言う。
「リ、リーゼとキスしてるところを想像してた……」
どっちが女だ?
と言うぐらい、立場が逆転している。
しかしリーゼは、壁に手を当てたまま固まっていた。
「……リーゼ?」
「…………」
リーゼはくるりと後ろを向き、部屋の方へと行ってしまった。
そして向こうから僕に言う。
「ち、朝食にしてくれ……」
「う、うん。分かったよ」
ああ……これは照れれるな。
リーゼは本当に可愛いんだから。
尖った耳が真っ赤だよ?
僕はニヤニヤしながら、朝食の用意を始めた。
まぁ、今日は単純に食パンを焼くだけだが。
それでも朝から一斤の食パンを焼く。
リーゼにそれを出すと、まだちょびっと顔が赤いようで、僕と目を合わせようとはしない。
僕は笑いを噛み殺しながら、ジャムを出してあげる。
「はい。まだ焼くから待っててね」
ジャムを塗る、ガリガリと言う音。
そしてガジッとパンを噛む音が聞こえる。
パンの焼ける匂いを嗅ぎながら、新たに焼いたパンをトースターから取り出し、また中に新しいパンを放り投げる。
「朝食ももう少し凝った方がいいかな?」
「いや。お前の負担が大きくなるだろ?」
「いいや。リーゼのためなら、負担ぐらいなんてことないよ! 今の倍以上は忙しくなってもいいぐらいだね!」
「そ、そうか。無理しない程度に頑張れよ」
リーゼは僕の顔を見て、ほんのり紅潮させる。
そんなリーゼはとびっきり可愛くて満腹になった気分で、もう朝食もいらないぐらいだった。




